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第20話 王の耳に届いた日

 昼下がりの筆の家厨房亭

 店内には、かすかに焦げた油の匂いと、煮込みスープの甘い香りが混ざり合い、まるで戦場を抜けたあとの静寂を思わせる。木製のダイニングテーブルには、客足の絶えない一日の疲れが、グラスに残る水滴や、寄せ木の床に落ちたパンくずの数で物語られていた。


 朝から満席、予約は詰まりに詰まり、店の外では、連なる行列が角を三つ折れにしたという都市伝説じみた記録も打ち立てられた。だがそんな栄光も、営業終了のゴングとともに、まるで水彩画のように色あせ、燃え尽きた面々がダイニングに散らばるのみ。


「はふぅ……足が……うちの足、まだついとると……?」

 ルナは木製イスに逆立ちしたまま、まるで念仏を唱えるかのようにぼんやりつぶやく。頑丈な革ブーツが宙を向き、髪の房が重力に逆らってふわりと漂う。目の下には、フライパンを振り回した跡がくっきりと残っていた。


「ティアさん、売上出ました! 本日営業分、過去最高ですっ!」

 ミィが勢いよくレシートの束を掲げる。だが同時に、天を仰いだ唇からは「はぁ……」というため息が。彼女の手には、まだ冷めきらない盛り付け用スプーンがぎゅっと握られていた。


「その分、体力と精神のMPがマイナス補正中だがな……」

 ティアは紅茶を一口すすり、淡い薔薇色のカップから立ちのぼる湯気を眺める。顔には疲労の影が濃いが、声だけは冷静そのものだ。


 ミィはそのままスプーンを抱え込むように丸まって寝落ちし、モモはクッションにもたれかかって口を大きく開け、いびきをかいている。まるで呼吸が店の床と一体化してしまったかのように、彼女の鼾が静かなBGMとなっていた。


 そんな中


「……ああー……引きこもりてぇなぁぁぁぁーーっ!!!」


 リュウの魂の叫びが、木製の天井をつんざくように響き渡った。天井のランプが一瞬だけ揺れ、壁に掛けられたメニュー看板がかすかに軋む音を立てる。


 厨房の奥から、ミランダが濃紺のエプロン姿でひょいと顔を出した。首の後ろに巻いた手ぬぐいを力強く絞っている。


「何を叫んでいるの。まだ厨房の掃除、終わってないわよ」

 涼しげな声でありながら、その口調には揺るがぬ威厳があった。ミランダの鋭い瞳が、リュウの額に滲む汗を追う。


「ミランダさん、聞いてよ……俺さ、スローライフがしたくて異世界に来たんだよ!?

 なんで今、週7フル稼働で料理して配膳して、芋掘って、追加建築してんの!?」


彼の声には、心底からの戸惑いと怒り、そしてほんの少しのあきらめが交じっている。鍋を洗いながら、ミランダは肩をすくめた。


「自分で店開いて、増築した人の台詞じゃないわね」


 ティアが横からチクリと刺す。紅茶の湯気が、二人の間に流れる空気をほんの少し和らげた。


「リュウ、あなたの一日あたりの“執筆時間”、先週平均28分。今日に至っては7分38秒よ」

 ティアは淡々と、情報端末の小さな画面を見せる。その数値に、場内の空気が一瞬止まった。


「短っ!? 俺、もう『筆の家』の筆じゃないの!?」

 リュウの声が、思わず悲鳴のように跳ね上がる。


「筆ペンかもね」

 ミィの寝ぼけ声が、小さな笑いを誘った。


「やめてええええ!!」


「正直、これ以上仕事増えたら……俺、筆を鍬に持ち替えるかもしれない」

 リュウは背後で黙々とスクロールを読んでいたエルドに声をかけるが、反応は薄い。


「リュウ、それただの農家やけん」

 エルドがぽつりと言い、ふと顔を上げる。相変わらず無機質な巻物に埋もれた顔だが、その言葉に皆が思わず吹き出した。


「……存在感……なかったよね、俺……研究、止まって三週間……」

 エルドの声はかすかで、まるで自分自身にも驚いているかのようだった。


「ごめんエルド……君の存在、完全に背景になってた……」

 ミィが目を覚まし、ぽつりと呟いた。


「つまり、問題は人手不足。では?」

 ミランダが腕を組み、真剣な顔で提案する。


「いま筆の家で動いてるのは、厨房4名・接客3名・レジ1名・料理長1名・原稿担当(瀕死)1名。

 あとは王子様と影の護衛(非戦闘時モブ扱い)……」


「誰がモブや!」

 リュウがツッコミを入れ、場が和む。


「冗談よ。とにかく、人を増やさないと、どんどん追い詰められるわよ?」

 ティアが真顔に戻り、現状の厳しさを示した。


 リュウは天井を見つめ、深く息を吸い込む。


「……もうちょっと……人の手があれば……のんびり、ログハウスで昼寝できるのに……」


 そのときだった。ミランダが、まるで夕飯の献立を口にするような軽い調子でぽつりと言った。


「それなら、“奴隷”を雇えばいいんじゃないかしら」


 シーン……


「今、なんつった?」

 リュウの頭から湯気が出そうになる。


「奴隷よ。王都では、庇護型の制度で労働者を受け入れる形式があって、孤児や家なき子を引き取って仕事を与えるの。暴力や搾取は禁止されていて、実質、保護下契約」


 ティアが続ける。


「王国法第八章に基づき、“労働者としての権利”を保証された制度。借金や戦災で行き場のない者が多く、犯罪歴のある者は含まれない。要は、庇護と就業のハイブリッドよ」


「賛成やけん! うち、正直もっと店まわせるようになってほしいばい!」

 モモがソファから飛び起き、満面の笑みを浮かべる。


「わたしも……新しいお姉ちゃんとか弟くん、できたら嬉しいかも……」

 ルナもにやりとほほ笑んだ。


「……俺のスローライフ、叶う……?」


 ルナの一言に、リュウの瞳がかすかに潤む。

「引きこもりのために、大家族を増やすっちゅう、逆転の発想やね!」


 こうして、翌朝。

 リュウたちは王都の“労働支援所”を探しに出かけることにした。

 それは、まだ見ぬ未来の“家族たち”との出会いの序章に過ぎなかった。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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