第五話 ジャガイモ経済、始まるってよ
朝靄に包まれた森は、まるで深呼吸をするかのようにゆっくりと目を覚ます。ログハウスの窓ガラスにも、淡い雫がいくつも連なり、朝陽を小さな虹に変えていた。俺、茶川龍介は、ふと目を開けると、隣のテーブルに広がった原稿用紙の束と、そこからはみ出すように置かれたシャーペンを見つめた。
「……うん、そろそろ限界かもしれないな」
最初は「スローライフ」と呼べるペースだったはずの畑作業が、いつの間にか毎日一畑ペースにエスカレート。俺のチート能力“書けばそのまま現実化”のせいで、種を植えれば即日成長、収穫すれば山のような収量。二人で食い切れる量など遥かに超え、文字通り“ジャガイモに埋もれる”日々になっていた。
庭先に目を移せば、果てしなく広がる緑の大地。密集しすぎて互いの葉が触れ合い、微かな葉擦れ音を立てている。畑はもはや小さな農園ではなく、広大なファンタジー大平原そのものだ。
「どうすんだよこれ……まさか、ジャガイモに潰される日が来るとは思わなかったぜ……」
誰に言うでもなく呟くと、そのままペンを掴み、原稿用紙をめくった。今日の執筆テーマは、もちろん“ジャガイモ経済”の始動だ。
「ある日、森の奥深くに佇むログハウスを訪れた一人の商人。彼は試食用に差し出された瑞々しい野菜を一口かじると、その美味さに思わず目を見開いた。『これは、これほどの野菜は見たことがない!』と感嘆し、声震わせながら交渉を持ちかけてきた。以後、毎週、馬車を連ねて代行販売に訪れるようになる。」
書き終えた瞬間、俺はゆっくりと息を吐いた。
「よし。これで野菜も経済も、一気に回るはずだ!」
まるで自動販売機のスイッチを入れたかのように、世界は動き出す。
その刹那、ログハウスの重い木製ドアが、ノックも待たずに開いた。猫耳をぴくぴくさせながら顔を出したのは、もちろんルナだ。真っ白な銀髪に朝露がキラリと光り、金色の瞳は好奇心でいっぱいだった。
「リュウ、お客さんが来たばい!」
「おっ、予定通りか。やっぱ俺の文章、即効性がハンパねぇな」
「てかさっき書いたばっかっちゃろ? 本気でヤバい能力ばい……ちょっと怖いレベル」
ルナは小首を傾げながら、半分呆れたように笑う。その声を背に、俺は外へと足を踏み出した。
馬車の前には、真面目そうな口ひげ商人と、その助手らしき若い青年が立っている。商人の服は質の良い布地で仕立てられ、革の鞄には金属の留め具が鈍く光っていた。助手の青年は眼鏡越しに俺たちをきょろきょろと見回し、冒険者の面持ちをしている。
「では、早速試食を……」
俺は収穫したばかりのジャガイモやトマト、キャベツをひとつひとつ切り分けて、そっと商人に差し出した。湯気の立ち上るジャガイモに、バターの甘い香りが絡む。商人は一呼吸置いてから、大きくかぶりついた。
「ふむ……これは……!これは何だ、この瑞々しさは!?」
金色の瞳がギラリと光り、口ひげが震えた。まるで宝石を見つけたかのような表情だ。
「こんな質の良い野菜は、生涯で初めてです! ぜひ私に、販売をお任せください!」
「いいですよ。即決で」
「いいんですか!?」
「ええ。むしろ早く持ってってくれないと、野菜に家が埋まるので(笑)」
商人は馬車に無理矢理ジャガイモや野菜を詰め込み、助手とともに大きく手を振って王都へと走り去っていく。馬車の車輪が落とす小石の音が次第に小さくなり、最後には森の小道が再び静寂へと還っていった。
その背中を見送る俺とルナ。ルナは満足げに胸を張り、俺は腕を組んで微笑む。
「やっぱりリュウの野菜、すごかばい。育てとらんけど誇らしかね」
「自信作だからな(文章的な意味で)」
ルナはくすりと笑い、提案する。
「うちも、今度執筆に協力してみたいばい。『猫獣人が畑で働く姿に癒やされて、通りすがりの勇者が恋に落ちた』とか、どう?」
「それ、絶対モテるやつじゃん。俺も落ちそうなんだけど」
「ふふっ、冗談たい」
互いに軽口を交わしながら、俺はふと思い出した。
「そういえば……王都では“魔王過激派”が小規模テロを起こしてるとかなんとか……」
ルナの猫耳がぴくんと立った。
「また物騒な話が出てきたねぇ……でも、リュウ、なんか楽しそうな顔しとーばい?」
「……新しい事件ネタ、きたな……!」
胸の奥で、作家魂が静かに、しかし確実に燃え上がっていくのを感じた。
物語はまだ、終わらない。