第40話 求人にクセ者続々!? 夢の味噌帝国、人材難!!
味噌工場と寮が完成してから数日後。朝靄の残る王都支店と厨房亭の掲示板には、大きく「味噌製造スタッフ募集!」の張り紙がはためいていた。見出しの下には、住み込み可・食事付き・未経験歓迎の文字。筆の家のロゴと可愛らしい味噌玉のイラストが、人々の視線を誘う。
「住み込み? 食事つき? 味噌? なにそれ超イケてるじゃん!」
「味噌に命を懸けてるんです! 麹の香りで目が覚めたいんです!!」
「……お湯で溶かして毎朝飲んでたら肩こりが治ったので、一生恩返ししたい」
張り紙を目にした応募者たちの情熱は、想像をはるかに超えていた。
◆◆◆
筆の家本部ログハウス。ハンモックに揺られて面接資料をチェックするリュウの目が、ひとり目の履歴書に留まった。
「……“発酵美学研究家(自称)”…? “お味噌ちゃんと結婚したい”……??」
そこへ、興奮気味のモモが扉を開け放ち、第一号の応募者を迎えた。
「リュウさん、来てますよ〜。応募者一号です」
現れたのは、細身の黒いスーツに身を包んだ若者。口元には常にニヤリと笑みをたたえ、瞳はどこか焦点が合っていない。
「初めまして! 発酵を愛し、味噌に殉じ、醤油に敬礼する者、クロワ・アズールと申します!」
「敬礼しなくていいよ!? なんか宗教じみてるってば!」
「麹と塩の奇跡を、もっと世界に広めたいんです……!」
「目がガチすぎて逆に怖い!!」
リュウは眉をひそめつつ、ノートにびっしり“要観察”とメモを残した。
◆◆◆
二人目のドアが開くと、ふわりとした雰囲気の女性が現れた。だが、その背中には直径一メートルはありそうな大きな木桶を背負っている。
「こんにちは〜……私、マリナ・バレルといいます。趣味は味噌、特技は味噌舐め比べです……」
「えっ、味噌の違いがわかるの?」
「もちろん。アレンジ調味料のレシピも手掛けていました」
「即採用じゃん!? この子、プロじゃん!」
ティアがそっと耳打ちする。
「リュウさん、この方、“元・宮廷料理開発室”にいらしたと噂の方です」
「そんな部署あるの!? 王宮、食事にどんだけ本気なの!?」
リュウとルナ、思わず目を見合わせて驚愕した。
◆◆◆
三人目は、厨房亭からフィナに連れて来られた小柄な少女だった。畳んだ履歴書をしっかりと抱え、目を伏せたまま申し出る。
「えっと……私はスラム出身で、真面目に働くって評判でした。名前はネリです」
「はじめまして、ネリさん。どうして応募してくれたの?」
「わたし、味噌が大好きで……あの、あったかい匂いが、なんだかほっとするんです……」
ネリの声には真っ直ぐな熱意が込められていた。リュウはにこりと微笑み、そっと頷いた。
「大丈夫。ここでは、味噌も人も、大事に育てるからね」
「はいっ!」
◆◆◆
こうして、個性豊かな“味噌愛”あふれる変人たちと、純粋な情熱を携えた新しい仲間が、筆の家に集い始めた。
ログハウスの掲示板には、ミランダの走り書きが追記されている。
『※“味噌と結婚したい系”は面接で選別してね。特に味噌に話しかけるタイプは要注意!』
その夜、ハンモックの下からエルドがひょっこり顔を出した。
「リュウくん……幼女、いや若い女の子の応募は……?」
「普通に働く子ばっかりだったよ?」
「くっ……味噌は好きでも、僕には冷たい世界……!」
「お前に発酵臭は無理だって! 逆に腐敗だから!!」
こうして、“味噌帝国”への第一歩を踏み出した筆の家は、スローライフどころか、今日もまた大きく舵を切り直しているのだった。
◆◆◆
朝陽が昇りきらぬうちから、味噌工場には賑やかな声と蒸気が満ちていた。大きな鉄釜では昨夜から浸水させた大豆がぐらぐらと煮え、麹と塩を合わせる台の上には、ツヤツヤと光る大豆の所々が透き通っている。
「はい、次のお仕事! つぶした大豆を麹と塩としっかり混ぜ合わせてくださーい!」
リズミカルな掛け声に応じ、従業員寮から集まったスタッフたちが手早く作業台に向かう。手を伸ばしたミリ単位が、味噌の旨味を左右する、そんな神聖な空気が漂っていた。
「おおっ、この感触……まるで味噌の胎動を感じるみたいだ!」
作業着姿のクロワ・アズールは、陶酔したように手のひらいっぱいに大豆をすくい上げる。その手つきはまるで宝石を愛でるかのようだ。
「クロワさん、そんなに目を閉じないで! 作業が止まっちゃうから!!」
「味噌様……今日もお美しい……!」
「だから黙ってぇ!!」
見学用の通路からその光景を見下ろしていたリュウは、やわらかな蒸気に包まれた工場全体をしばらく眺めてから、つぶやいた。
「……すごいな。みんな、本当に働いてる。俺がいなくても、味噌が生まれてるんだ」
隣に立つルナは、胸を張りながら微笑む。
「努力の結晶たいね。スローライフは確かに遠のいたけど、これが“安定”ってやつかもしれんね」
蒸気でメガネのレンズが曇ったティアは、ふき取りつつ感慨深げに言った。
「こうやって発酵の文化が根付いていく……本当に尊いことですね」
「なんか宗教みたいになってない、これ!?」
◆◆◆
寮の談話室では、マリナ・バレルが熱心に新人たちに味噌保存の極意を教えていた。
「ここで覚えておくべきは、塩分濃度と室温の管理。樽の木目を見て、湿度を感じることも大切です」
「……湿度を感じるって、本気で?」
「樽にも話しかけてあげてね。『おいしくなぁれ』って」
「それ、詠唱みたいでヤバいよ……」
まさに“発酵詠唱”のワークショップ。初日から笑いと戸惑いが飛び交う。
◆◆◆
だが、その午後、工場から突然の騒音が響いた。
「わっちゃー!? 味噌が樽の外で爆発した!?」
「エルドがまた暴走したんじゃないか!?」
「くぅぅぅ……発酵が、爆ぜたぁぁぁ!」
甘酸っぱい香りに混ざって、甘く焦げた匂いが鼻をつく。慌てて駆けつけたリュウが見たのは、飛び散った味噌とひっくり返った樽、そして無表情に立ち尽くすエルドだった。
「エルド、お前が爆ぜてろ!」
「はわわ……僕、何もしてません……!」
混乱を収束させながら、リュウはまた息を吐く。
「……俺が寝ても、味噌は作られる。でもな……味噌の匂いで起き、味噌の香りに包まれて眠る毎日って……」
ふとハンモックに飛び乗り、薄青い空を仰ぐ。
「最高だろ?」
ルナが背後から声をかける。
「最高だな。……でも」
リュウは拳を握りしめ、小さく叫んだ。
「結局、俺……スローライフする“ヒマ”なんて、まったくないじゃんかぁぁぁぁぁ!!」
その声は工場の発酵室から「ぷしゅぅ……」と、小さな泡の音のように返ってきた。
発酵は、今日も明日も、止まらない。
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