第五十七話 スローライフには戻れないけど、悪くない日々
舞踏会の翌朝。
王都ルミアステラの空は、まるで何もなかったかのように澄み渡っていた。だが、筆の家だけは例外だ。
「おい誰だー! また冷蔵庫の芋ぜんぶマオ様用に移したやつー!」
「魚介の在庫、倍に増えとるやん! 誰のせいー!」
「王宮から感謝状が届いたってよーーー!!」
「いらねええええええええええええええ!!!」
リュウの魂の叫びが、厨房の壁に木霊した。
ルナが豪華な蝋封の封筒を開き、ティアとともに呆れ顔で報告する。
「ほんとに来たんだ、感謝状。しかも“筆の家全体”じゃなく、“リュウ殿個人宛”……」
「王様、筆の家を“国家レベルの宝”って呼んでたらしかよ?」
リュウは封筒を握りしめ、重苦しくため息をつく。
「王族イベント、二度と関わりたくない……!」
すると、玄関の扉が静かに開いた。そこに立っていたのは王子レオ。
「やぁ、リュウ」
「うおっ、まじで来た!? 護衛は!? 護衛どこ行った!?」
「近くにいるよ。今日は一人で話がしたくて、ちょっとだけ抜け出してきた」
レオはスッと手紙を差し出す。
「これは僕個人から。君たちに助けられたお礼と……
それから、舞踏会の件、ちょっと話があるんだ」
リュウとレオは並び、静かにお茶を啜る。昨日の喧騒が嘘のような落ち着きだ。
「結局、僕は踊ったけど……誰とも“決まらなかった”よ」
「そうなんだ。……まぁ、なんかそういう気はしてたけどな」
「うん。でもそれでよかったと思う。誰かを“選ばされる”より、いつかちゃんと“選びたい”って気持ちを大事にしたかったんだ」
リュウは少し照れ笑いを浮かべる。
「……なんか、大人になったな。……あ、年齢は元から俺より下だけどな」
レオがクスリと笑い、リュウの手をそっと掴んだ。
「君の料理があって、君の仲間がいて……そして、君自身がいたから、僕はあの夜、ちゃんと王子としての責任を果たせたよ」
「……そっかよ」
「でも、君は君のままでいていいと思う。スローライフを目指す筆の家の主。僕の憧れの人だ」
「やめろやめろ、くすぐったいから!」
リュウは慌てて湯呑みを顔に寄せるが、頬は少し高揚していた。
夜、屋根の上ではマオが、いつものように芋を干している。
「ふふ……この空気、やはり我の第二の魔王国にふさわしい……」
「やめろって、そのネーミング!!」
リュウのツッコミが焚き火の火花に混ざって飛ぶ。
ルナはスープをかき混ぜながら目を細める。
「でも、なんかん〜……ようやく落ち着いた感じやね?」
「そうね。事件も終わったし、舞踏会も大成功。
……しばらく、静かになるかしら?」
「いや、逆にそろそろ“次の騒動”来そうな気がしてきたんだけど……」
「不吉な予言はやめい、今だけは、平和を味わわせてくれ」
こうして、また一日、筆の家ににぎやかで、やかましく、でもあたたかい日々が戻ってきた。
スローライフには、ちょっと遠い。
でも、それもまぁ、悪くない。