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第6話 エルドの過去、禁術の代償

 その朝、いつものようにログハウスの庭先でジャガイモに水をやっていた俺は、ふと小径の郵便受けに目を止めた。古びた木製ポストの蓋がいつもよりも緩み、そこから何か白いものが覗いている。それは、封蝋でしっかりと閉じられた、どこか厳かな白い封筒だった。

 

「……封蝋に魔導院の紋章があるな……でも、この筆跡、妙に癖が強いぞ?」

 

 俺が手を伸ばす前に、足元にいたルナがくんくんと鼻を鳴らし、毛並みのいいしっぽをピクリと立てた。その小さな鼻がひくつくたびに、警戒心が伝わってくる。

 

「なんか……焦げ臭かばい。それに、魔力がぴりぴりしとる」

 

 白の封筒を手に取ると、ずっしりとしたインクの重みと、藁半紙特有のざらつきが指先に伝わる。そして何よりも、封印の隙間からほのかに漏れる、紫がかった霞のような魔力が、俺の直感に警鐘を鳴らした。

 

「ふむ……つまり、やばい手紙ってことか?」

 

 俺が眉間に皺を寄せ、封筒をまじまじと見つめていると、いつの間にかに背後に立っていたエルドの表情が、見る見るうちにこわばった。普段は柔らかな白衣の前立てがぴんと張り、その瞳に一瞬、深い影が差したのが見て取れた。

 

「リュウさん……それ、私が王立魔導院を追放される原因になった男の字です」

 

 え?

 

 静寂を引き裂くように、俺は思わず絶句した。王立魔導院を追放された? エルドが? にわかには信じられない言葉だった。

 

「……ん? それってつまり?」

 

 ルナも首をかしげ、俺の隣に並んで封筒を覗き込む。彼女の瞳には、好奇心と同時に微かな不安が浮かんでいた。

 

「因縁の相手ってやつです!」

 

 エルドがまるで名乗り口上のように、しかしどこか吹っ切れたように元気に言い放つ。見た目は冷静沈着な魔法学者なのに、その言い草はどこかコミカルで、思わず吹き出しそうになったが、俺はなんとか堪えた。しかし、エルドの顔に浮かんだ苦渋の色は、それがただの冗談ではないことを示していた。

 

 エルドはゆっくりと息を吐き、視線を遠くの森の彼方へと向けた。まるで過去の情景を辿るかのように、ぽつりぽつりと口を開いた。

 

「かつて、私は王立魔導院に所属していました。そこで執筆によって魔術を定着させるという研究チームに属していて……特に『禁文魔導式』という、古代儀式魔術の再現に没頭していたんです」

 

 彼の声にはわずかな振動があり、目の奥には苦い記憶が宿っているのが見て取れた。俺は黙って頷き、続きを促す。その複雑な表情から、彼がどれほどの重荷を背負ってきたのかが伝わってきた。

 

「しかし、私の作った一枚を未熟なあいつ、ルシアンが改良し“失敗作”となり、魔導院の魔力炉を暴走させてしまった。炉の暴走は幸いにも重大事故には至らなかったものの、元が私の術式であったために責任を追及され、私は院を追われました。今、模倣魔導師団が使っている術式構文は、まさにその時の研究成果そのものなのです……」

 

 エルドは、まるでその時の痛みを思い出すかのように、拳を小刻みに震わせた。その細い体に込められた悔恨と自責の念が、言葉の端々から痛々しいほど伝わってきた。俺は、何も言わず、ただ彼の言葉に耳を傾けることしかできなかった。

 

「私の過去の研究が、悪用されたんです……」

 

 エルドは視線を落とし、深く息を吸い込んだ。その肩は小さく震えていたが、しかし、その目は徐々に光を取り戻していく。まるで、長く閉ざされていた扉の向こうに、一条の希望を見出したかのように。

 

「でも今ならわかるんです。物語に命を宿すのは、ただの技術じゃない、“覚悟”です。リュウさんを見て、私はそう思ったんです」

 

 叫ぶように語りかけるエルドの言葉に、俺の胸も熱くなった。その言葉は、彼の過去への決別と、未来への強い決意を物語っていた。

 

「エルド……」

 

 ルナは静かに頷き、ゆっくりと口元を緩ませた。その表情は、エルドの成長を心から喜んでいるようだった。

 

「よか男になったやん」

 

 え、告白? と思ったエルドが、顔を赤くしてまごつくと、ルナは即座にかぶせるように言った。

 

「違うたい! 鼻の骨へし折るぞ」

 

 小さく三人で笑い合いながら、目の前の封筒の存在さえ一瞬忘れかけたその時、外から肌を刺すような強い魔力の気配が迫ってくるのを感じた。ログハウスの窓が、赤黒い光に染まる。深い森の奥から不気味な影が蠢き、こちらへと向かってくるのが分かった。

 

「来た……奴らが本格的に動き出した!」

 

 ルナが短刀の柄をぎゅっと握り締め、いつでも飛び出せる体勢を取る。俺は手早くノートとペンを取り出し、いつでも書けるように構えた。

 

「リュウ、どうする?」

 

 エルドも白衣を翻し、俺の横に立つ。その眼差しは、先ほどの戸惑いとは打って変わって、強い決意に満ちていた。これだけ明確な悪意を向けられているんだ。やるしかない。

 

「エルド、いくぞ。お前の“未完成の構文”、一緒に完成させるんだ」

 

「はいっ!」

 

 その夜、ログハウスの庭先で、俺とエルドは初めての『共同執筆魔術』を試みた。月光に照らされたテーブルの上には、エルド特製の超魔導紙が一枚。二人のペン先が刻一刻と、まるで生命を吹き込むかのように紙の上を走る。

 

 物語を、二人で書く──それは、互いの心が共鳴し、魔力を文字に込める、この世界に伝わる奇妙な魔術だった。

 

 互いの意志を文字に刻みながら、俺は静かに語りかけた。俺の言葉が、彼の過去と未来を繋ぐ架け橋となるように。

 

《偽りの魔導師団は、かつての過ちを認め、その力を封じた。かつての仲間としてではなく、新たな記録者として、人々の側に立つことを誓う》

 

 エルドはその横に、感情を込めて続けた。彼のペンから放たれる文字は、悔恨と希望が入り混じった複雑な光を放っていた。

 

《彼らは一度は闇に囚われたものの、筆による物語の光に導かれ、再び真実の道を歩むだろう》

 

 文字が重なり合うたびに、二人の魔力が交錯し、足元には複雑な魔術陣がまばゆい光を放ちながら浮かび上がった。空には一本の光の柱が高く立ち上がり、胸を貫くような熱と、切り裂かれるような冷気が混じり合いながら、森の奥深くを照らし出す。それは、彼らの心が一つになった証だった。

 

 その光がひときわ強く、夜空を切り裂くように輝いた瞬間、異様に煌めいていた魔術陣がぱっと砕け散った。そして、それまで空を覆っていた赤黒い光が、まるで最初から存在しなかったかのように、静かに消えていった。

 

 模倣魔導師団の主犯、エルドの旧友であり、かつての研究仲間だったルシアンは、闇の渦中から静かに姿を現した。血塗れのマントを翻しながら、彼は弱々しく、しかしどこか納得したように呟いた。

 

「エルド……お前の文字は、人を救うのか……」

 

 そのひとことだけ言い残し、ルシアンは闇夜に溶けるように、影のように消え去った。彼の存在は、まるで幻だったかのように、跡形もなく消え去った。

 

 明け方、夜風が縁側をそっと吹き抜ける。俺たちは三人で焚き火の残り火を見つめながら、静かに汗と涙を拭っていた。それは、戦いと、そして過去との決着をつけた安堵の涙だった。

 

「……リュウ、ありがとう。あんたが一緒に書いてくれたおかげで、エルドが過去と決着がついたばい」

 

 ルナが優しい声で呟く。エルドの瞳は、昨夜の痛みと、そして今は晴れやかな安堵を同時に映していた。

 

「褒めるならエルドに言ってくれ。あいつ、最後はすげぇいい字を書いてたよ」

 

 俺がそう言うと、ルナが微笑みながらエルドを見つめる。エルドは頬を掻きながら、恥ずかしげに、しかし満ち足りた笑顔を浮かべた。

 

「へへ……次はもっとすごいの書きますからね。リュウさんの筆に、追いつけるように!」

 

 夜空には無数の星が瞬き、その下で俺はそっと、共同で完成させた原稿を開く。胸の奥に、これまで感じたことのない、静かな覚悟が宿っていた。

 

「……次は、どんな物語を書こうか」

 

 その言葉と共に、新たな一筆が闇を切り裂くように綴られていく。異世界の夜は、まだまだ深く、そして美しく続いていくのだった。

 

 深い夜の帳がまだ空に残る頃、ログハウスへと続く馬車の轍を踏みしめる足音とともに、ロブ・ロイが息を切らして飛び込んできた。木製のドアが乱暴に開き、彼の銀縁の眼鏡が険しく光る。その顔には、隠しきれない焦燥感が浮かんでいた。

 

「リュウさん! 模倣魔導師団の残党が、再び動き出したって――!?」

 

 額に滲む汗をぬぐいながら、商人が差し出した羊皮紙には、王都郊外の集落が襲撃未遂に遭ったという速報が記されていた。さらに、現地では「禁じられたスクロール」の噂が囁かれているという。その言葉を聞いた瞬間、エルドの顔から血の気が引いた。

 

「まさか……あれがまだ残っていたとは」

 

 エルドが夜明け前の薄闇の中で苦々しく呟く。その声には、深い絶望と、自分への強い怒りが込められていた。

 

 それはかつて彼が王立魔導院で研究していた、魔力を桁違いに増幅する禁断の構文『終焉詩式:エンドリリック』。未完成ゆえに厳重に封印されたはずの術式が、影で息を吹き返していたのだ。その恐ろしさは、エルド自身が一番よく知っていた。

 

「書かれた瞬間、周囲の魔力を暴走させる……使われれば、王都だって持たない」

 

 それを聞いたルナが短刀に手をかけ、鋭い眼差しで遠方を見据える。薄闇の森の向こう、かすかに赤黒い光の気配が揺れていた。それは、紛れもなく『終焉詩式』の魔力だった。

 

「許せんばい!リュウ、エルド、うちは行くよ。今回はうちが先陣を切る。もう、書かなくていい、動くだけでよか」

 

 小さな身体が闘志で震える。ルナの背中には、もはや迷いはない。彼女は、仲間あるエルドの過去の過ちを、自らの手で償おうとしているようだった。

 

「ルナ……!」

 

 俺は真っ直ぐに頷き、胸に秘めた思いを込める。

 

「だが、俺は書く。書かずにはいられない」

 

 書き手である以上、物語の結末を言葉で導くことこそが俺の剣だ。ペンを握る手に、確かな力が宿る。

 

「私もこの手でルシアンと決着をつけます」

 

 エルドのペンにも気合が入る。その表情には、過去の因縁に終止符を打つという強い決意が満ちていた。

 

 王都郊外、小さな山あいの集落。

 そこに陣取る模倣魔導師団の残党たちは、石畳を敷いた広場で大きな魔術陣を描き、禍々しい輝きを放つ禁断のスクロールを掲げていた。闇に染まった魔力が、地面から不気味に立ち上る。

 

「構文安定、魔力供給率、目標値、達成。いまこそ式を発動する」

 

 黒ずくめの師団員が低く号令をかけ、赤黒い魔力が地面から不気味に立ち上ってくる。その場の空気が、おぞましい魔力に満たされていく。

 

「させんばいっ!!」

 

 鋭い悲鳴とともに、ルナが闘気を纏って飛び込む。月光が彼女の銀髪を白く照らし、短刀の刃が一閃して呪文書を真っ二つに切り裂いた。彼女の動きは、まるで風のようだった。

 

「くっ……なぜ、こんなところに――!?」

 

 残党の一人が驚愕の声を上げる。短刀の衝撃で魔術陣はぐちゃりと崩れ、暴走寸前だった魔力の渦は一瞬揺らいだ。

 

 その隙に、俺とエルドは隣同士でペンを走らせた。月光を受けて輝く超魔導紙に、二つの意志が交差する。二人のペン先が、一瞬もためらうことなく、次々と文字を刻んでいく。

 

《禁じられた詩式は、決して発動することなく静かに崩壊し、その力は宙へと還る》

 

《真に強い魔術とは、破壊ではなく守ることを選ぶ文字である》

 

 書き終えた瞬間、空が低く唸り、奴らの魔術陣の赤黒い光がバラバラに砕け散る。暴走していた魔力の奔流は、まるで水が枯れるようにすうっと消え去った。再び、静寂が広場を包み込む。

 

 静寂に包まれた広場では、集落の人々が恐る恐る姿を現し、瓦礫を避けながら口々に安堵の声を上げる。ルナは深く息を吐き、俺とエルドの元へ戻ってきた。その表情には、達成感が満ちていた。

 

「終わったか?」

 

 月明かりに照らされた俺の問いに、ルナは頷きながら小さく笑った。

 

「うん。リュウ、ありがとう。みんな、助かったばい」

 

 三人はそこに立ち尽くし、夜明けが白々と空を染めるのを見守った。かつて戦火に震えた集落は、今や平穏を取り戻しつつある。

 

 その夜、ログハウスの屋根に寝転び、焚き火の残り火が星くずのように揺れる中、俺たちは静かに空を仰いだ。

 

「エルド、お前……結構やるじゃん」

 

 俺は笑いを込めて隣を見る。エルドの顔は、昼間よりもずっと晴れやかだった。

 

「へへ、まあ……リュウさんの背中を追いかけてきたから」

 

 エルドは照れくさそうに頭を掻く。

 

「にしては、よく喋る背中ばい……」

 

 ルナが小さくツッコミを入れると、エルドは思いっきりむくれた。

 

「うちの背中が、一番かわいいっちゃけどね?」

 

 ルナのひと言に、俺もエルドも思わず吹き出す。空気が和み、笑い声が夜空に響いた。

 

「しかしルシアンの姿が見当たらなかった。まだ油断はできませんね」

 

 決着がつけられなかったエルドが、新たな決意を胸に秘めていた。彼の表情は、もはや過去に囚われてはいない。

 

 心地良い風が頬を撫で、虫の声が遠く森から響いてくる。

 俺は新たに用意した原ノートを開き、ペンを持ち直した。その先には、まだ見ぬ物語が待っている。

 

「また書くと?」

 ルナが呟く。

「うん。今度は……もっと優しい物語を」

 俺は微笑みながら、一文字ずつ丁寧に刻む。

 

「誰も傷つかず、でもみんなが強くなれる。そんな物語を」

 

 黒のインクが紙面に静かに染み込み、夜の静寂を優しく揺らした。

 

「次はどんな物語を書こうか。俺たちの異世界は、まだまだ終わらない」

 空に瞬く無数の星々が、まだ続く冒険の兆しをそっと囁いていた。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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