第二話 スローライフって言ったけど、こんなにスローでいいの?
澄んだ空気に包まれて、目を覚ますと、頭上には平らな木の梁、耳には微かな木の軋む音。深呼吸すると、鼻腔の奥をくすぐるのは、薪の燻る匂いと、ひんやりとした朝露が染み込んだ青草の香り。
「……うん。悪くない。むしろ、最高だな」
昨夜パンツ一丁で放り出されたときはさすがに「神様、雑すぎるだろ!」とツッコミを入れたものの、いつの間にか俺サイズの服がちゃんと用意されていた。木綿の白いシャツは朝陽に透けて柔らかく輝き、動きやすいダークグリーンのズボンは足さばきも快適。腰には革製のポーチがぶら下がり、中には羽根ペンとインク瓶、そして小さなノートが収まっている。
「さて……これからどうしよっか」
小さな丸窓から差し込む光を背に、俺はログハウスの重い扉をゆっくり押し開けた。軋む木の香りとともに広がるのは、光と影が織りなす緑の世界。風に揺れる葉のざわめき、小川を渡るせせらぎ、遠くで見慣れない鳥がさえずる声。町も村も人影もないが、それがまた心地いい。
「……完全に“スローライフ系”だよな?」
いきなり魔王討伐に駆り出されるよりぜんぜんマシだ。俺は腰のポーチからノートを取り出し、羽根ペンをインクに浸す。そう、俺――茶川龍介のチート能力は、“書いたことがそのまま現実になる”という無慈悲すぎるもの。
まずは試運転。
俺はノートに丁寧にこう書いた。
“ログハウスの隣に小さな畑があり、そこに丸々としたジャガイモの種芋が植えられている。畑はしっかりと耕され、水路から水が引かれ、土はふわふわに乾いている。”
そして三行後、土を掘り返す素手の感触が腕に伝わった。
「え……もう芽が出てる!?」
まるで俺の筆跡を見ながら成長しているかのように、若葉はみるみるうちにスクスクと伸び──数時間後には土の盛り上がりから、ゴロゴロと立派なジャガイモが顔をのぞかせた。皮は薄くツヤツヤ、引き抜くとほのかにバターの甘い香りが鼻をくすぐる。
「チートってレベルじゃねぇぞこれ!」
喜びに浸る隙もなく、全身を襲う強烈な眠気。まるで毒霧にでもやられたかのように、目まいとともに地面へドサリと尻餅をついた。
これが代償か。
意識が遠のきながらも、俺はかすかに思った。
「書く→成る→眠る。これが俺の新しい日常か……」
それからというもの、俺の生活は「朝起きて書く→畑に出て収穫→書いた内容が現実化→猛烈な眠気で昏睡→起きたらまた書く」という、一見シュールな農業作家ライフに突入した。
気づけば畑にはジャガイモだけでなく、トマトの赤い実、キャベツの丸々とした球、にんじんのオレンジ色、どこからともなく現れたスイカまで枝を伸ばしている。まさに「実るほど神に感謝」というやつだ。
その夜も、俺はテラスの手すりに腰掛け、用意された薪で焚き火を起こした。パチパチと燃える音を聞きながら、ホクホクに蒸したジャガイモを割って、チートバターをたっぷり乗せる。
「はふっ……う、うまい……!!」
甘く濃厚なバターがじゃがいもの熱でとろけ、口いっぱいに広がる幸福感。バトルも魔法もないけれど、これ以上ない至福の瞬間だった。
そう思った矢先、夜の静寂を引き裂くように――
「きゃああああああああっ!!」
森の奥から、少女の悲鳴がこだました。
「……やっぱり来たか、異世界フラグ」
俺はペンを握り直し、胸の高鳴りを感じながら立ち上がった。――このスローライフ、まだまだ波乱が続きそうだ。