第21話 引きこもりたいんだ俺は!
昼下がりの筆の家厨房亭
店内には、かすかに焦げた油の匂いと、煮込みスープの甘い香りが混ざり合い、まるで戦場を抜けたあとの静寂を思わせる。木製のダイニングテーブルには、客足の絶えない一日の疲れが、グラスに残る水滴や、寄せ木の床に落ちたパンくずの数で物語られていた。
朝から満席、予約は詰まりに詰まり、店の外では、連なる行列が角を三つ折れにしたという都市伝説じみた記録も打ち立てられた。だがそんな栄光も、営業終了のゴングとともに、まるで水彩画のように色あせ、燃え尽きた面々がダイニングに散らばるのみ。
「はふぅ……足が……うちの足、まだついとると……?」
ルナは木製イスに逆立ちしたまま、まるで念仏を唱えるかのようにぼんやりつぶやく。頑丈な革ブーツが宙を向き、髪の房が重力に逆らってふわりと漂う。目の下には、フライパンを振り回した跡がくっきりと残っていた。
「ティアさん、売上出ました! 本日営業分、過去最高ですっ!」
ミィが勢いよくレシートの束を掲げる。だが同時に、天を仰いだ唇からは「はぁ……」というため息が。彼女の手には、まだ冷めきらない盛り付け用スプーンがぎゅっと握られていた。
「その分、体力と精神のMPがマイナス補正中だがな……」
ティアは紅茶を一口すすり、淡い薔薇色のカップから立ちのぼる湯気を眺める。顔には疲労の影が濃いが、声だけは冷静そのものだ。
ミィはそのままスプーンを抱え込むように丸まって寝落ちし、モモはクッションにもたれかかって口を大きく開け、いびきをかいている。まるで呼吸が店の床と一体化してしまったかのように、彼女の鼾が静かなBGMとなっていた。
そんな中
「……ああー……引きこもりてぇなぁぁぁぁーーっ!!!」
リュウの魂の叫びが、木製の天井をつんざくように響き渡った。天井のランプが一瞬だけ揺れ、壁に掛けられたメニュー看板がかすかに軋む音を立てる。
厨房の奥から、ミランダが濃紺のエプロン姿でひょいと顔を出した。首の後ろに巻いた手ぬぐいを力強く絞っている。
「何を叫んでいるの。まだ厨房の掃除、終わってないわよ」
涼しげな声でありながら、その口調には揺るがぬ威厳があった。ミランダの鋭い瞳が、リュウの額に滲む汗を追う。
「ミランダさん、聞いてよ……俺さ、スローライフがしたくて異世界に来たんだよ!?
なんで今、週7フル稼働で料理して配膳して、芋掘って、追加建築してんの!?」
彼の声には、心底からの戸惑いと怒り、そしてほんの少しのあきらめが交じっている。鍋を洗いながら、ミランダは肩をすくめた。
「自分で店開いて、増築した人の台詞じゃないわね」
ティアが横からチクリと刺す。紅茶の湯気が、二人の間に流れる空気をほんの少し和らげた。
「リュウ、あなたの一日あたりの“執筆時間”、先週平均28分。今日に至っては7分38秒よ」
ティアは淡々と、情報端末の小さな画面を見せる。その数値に、場内の空気が一瞬止まった。
「短っ!? 俺、もう『筆の家』の筆じゃないの!?」
リュウの声が、思わず悲鳴のように跳ね上がる。
「筆ペンかもね」
ミィの寝ぼけ声が、小さな笑いを誘った。
「やめてええええ!!」
「正直、これ以上仕事増えたら……俺、筆を鍬に持ち替えるかもしれない」
リュウは背後で黙々とスクロールを読んでいたエルドに声をかけるが、反応は薄い。
「リュウ、それただの農家やけん」
エルドがぽつりと言い、ふと顔を上げる。相変わらず無機質な巻物に埋もれた顔だが、その言葉に皆が思わず吹き出した。
「……存在感……なかったよね、俺……研究、止まって三週間……」
エルドの声はかすかで、まるで自分自身にも驚いているかのようだった。
「ごめんエルド……君の存在、完全に背景になってた……」
ミィが目を覚まし、ぽつりと呟いた。
「つまり、問題は人手不足。では?」
ミランダが腕を組み、真剣な顔で提案する。
「いま筆の家で動いてるのは、厨房4名・接客3名・レジ1名・料理長1名・原稿担当(瀕死)1名。
あとは王子様と影の護衛(非戦闘時モブ扱い)……」
「誰がモブや!」
リュウがツッコミを入れ、場が和む。
「冗談よ。とにかく、人を増やさないと、どんどん追い詰められるわよ?」
ティアが真顔に戻り、現状の厳しさを示した。
リュウは天井を見つめ、深く息を吸い込む。
「……もうちょっと……人の手があれば……のんびり、ログハウスで昼寝できるのに……」
そのときだった。ミランダが、まるで夕飯の献立を口にするような軽い調子でぽつりと言った。
「それなら、“奴隷”を雇えばいいんじゃないかしら」
シーン……
「今、なんつった?」
リュウの頭から湯気が出そうになる。
「奴隷よ。王都では、庇護型の制度で労働者を受け入れる形式があって、孤児や家なき子を引き取って仕事を与えるの。暴力や搾取は禁止されていて、実質、保護下契約」
ティアが続ける。
「王国法第八章に基づき、“労働者としての権利”を保証された制度。借金や戦災で行き場のない者が多く、犯罪歴のある者は含まれない。要は、庇護と就業のハイブリッドよ」
「賛成やけん! うち、正直もっと店まわせるようになってほしいばい!」
モモがソファから飛び起き、満面の笑みを浮かべる。
「わたしも……新しいお姉ちゃんとか弟くん、できたら嬉しいかも……」
ルナもにやりとほほ笑んだ。
「……俺のスローライフ、叶う……?」
ルナの一言に、リュウの瞳がかすかに潤む。
「引きこもりのために、大家族を増やすっちゅう、逆転の発想やね!」
こうして、翌朝。
リュウたちは王都の“労働支援所”を探しに出かけることにした。
それは、まだ見ぬ未来の“家族たち”との出会いの序章に過ぎなかった。
◆◆◆
王都の賑わいに包まれた表通り
石畳を踏むたび、リュウの革靴に伝わる振動が、異世界来訪の実感を呼び覚ます。商店の軒先には色鮮やかな布が翻り、屋台の香辛料と焼き肉の香りが入り混じる。だがその喧騒をかき消すかのように、一行の視線はひときわ端正な建物へと吸い寄せられた。
「……ここ、奴隷商って聞いてたけど、まるで高級ホテルたい」
白大理石の外壁は朝日に反射し、まばゆい輝きを放っていた。柱頭飾りには王国の紋章、両脇の等間隔に並ぶ噴水からは、透明な水が優雅に滴り落ちる。
磨き抜かれたガラス扉には、金色のレリーフで「庇護者紹介所」と刻まれている。まるで招かれる者を慈しむかのような書体は、不安と期待が入り混じったリュウの胸をそっとくすぐった。
ティアが手にした小さな羊皮紙を確認しながら囁く。
「王都では“奴隷”という言葉をあえて廃し、“庇護契約者”と呼ぶよう法改正されているの。人権保護の観点から一昔前とは大きく違うみたいね」
「それにしても……清潔感、ありすぎじゃね?」
ルナが眉を寄せる。背後では、ミランダが軽く頷きながら白い手袋を整えていた。
リュウは心の中で、昔読んだダークファンタジー小説に出てくる「鎖に繋がれた奴隷市」を思い描いていたが、そんな想像は見事に裏切られていた。
“ポンッ”
重厚な扉が内側に開く音とともに、一行は迎賓ホールのような大空間に足を踏み入れる。吹き抜け天井からは柔らかな光が差し込み、壁面を彩るタペストリーには歴代の庇護契約者たちの姿が描かれている。
「いらっしゃいませ」
カウンターに現れたのは、銀髪を後ろで束ねた初老の紳士。整った白髭と深い襞の入った顔には、長年の慈愛が滲んでいた。手には繊細な刺繍入りの革手袋、触れるものすべてに敬意を払うかのようだ。
「庇護契約をご希望でしょうか? ご紹介可能な方々をご案内いたします」
その声は穏やかで、聴く者の緊張をほどくように包み込む。
「は、はい。できれば……若くて、将来を選べる子がいれば、と」
リュウはやや小声で答えた。喉の奥に残るわずかな緊張を、カウンターの曲線が和らげてくれるようだった。
「ご安心を。我々の方針は“職業選択の自由と教育の提供”。働きながら学び、希望があれば王都の各種学校への進学も可能です」
初老の紳士は微笑みながら一礼する。
ティアの瞳がきらりと輝いた。
「……この国、本当に未来の社会福祉が進んどるな……」
「なんか、うちより詳しくない……?」
案内されたのは、吹き抜けに面した中庭風の大広間。四角く刈り込まれた生け垣が縁取り、中央の大きな噴水からは清涼な水音が静かに響いている。床には淡い青のタイルが敷かれ、爽やかな風とともにほのかな緑の香りが漂った。
石のベンチに腰掛けた6人の少年少女は、制服のようなシンプルなローブをまといながらも、それぞれの個性がにじみ出ている。皆、戦災で家族を失った孤児たち──だが、その瞳はどこかしっかりとした芯を宿していた。
店主は、一人ずつ丁寧に紹介していく。
アルタス(22歳/犬獣人・男性)
大柄でがっしりとした体躯。鋭い視線が一瞬こちらを威圧するが、不意に見せる柔らかな手つきは繊細そのものだ。
「……刃物は得意です。剥き物、包丁、研ぎ……厨房補助に向いていると思います。」
ミーガン(20歳/人族・男性)
知的な眼鏡越しに論理的な微笑みを浮かべる。数字を扱う手つきは滑らかで、在庫管理や会計業務で力を発揮しそうだ。
「効率は常に求めます。料理も経営も、基本は論理。“無駄”が嫌いです。」
ロッテ(19歳/人族・女性)
柔らかな栗色の髪を揺らしながら微笑む姿は、まるでお菓子のように甘く温かい。裁縫や接客、家事全般をそつなくこなせる才媛だ。
「小さい頃、おばあちゃんにドレス作りを教わったの。リフォームや装飾なら私にお任せくださいね♪」
バズ(16歳/犬獣人・男性)
眉目秀麗とは言い難いが、その屈託のない笑顔に誰もが心を許す。持ち前のパワーで荷運びは無敵。
「どんな荷物でも一発で運ぶっス! あとスープの味見も得意っス!」
ラミア(15歳/人族・女性)
長い黒髪で顔を半分覆った、影のような静かな少女。言葉少なだが、その視線は厨房の火加減すら読み取る。
「……火加減、ずれてます。焦げますよ」
ミランダがすかさず頷き、太鼓判を押す。
ロメオ(12歳/人族・男性)
無邪気な笑顔を振りまく小柄な少年。飲食店の空気にもすぐ馴染み、客の心を掴む天性のコミュ力がある。
「お兄ちゃんお姉ちゃん、料理うまい? おれ、食器集めなら誰にも負けないぜー!」
紹介を終えた店主は、ゆっくりと深呼吸をしてから静かに口を開いた。
「どの子も、過去には痛みや悲しみを抱えています。ですが“今”を大切に生きたいと願う純粋な心が、皆に共通しています。
彼らには、ただの雇い主ではなく、“居場所”と“仲間”を与えてくれる方が必要なのです」
リュウは、ベンチの前に立つ彼らの顔を順にじっと見つめた。
笑顔の裏に淀む孤独、俯く瞳に宿る強さ。自分は、この子たちに何を与えられるだろう?
胸を締めつけられるような思いと同時に、ある確信が芽生えた。
「全員、うちで引き取るよ」
リュウは迷いなく告げた。
店主の目が一瞬、大きく見開かれたが、すぐに深い安堵の色を帯びて頷き、ゆっくりと頭を下げた。
「……この子たちの“次の章”を、ぜひあなたの筆で紡いでください。皆、あなたとともに歩みたいと願っています」
帰路
夕陽が王都の屋根瓦を黄金色に染める中、足取りはいつになく軽かった。
ルナがぽつりと、小さな声で呟く。
「また、大家族になるばいね……」
「これで……俺、引きこもれる……?」
リュウは後ろを振り返りながら問いかけた。
「無理やけどな」
ティアとミランダがほぼ同時にツッコミを入れる。軽妙な舌戦の合間に、6人の孤児たちの笑顔が、まるで心の中に温かな灯をともすかのように蘇る。
そう、ここから始まるのは、引きこもり宣言をする男と、彼が見つけた〈かけがえのない大家族〉の物語。次なる「居場所」が、すでに動き出していた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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