第四十話 筆の家に、もう一棟
冷たい露が草葉を紫に染める頃、リュウは思わず息を呑んだ。かつて畑だった一角はすっかり更地となり、地面には整地魔法の痕跡がまだうっすらと光を放っている。空中には、小さな建設精霊たちが忙しなく飛び交い、まるで工房の精巧な機械音のような「ウィーン……トントントン!」というリズミカルな音色が響き渡った。
「……いや、これ……もう家じゃなくて、“村”じゃない?」
リュウがつぶやくと、背後からルナが設計図を差し出した。手元のページには、彼自身が原稿帳に走り書きした構想が、丁寧なイラストつきで描かれている。
筆の家・従業員寮
•六人の個室
•広めの共用食堂
•男女別の浴場
•洗濯室、談話室
•明るい窓に緑のカーテン
•朝日が差し込む設計で、日常と希望が宿る場所
「うん、間違いない。俺、こんな“人に優しい寮”を書くはずじゃなかった……」
自戒を込めた声に、ルナは目を輝かせて応じる。
「何言いよっと。最高たい!」
「うむ、まるで“社会福祉建築賞”にでも応募できそうな設計だな」
ミランダとティアも思わず顔をほころばせる。
「というか、もはやうちの異世界運営、王国より福祉進んでない……?」
リュウが感嘆交じりに言うと、バズがはち切れんばかりの笑顔で頷いた。
◆◆◆
数日後
青空の下、完成したばかりの寮が陽光に輝いていた。外観は「筆の家」と同じログハウス調だが、中に一歩足を踏み入れれば、温かい木の香りとともに新築特有の清潔感が鼻腔をくすぐる。
•個室には、ふかふかのベッド、仕事机、収納棚、本棚が完備。壁にはそれぞれの名前が刻まれた木製プレートが掛かっている。
•共用食堂は大きな丸テーブルが置かれ、十人分の椅子がゆったり配された。窓際にはハーブの鉢植えが並び、お昼には香りが部屋いっぱいに広がるだろう。
•談話室には天窓があり、夜には星空を眺めながら語り合える。リュウの趣味である漫画棚が一角に設置され、自由に手に取って読めるようになっている。
•洗濯室にはミランダ特製の草精石回転式脱水機が鎮座し、回すたびに微かな草の香りが立ち上がる仕掛けだ。
「わー! ここ、オレの部屋!? ふかふかベッドだー!!」
ロメオがはしゃぎながら跳ね回り、バズは扉を開けては閉め、窓から差し込む光を満喫している。
「ラミアちゃんの部屋、すごく静かでいい香り……」
ロッテが優しく囁くと、ラミアは少し照れたように微笑んだ。
「この机、前の家より広い……書きもの、はかどりそうです」
ミーガンはノートを出し、早速書き込みを始めた。
「よかった……みんなが喜んでくれるのが、一番ばい」
ルナの声には、揺るがぬ優しさが宿っていた。それを聞いたリュウは、天井の木目を見上げて小さく呟く。
「これで……これでようやく……引きこもれる……かも……」
「否。寮の世話係と新人教育により、あなたの自由時間は当面ゼロです」
ティアの鋭いツッコミが、あっけなくリュウの夢を打ち砕いた。
「どわああああ!!」
夜の歓迎会
暖色のランプが灯る食堂に、筆の家メンバーが持ち寄った料理がずらりと並ぶ。香ばしいパン、彩り豊かなサラダ、自家製のスープにローストチキン、まるで祝宴のような光景だ。
「はい、乾杯ばい! これからうちは家族ばい!」
ルナの音頭で、皆がグラスを掲げる。
「かんぱーい!」
ロメオはスープ皿を抱えたままノドを鳴らし、バズは鶏肉にかぶりつく音を響かせる。ミーガンは効率重視で帳簿片手に食事記録をつけ、ラミアは窓辺で静かにトマトを噛む。ロッテとミィは仲良くサラダを盛り付けながら笑い声を交わしている。
リュウはその賑わいを見つめ、原稿帳を開いてそっと筆を走らせた。
新しい家に、6つの灯りが灯った。
小さな笑い声、こぼれるスープの香り、誰かの心に「ここに居ていい」と思える場所ができた日。
それは、筆の家が“国”になる一歩だったのかもしれない。
完成したばかりの寮にも、すでに新たな物語の息吹が満ちていた。
「……うん、これも、悪くないかもな」
リュウの呟きに、どこからともなく鈴のような笑い声が響いたような気がした。
おそらくそれは、この家が“また誰かを受け入れた”証だったのだろう。