第13話 看板姉妹と、はじめての一日
朝日のやわらかな光が、石畳の通りに静かに降り注ぐ。雑貨屋・筆の家の木製看板が、ほのかに輝いた。今日はフィナとモモが初めて店頭に立つ、記念すべき一日だ。二人の胸には、期待と不安が入り混じった、複雑な感情が渦巻いている。
「……お、おはようございますっ!」
通りに面したガラス扉の前で、フィナは緊張のあまり肩を震わせながらも、背筋をピンと伸ばしてお辞儀をした。紺色の新制服はまだ少し大きく、胸元の筆マークが誇らしげに揺れる。初めての仕事着に、身が引き締まる思いだ。
隣では、ぶかぶかのエプロンに身を包んだモモが、小さな手で裾を掴みながら、震える声で続ける。
「も、モモも……がんばるっ!」
その幼いながらも決意のこもった声に、フィナは胸が締め付けられるような温かさを感じた。
フィナはそっと妹の背中を押し、深呼吸してから店内へ足を踏み入れた。店内からは、すでに見慣れた筆の家の仲間たちの声が聞こえてくる。
店内はまだ開店準備の最中。ルナがレジカウンターを整え、ティアは商品棚の陳列を見守っている。エルドは爆発防止符を並べながら、真剣な表情でお品書きを書き写していた。彼らのいつもの光景が、フィナたちの緊張を少しだけ和らげてくれる。
「よし、じゃあ今日は商品の説明からね」
ティアは帳簿を閉じ、フィナとモモを前に立たせる。二人の顔を交互に見つめ、優しく微笑んだ。
「これは“しゃべるスクロール”です。開くと呪文の効果を一行ずつ口にしてくれるもの。次に、“飛び跳ねる人参”……」
ティアの説明に、モモは目を丸くして人参を見つめている。
「「待って、それどういう意味なんですか!?」」
フィナが驚きの声をあげると、エルドが得意げに解説した。
「簡単に言うと、食べる前にピョンピョン跳ねて、好奇心を刺激するんです。食感と味覚への“期待値”アップ、ってやつですね!」
エルドは胸を張って言い切るが、その説明はどこか胡散臭く聞こえる。
「……お客様的には斬新すぎるかもしれんぞ、エルド」
ルナが苦笑しながら、モモに向き直る。幼いモモが不安にならないようにと、優しく言葉を選んでいる。
「大丈夫。お客様は驚きつつも、うちの野菜の瑞々しさにきっと喜んでくれるばい」
ルナの言葉に、フィナとモモは少しだけ不安を和らげた。
やがて、午前9時のチャイムが優しく鳴り響いた。新しい一日が始まる合図だ。店の扉がゆっくりと開くと、朝の通りを行き交う人々が足を止め、好奇心いっぱいの視線を向ける。初めて見る「雑貨屋・筆の家」の看板姉妹に、興味津々のようだ。
「おや、新しいお店かい?」
「このジャガイモ、皮ごと甘くておいしいんだって!」
道行く人々の声が、店内にまで届く。
最初は声をかけられるたび、二人は縮こまっていた。戸惑いや恥ずかしさが勝り、なかなか言葉が出ない。けれど、モモの元気な「いらっしゃいませ!」という透き通るような声と、ルナの絶妙なフォローがかみ合い始めると、徐々にお客様との会話が花開いていった。フィナも少しずつ笑顔を見せられるようになる。
「……ありがとうございます! また来てくださいねっ」
フィナは深々と頭を下げ、頬にほんのりと紅潮が広がる。初めてお客様に感謝を伝えられた喜びが、じんわりと心に広がっていくのを感じた。
店を出て行くお客様の笑顔を見送りながら、フィナは胸のあたりをそっと押さえた。そこには、開店前にはなかった、温かい気持ちが満ちている。
「……なんか、あったかい」
そのひと言に、ルナもティアも優しく微笑んだ。フィナとモモにとって、初めての接客は、想像以上に充実した時間となった。
夕暮れのログハウス。キッチンからは鍋の煮える音が漏れ、香ばしい匂いが漂ってくる。テーブルを囲んで四人が調理に励んでいた。今日の夕食は、今日の売れ残りの野菜を使った特別メニューだ。
ルナはスープ鍋をかき混ぜ、モモはトッピングのハーブを慎重にまぶす。ティアはサラダの盛り付けバランスを測り、エルドはこっそり味見係として小皿を手にしている。それぞれの役割をこなしながら、賑やかな声がログハウスに響く。
「ふふーん♪ 今日の売上は、また記録更新ばい!」
ルナが誇らしげに鍋を覗き込む。満面の笑みだ。
「フィナもモモも、本当に頑張ったばい。うちは感動したとよ!」
ルナの言葉に、モモは目を潤ませながら、姉にそっと微笑んだ。フィナも、今日の達成感を噛みしめるように、静かに頷く。
「うぅ……涙出そう……っていうか、お腹空いてただけだけど……」
モモが正直な感想を漏らすと、リュウがノートを袖口で拭いながら呟いた。
「違うぞ。お前たちは、ちゃんと“働く喜び”を知ったんだ」
その言葉は、フィナとモモの心に深く響いた。
テーブルには色とりどりの野菜スープ、チーズバタージャガイモ、焼きたてのパンが並び、ログハウスに温かな灯りがともった。一日の疲れを癒す、至福のひとときだ。
「ねえ、リュウおにーちゃん、明日は何の野菜売るのー?」
モモが目をきらきらさせて問いかける。今日の成功に味を占めたようだ。
「そうだな……そろそろ“跳ねない”野菜にしようか?」
リュウは微笑みながらペンを走らせる。その言葉に、ルナとモモは顔を見合わせた。
「えー! でもぴょんぴょんしてるのかわいいのにー!」
ルナが駆け寄り、モモの頭をくしゃくしゃ撫でた。
「うち、あの人参に追いかけられて泣いたけん、やめてほしかばい」
モモがすねながらも、頬に笑みを浮かべる。その可愛らしい仕草に、リュウも思わず笑みがこぼれた。
笑い声が薪小屋の天井まで響き、夜の森にも優しくこだました。看板姉妹と仲間たちの新しい一日は、こうして温かな余韻とともに幕を閉じた。明日からの日々も、きっと賑やかで楽しいものになるだろう。
昼下がりの雑貨屋・筆の家。一同が慌ただしく店内を整えていると、ひときわ重厚な足音とともに、表通りに豪華絢爛な馬車が止まった。その荘厳な佇まいは、まるで絵画のようだった。
四頭立ての漆黒の馬。車体には金細工の装飾がびっしりと施され、王家の紋章が誇らしげに輝く。通行人たちの足が止まり、ざわめきが店先まで届いた。誰もがその馬車の登場に、ただならぬ気配を感じ取っている。
「うわ、何この豪華馬車……演劇か何か?」
「いや、あれ王家の紋章だぞ!?」
店内にいた面々も、その異様な雰囲気に息をのむ。
ルナは髪を直しながら慌て、エルドはスクロール棚の裏で手を止めた。リュウもまた、馬車の様子に静かに注目している。
馬車の扉がバタンと音を立てて開き、威厳に満ちた壮年の男性が降り立つ。銀髪を背に流し、真っ直ぐな背筋、そして鋭い瞳。その全てが、ただ者ではないことを物語っていた。男性はゆっくりと店に近づき、リュウに視線を向けた。
「……リュウ・チャガワ殿でお間違いないか?」
男性の声は低く、しかし確かな重みを帯びていた。その声には、有無を言わせぬ響きがある。
リュウは奥で食べていたチーズのポテトスープを食べる手を一瞬止め、スプーンを握りしめながら、店先へと出てきた。何事かと、店の誰もが固唾をのんで見守っている。
「そうですが……何か?」
リュウの問いに、男性は恭しく頭を下げた。
「私の名はラグレス。王国宰相にして、現国王陛下の実弟、内大臣を務めております」
その言葉に、店内の空気が一瞬にして凍り付いた。
「えっ!?」
エルドは手に持っていたスクロールを落とし、ティアは立ち上がり、ルナは目を見開いて固まった。まさか、国の重鎮がこんな場所に現れるとは、誰も予想だにしていなかった。
「本日は、皇太子レオネル殿下の件で参りました」
ラグレスは周囲の反応など気にせず、淡々と本題を切り出した。
「殿下……?」
リュウが問い返すと、ラグレスは厳しい表情を崩さず続けた。その表情からは、事態の深刻さがひしひしと伝わってくる。
「ここ数日、殿下は一切の食事を拒否なされております。どの料理人を呼ぼうと、口さえつけず、嘔吐を繰り返す始末。このままでは体力が保ちません」
王国の未来を担う皇太子が、食事ができない。それは国にとって一大事だ。
「それは……相当ヤバい状況ですよね?」
エルドが驚愕の声を上げる。ティアも深刻な表情で頷く。この状況を耳にして、彼らも事の重大さを理解した。
「そこで噂を聞いたのです。王都に現れた“筆で育てた魔法野菜を使い、未知の料理を繰り出す者”がいると」
ラグレスの視線が、リュウに真っ直ぐに注がれる。その言葉に、リュウは思わず顔をしかめた。
「いや、それちょっと誇張入ってますから! ジャガイモばっか作ってるだけですよ!?」
リュウが慌てて否定する。しかし、ラグレスは微動だにしなかった。
「しかし、そのジャガイモで客が笑い、病人が元気を取り戻したのもまた事実。侍医がそなたのスープを口にして回復したとの証言もあります」
ラグレスの言葉に、ルナがぱっと顔を輝かせた。
「それ、ルナの“ジャガベーススープ”のことですね!」
ルナが胸を張ると、ラグレスは静かに頷いた。彼の表情に、かすかな期待の色が浮かんでいる。
「殿下に、ぜひ一度そなたの料理をお試しいただきたい。殿下の食欲を取り戻すために」
リュウは一瞬黙考し、やがて静かに口を開いた。彼の視線は、遠くを見つめている。
「……子供が食事を嫌がるのは、味だけが理由じゃない。なら、“食べたいと思える物語”を料理に込めてみますよ」
リュウの言葉に、ラグレスの険しかった顔に、わずかな安堵の影が差した。それは、彼がどれほどこの状況を案じていたかの証拠だ。
「さすが“筆の家”の主人。では、準備が整い次第、王宮へご同行願います」
ラグレスがそう言いかけたその時だった。
「おことわりするばい!」
ルナが突然、割り込んで叫んだ。その声は、王国の宰相をも動揺させるほどだった。
「は?」
ラグレスとリュウが顔を見合わせる。予想外の展開に、二人は戸惑いを隠せない。
「リュウをひとりで王宮になんか行かせん! あんなキラキラした所、うちらには一番似合わん場所たい!」
ルナは短刀を振りかざし、エルドはあわてて後退する。その気迫に、ラグレスもたじろいだ。
「まさか同行者を指定されると……?」
ラグレスが驚くと、ティアも静かに表情を引き締めた。その瞳には、強い意志が宿っている。
「私も参ります。殿下の前で、“物語の力”を補佐いたしましょう」
ティアの言葉に、リュウは呆れ顔でため息をついた。
「ルナとティアで……?」
しかし、ルナはそんなリュウの反応など意に介さず、にやりと笑った。
「行くとなれば全員で行くたい! エルドは……置いてくばってん」
ルナがエルドの後頭部を軽く叩き、エルドは「「ひぃっ!」」と悲鳴を上げる。彼だけ置いていかれるのは、もはやお約束のようだ。
こうして、筆の家の面々は初めて王宮へ向かうことになった。王宮グルメというこれまでにない難題に挑む一行。だがリュウの胸には、料理という“物語”で、人の心を救えるかもしれないという、わくわくした期待があった。この一皿が、止まってしまった皇太子の時間を、再び動かすことができるだろうか?
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