第15話 殿下の味は民の夢?
王都ルミアステラの昼下がり。
石畳に反射する陽光が柔らかく店先を照らし、雑貨屋・筆の家の軒先には、店内に置ききれなくなった瑞々しい野菜が所狭しとずらりと並ぶ。色とりどりのトマトや調理済みの蒸したほくほくのジャガイモに、チーズとハーブがほの甘く混ざった香りがふんわりと漂っていた。
しかし、その日はいつもの穏やかな空気が嘘のようにかき消され、店の前は異常な熱気に包まれ騒然としていた。
「ねぇねぇ、ここって“殿下の胃袋を掴んだ男の店”なんでしょ!?」
「皇太子様がこの店の料理しか食べないって、ほんと!?」
「ずるい! 王族だけかよ! 民にも芋を! 芋をよこせ!!」
手書きの木札に墨で「芋」と書き付けた言葉を高々と掲げ、声を遠くまで響かせる声筒を構えた市民たちの怒号のような声が、古い木枠の窓をガタガタと震わせる。
「……芋を配れって、どんな抗議たい……」
ルナが必死に看板娘スマイルを崩さぬように耐えているが、額には青筋が浮かんでいた。店の外には既に30人以上の人だかりができている。
「これは……日刊ルミアが『筆の家のスフレが殿下の命を救った』って一面で特集したせいですね。それが原因で読者投稿に『食べてみたかった』って問い合わせが300通以上来たらしいです」
エルドが誇らしげに解説すると、ルナは仰天した。
「エルド、その情報、なんでそんな詳細なん……!?」
「定期購読してますから!」
「おまえ、サブスクしとったんかい!!」
エルドにツッコミを入れながら、俺はキッチンの隅では、大量のふかした芋を黙々と潰しながら、現実逃避するようにゆっくりと大きなため息をつく。
「はあ……なんか、すごいことになってない? 俺たち」
ティアはコトッとシルバーカップをテーブルに置き、静かに頷く。その表情は、いつになく真剣だった。
「正確には、“リュウの料理が王族限定であるという、ありもしない誤解”が、飢えた民衆の熱狂と嫉妬を煽った状態です」
「うわぁ……やばい。これ、下手したら“芋々革命”って言われかねないぞ……」
そのとき、ルナが真剣な顔で顔を出した。額の青筋は、さらに濃くなっている。
「リュウ、今日もうちょっとで石投げられるとこやったけんね」
「暴動一歩手前か……!」
ルナの視線は、今にも押し破られそうなガラス窓の向こう、荒ぶるデモ隊の群れへ向けられていた。その背後で、赤い幕の横断幕には「芋を民に返せ!」と力強く大書されている。
「それに、ちょっと気になることがあると」
ティアがそっと声をかける。
「ん?」
ルナが目を細め、静かに続けた。
「……このままだと、レオ様が来られんごとなるかもしれん」
俺はふたたび芋を潰す手を止めた。頭の中で、大切な友の顔がちらつく。今や筆の家にとって、家族のように馴染んだ小さな常連。しかしその正体は、王国の皇太子にして次期国王候補。こんな混雑と騒動の中で、あの子の身元がバレたら……考えただけで、胃がキリキリと痛んだ。
「……たしかに、こんな状況じゃもう来させるわけにはいかないかもな」
「けど……レオ様、来たがっとると思うと」
リュウは決意を固めるように、ギュッと目を閉じた。脳裏に、レオの弾けるような笑顔が浮かぶ。
「……なら」
立ち上がったリュウは、いつものノートを取り出す。ペンを握る手には、迷いがなかった。
「書けばいいじゃん。扉で、直接つなげちゃえば」
その言葉に、ティアの目が大きく見開かれた。彼女の瞳には、驚きと、わずかな焦りの色が浮かんでいる。
「ちょっと待て、それはさすがに王宮への防犯リスクが高……」
「いや、まず宰相ラグレスさんに許可を取ってみるわ!」
宰相宛に上訴文を送った数刻後、王宮の使い魔である、白い鳩が手紙を咥えて戻ってきた。
銀の封蝋を解くと、中には短くこう記されていた。
『構わぬ。繋げよ。王国内大臣 ラグレス』
「ちょっ、ええええええええええええ!?!?!?」
なんかアッサリ許可が降りたな。じゃあ繋げますか!
リュウは深呼吸し、ペンを握りしめた。その集中力は、研ぎ澄まされた刃のようだ。
《王宮・皇太子レオネル殿下の私室と、雑貨屋・筆の家のキッチン壁を一本の扉で繋げる》
書き上げた瞬間、仄暗いキッチンの奥、俺の目の前、何もなかったはずのキッチンの壁に空間が歪むように扉が誕生した。温もりのある木目に、精霊文字がそっと刻まれた、飾り気のない一枚板だった。しかし、開けばそこは、煌びやかな大理石と金箔の回廊を抜けた先、王宮東棟の皇太子私室へと直結している。
「……まさか、ほんとに繋がってしまうとはな」
リュウは苦笑交じりに扉を見つめ、うっすらと立ち上るジャガイモの香りに鼻をくすぐられる。
隣ではティアが魔力探知用の小さな結界陣を調整しながら、淡々と呟いた。
「これほど強固な空間固定なら、もはや“扉”というより小規模な〈異界の門〉ですわ。これでは技術遺産どころではない、新発見ですわ」
「やめて、それ以上大ごとにしないで……」
ルナがツッコミを入れつつ扉をコンコン。
「殿下、こっちの準備はできとるばい。」
そして……
「……こんにちは、来たよ、リュウさん」
小さな金髪の少年が、柔らかに扉を押して現れた。いつものように、キラキラとした笑顔を浮かべている。
「レオ、おかえり」
リュウは優しい声で迎える。レオは嬉しそうに駆け寄ってきた。
「今日のごはん、“ふつうじゃないやつ”がいいな」
「はいはい、“ふつう禁止”メニューな。もちろん、了解だよ」
キッチンから繋がるダイニングルームには、すでに彼の指定席が用意されていた。
「レオ。今日の献立は“ふつうじゃないポテト”三種盛りだよ」
「やったー!」
レオネルの瞳が輝く。
一つ目の料理は、とろけるようなジャガイモのクリーム詰めオーブン焼き。表面はこんがりと焼き色がつき、ねっとり甘いクリームが黄金色に光っている。
二つ目は、香ばしいカリカリハーブチップ。一口食べれば、ローズマリーの香りが鼻孔をくすぐり、サクサクとした食感が心地よい。
そして三つ目は、透明感のあるポテトゼリー“月光の雫”。ひんやりプルプルとした食感と、ほんのりとした塩気が、まるで大人のデザートのようだった。
レオネルはスプーンを取りながら、ふと思案するように呟いた。
「ここに来ると、なんだか……ごはんが“楽しい”って思えるんだ」
「それはよかった。君の笑顔を見るのが、今の俺の最大の書きがいだからね」
リュウは優しく笑いかける。レオの小さな手が、彼の服の裾をぎゅっと握った。
「リュウさん、あのね……」
レオネルが口を開いたそのとき、ダイニングルームの奥から元気な声が響いた。
「わぁーっ! レオ様、殿下ーっ!!」
妹のモモの大声が扉の向こうまで響き渡り、フィナが頭を抱えて駆け寄った。
レオネルは苦笑いしながら、ふいに小声で呟く。
「いいんだよ。ここでは、殿下じゃなくて、“レオ”だから、モモ」
しかし、扉の外では相変わらず市民の抗議デモが勢いを増している。
「王族専用レストラン許すまじ!」「芋を民にも配れ!」という怒号が、街角にこだまする。その声は、この部屋にまで微かに届いていた。
店の中、ティアが心配そうに言った。
「リュウ。筆の家が本当に“芋の楽園”として人民革命を起こしかねない事態ですわ」
ルナも真剣に頷く。
「このままやと、うちの笑顔にも限界が来るけんね……」
リュウは冷静にスープをかき混ぜながら、ふと、ある考えに辿り着き、静かに決意を固めた。
「……もうさ、店を作ろう。ちゃんとした料理屋棟を増築するんだ」
「それでこそ、書き手だ」
ティアが微笑み、ルナも元気に頷いた。二人の視線が、リュウの手に握られたノートに注がれる。
リュウは新しいノートを開く。集中すると、再び軽い眩暈が襲ってきそうだったが、慣れてきた。
《筆の家の隣に、香ばしい匂いの漂う〈料理屋棟〉が増築される。木の梁が美しい天井、外光差し込む大窓、そして最新式の精霊式厨房、すべては、食べる人のために。どんな客でも、誰もが笑顔になれる場所となるように》
ペンを走らせ終わると、雑貨屋・筆の家の外から見て左側にあった建物と雑貨屋の間にポッカリと隙間ができた。その次には下から基礎が出来上がり、床、壁とパラパラ漫画を見ているように次々と建物が作り上げられていく。土煙が上がり、石や木材が宙を舞い、まるで意思を持ったかのように組み上がっていく。
やがて、風が土煙を晴らすと、真新しい立派なレストラン棟が雑貨屋に並んで整然と誕生していた。
一階には広々とした客席に、作業のしやすい広々とした厨房、上の階には従業員用の生活スペースである施設に個人専用部屋がいくつも用意されていた。
「完璧だね。文句なしの出来栄えだと思うよ。」
チート能力の代償で強烈な眩暈が襲ってくるが、俺自身かなり耐性がついたと思う。もはや、この程度の疲労感は日常の一部だ。
沸き立つような熱気に包まれていた街は、再び、芋の香りとともに静かな興奮に包まれる。
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