第62話 おでん、はじめました
厨房亭の厨房に、鍋はあった。
黄金色の出汁の海に、たゆたう具材たち。
大根、たまご、ちくわ、つみれ、タコ串、昆布、じゃがいも……すべてが出汁を吸い、ほろほろと湯気に溶けていく。
「うおおおお……見るだけであったまるぅぅぅ……」
リュウが感動に震えるその横で、ルナがすでに食器を並べていた。
「とりあえず、試食してみるばい。話はそれからやけん」
「はいはい、じゃあまずは大根から——って、熱ッ!? あっつ!」
「猫舌のうちが先に行ったるけん!」
ルナがひと口。
「……はふっ、ふぅぅ……しみるぅぅぅ……」
たちまち耳としっぽがピンと立つ。
「うわー、うわー、これ、なんなん!? しみっしみやん!? 心の奥まで染みていくっちゃけど!? え、これ、恋!? うち、恋しとる! 大根に!!」
「うん、ルナさん落ち着こう?」
次に箸を伸ばしたのはティア。
「この、ふわふわの……これは“はんぺん”ですか?」
そっと口に含むと、エルフの目が見開かれた。
「ふわっ……ふわ……っ。空気を食べてるような、なのにしっかり味が……これは……これは……っ!」
「ティアさん、もしかして泣いてる?」
「……尊い……っ」
涙をぽろぽろ流しながら、次に手を伸ばす。
厨房の奥からは、マオの声。
「我は、芋を所望する!! 芋! 芋はどこだ!!」
「ジャガイモのことならもう入ってます!」
リュウが皿に盛って渡すと、マオは一口食べて
「うおおおおっ!? これは焼き芋とはまったく違うが……これはこれで……美味!! 出汁の海に芋が溶ける……これは芋鍋革命!!」
「革命って何……?」
厨房亭の中は、おでんの香りで満ちていた。
一口食べれば、心がほどける。
もう一口食べれば、会話が柔らかくなる。
「……これ、あったかいばい……うち、冬越せそう」
「これが冬の味か……」
「リュウくん……これ、商品化しよう」
そう、これは単なる“まかない”ではない。
筆の家の冬を支える、冬限定・新メニュー。
リュウは、厨房亭の正面入口に看板を設置した。
《冬季限定 あったかおでん はじめました》
「うおおお、いいぞ! いいぞこれ!」
その瞬間
「ん? なんだこの匂いは……?」
店の前を通りかかった冒険者が、くんくんと鼻をひくつかせた。
「こっちも気になる香りが……なんだなんだ……うまそうな匂いが……」
「ねぇ今、おでんって聞こえなかった!?」
一人、また一人と立ち止まり、やがてその数は行列へと変わっていく。
厨房亭のドアが開いた瞬間、湯気が外へとこぼれ出て、街の寒空を温めていくようだった。
リュウはそれを見て、ニヤリと笑った。
「ふっふっふ……異世界おでん、ここに爆誕……!」
「もういいけん、あんたも食べんね……うちが大根と卵あげるけん」
「ルナさん……やさしい……」
冬は寒い。
だけど、鍋を囲めば、心はほかほかになる。
◆◆◆
冬の王都ルミアステラ。
白い息が街角に舞う日々のなか、ひときわ活気づいているのが、筆の家・王都支店。
「フィナ、これ味見用に出しといて」
「うん、モモ、このおばさまには“たまごセット”を!」
「了解〜っ、これでぽっかぽかになるよ!」
店頭には、竹皮に包まれた“おでんセット”がずらりと並び、その横で味噌玉とともに売られるのは練り物の詰め合わせ。
大根・たまご・昆布・ジャガイモに加え、はんぺん、ちくわ、つみれ、タコ串の異世界八種盛り、名付けて「冬将軍御膳」
「こんなあったけぇもん、初めて食ったぜ……」
「これを家で食えるんか!?」
「毎日買いに来るわ、明日も頼むな……!」
客たちは手をすり合わせながら、味見の一口に目を潤ませる。
「これは……売れるばい」
フィナが大人びた笑みを浮かべる。
横でモモがにこにこしながら練り物を試食していた。
「モモ、それ全部食べたら試食品なくなるばい!」
「だっておいしいもん……」
◆◆◆
その夜、王宮。
宰相ラグレスは、王の執務室にて厳かにお椀を手に取った。
「ふむ……出汁の香りが深い……味噌……ではないな。これは……練り物の旨味……?」
静かにひと口。
口の中で、やわらかな昆布の甘みと出汁がふわりと広がる。
「……っふ……ああ……沁みる……」
しばらく黙っていたラグレスは、静かにお椀を置いた。
「……これは、罪だ。あまりに美味すぎて、国家機密にしたくなる……」
だがその頃には、すでに筆の家の“おでんパック”は王都中に知れ渡り、軍や貴族の食卓にまで届いていた。
◆◆◆
ログハウスでは、ハンモックに包まれたリュウが、空を見上げていた。
「結局、今年も何か新しいこと始めてるじゃん俺……」
ブランケットからルナの耳がぴょこっと覗く。
「まあでも、うち的にはあれ、正解やったよ。あったかいし、しみしみやし、塩むすびにも合うし」
「だよな〜、うまいよな〜……。実はアレにはバリエーションがあって、味噌味おでん、生姜おでんとかあるんだよ」
「リュウ、発酵食品工場の裏に“練り物工場”増築しとくけん」
「やめてえぇぇぇっ!!」
空には雪の気配。
異世界の冬はまだ始まったばかりだった。
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