第29話 スローライフに突如差し込む“舞踏会”の影
昼下がりの筆の家、庭先のハンモックが、穏やかな風に揺れている。青空の下、木漏れ日が葉脈を浮かび上がらせ、まるで世界から時間だけがゆったりと流れているかのようだ。
そのハンモックに身を任せ、目を細める男、異世界チート作家・茶川龍介がいた。
「……ん〜〜……最高……静かだし、ぽかぽかだし……今日こそ本気で昼寝する……!」
わずかに眉を上げ、「至福の午後」を噛み締めるリュウ。しかしその耳に、玄関からの慌ただしい足音が飛び込んできた。
「リュウ! リュウたい、大変なことになっとるばい!」
ルナが駆け込んできて、あわてて声を張る。
「……え? なに? 火事? 暴走魔獣? それともダルクスがまた芋焦がした?」
リュウは慌てず、余裕の問いかけ。
「そげん甘っちょろい話じゃなか。舞踏会の依頼がきたと!」
ルナの顔が真剣になった。
「……ぶ、ぶとう……会……?」
リュウの片目がぱちりと開いた。
「まさか……レオの……あの……」
ルナが口元を押さえる。
「そげなそげな。レオさまの花嫁選び舞踏会たい!」
ルナの声に、リュウの全身がビクンと震えた。
「やああああああああああああ!!!」
リュウはハンモックから大ジャンプ。干し芋を巻き込んで布が宙を舞った。
「おちつきんしゃい! まだ依頼の内容全部聞いとらんやろ!」
ルナが叫ぶが、リュウの動揺は止まらない。
「いや、だいたい察するよ!? 王族の婚活パーティーみたいなもんに、うちの料理と給仕出せって話でしょ!? なにその、スローライフ完全否定イベント!!」
ルナは額に手を当て、ため息をついた。
「内大臣さまからの直々の依頼で、王城の舞踏会で料理一式、筆の家にお願いしたいってさ。要はレオさまのお披露目会……結婚相手を見極める華やかな行事やね」
「レオが嫌がってる未来が、すでに見える……!」
リュウは叫びながらも、内心で悟っていた。これ、断れない。
相手は王国の宰相にして、レオの父である“王”の直命に極めて近い案件だからだ。
「……でもさ、材料の野菜と果物はうちでどうにかなるとして、問題は……肉と魚か」
「そやね。ミランダさんに頼んで、元宮廷の人脈で肉は確保できると思うばってん、魚は……」
「王都に鮮魚は、まず入ってこんもんな。普通は干物止まり」
リュウは視線を遠くに向け、しばし考え込む。そしてやがて、にんまりと笑った。
「よし……やるか。決めたら徹底的にやるのが筆の家。舞踏会だろうが、王族だろうが、胃袋掴めばうちの勝ちだ!」
「……結局ノリノリやん」
ルナが呆れてツッコミを入れる。
「言うな、ルナ。そうでもしなきゃ俺のスローライフは守れないんだ!」
リュウは拳を握りしめ。
「総員! 舞踏会作戦、準備開始だぁぁぁぁぁ!!」
こうして、筆の家にまたひとつ、とんでもない騒動が舞い込むのであった。
◆◆◆
舞踏会まで、あと十日。
筆の家は、これまでにないほどの慌ただしさに包まれていた。厨房ではミランダの怒号が飛び交い、包丁のリズムが戦場のように鳴り響く。裏庭ではルナとバズが肉の解体手順を熱心に練習し、倉庫ではミーガンが在庫帳とにらめっこ。リュウも原稿帳を抱えて走り書きに余念がない。
「……ふむ、港町まで扉でつなげば、鮮魚の流通、いけるか?」
リュウは地図を開き、行き先を指差す。扉召喚の魔力を組み込むページに、魔符を走らせては消し、また書き足す。
筆の家は自前の畑を持ち、王族向けの野菜や果物には事欠かない。が、舞踏会のメインを飾るのは「最高級の肉と魚」。王族・貴族の舌を唸らせる、そのハードルは想像以上に高かった。
「肉ならなんとかなるわ」
ミランダが大鍋をかき混ぜながら言う。
「宮廷時代の人脈を駆使して、国境近くの牧場から質のいい牛肉と地鶏を確保したの。ただ……」
「魚が、圧倒的に足りないっス」
ミーガンが帳簿を掲げ、眉を寄せる。
「そもそも王都に鮮魚が届くのは稀。港町から馬車で運ぶと、到着時には干物か塩漬けになっちまう」
「なんで王都は、内陸なのに海の幸を好むんだよ!」
バズが思わず叫ぶ。
「それは私も聞きたいわ!」
ミランダが汗を拭い、ため息をついた。
そんな折、紋章入りの馬車が筆の家に乗りつけた。
車から現れたのは、鼻につくほど上品な貴族の青年。
「我が名はバルストン家の次男、フィルベルト卿。今回、国王陛下のご命令と聞いて舞踏会の準備に協力を申し出たのだが……」
「君が筆の家の主人かね? 余の家の商隊が、君の店向けに用意された肉の一部を預かることとなった」
「王命を理由に横取りするとは何事だ!」
リュウは飛び上がり抗議するが、卿は涼やかに肩を竦める。
「貴族社会の規律だ。少々、反省してほしいね」
妨害は、これだけじゃなかった。
取引を打ち切られる業者が相次ぎ、一時は絶望の淵に沈みかけた。しかし、この家には仲間の輪があった。
「へへ、うちの父ちゃんが山で鹿狩ってる。めっちゃ新鮮だから、送ってもらう!」
「ウチの部族の親戚、牛の世話しとるぞ! 売ってくれるか聞いてみる!」
「港町の友達に連絡してみる! 魚の目利きなら任せとけって!」
こうして、筆の家に集う獣人、魔族、エルフ、孤児たち、それぞれが持つルートを駆使し、高級食材を一点ずつ回収していく。
そしてリュウは決断した。
「よし、俺が行く。港町まで!」
王都から馬車を走らせ、リーヴェン港に降り立ったリュウは、海風に髪をなびかせながら原稿帳を広げる。
"リーヴェン港の市場と、筆の家王都支店を繋ぐ“魔法の扉”を常時開設。双方向配送により、鮮魚が即日入荷可能となる"
空に青い魔符陣が浮かび、扉がひらりと現れた。向こう側には、厨房の熱気と慌ただしい調理風景が映っている。
「……繋がった。鮮魚ルート、これで完了!」
リュウは拳を握りしめ、心から安堵した。
スローライフは遠い。だが、大切なのは誰かの笑顔を支えること。そのために、今日もリュウの筆は走り続ける。
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