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第1話 神様、転移はラノベ仕様でお願いします!

 夜明けの気配が、カーテンの隙間から淡く染み込み始めていた

 灰色の空が墨汁を薄めたようにじわじわと明るみを帯び、その静けさが、逆に俺の疲労をあざ笑っているように感じられる。

 

「はは……三日連続徹夜達成か。ラノベ作家としてこれ以上の勲章はないな。……いや、普通に死ぬやつだろ、これ!」


 机の上には空き缶の山。エナジードリンク十数本がピラミッドを形成し、どれも俺の生命力を吸い取った後の抜け殻だ。

 モニターには真っ赤な文字で「第17回異世界ラノベ大賞・応募締切:あと2時間」が点滅。まるで地獄のカウントダウンだ。

 

 俺、茶川龍介、齢四十。売れないラノベ作家。それでも「作家」と名乗り続けているのは、数年前に入賞したことへの、かすかな誇りが残っているからだ。

 これが最後の挑戦と決めた。バイトと執筆の繰り返しの日々から、今日こそ抜け出すために。

 

「……よし、これ以上はムリだ。脳みそカラッカラ、ひねり出す燃料なし!」


 その瞬間、空気が変わった。

 肌を撫でる風がひやりと冷たく、微かに金属を擦ったような匂いを運んでくる。

 部屋の隅で何かがきらめいた。


 モニターが光を溢れさせ、たった今完成した原稿の文字が次々と消えていく。

「おい待てやぁぁぁ!」と叫ぶ間もなく、俺は光に吸い込まれた。

 

 ふわり、と体が浮き、背骨がぞくりと震える。

 恐怖よりも先に湧いたのは、胸の奥を焦がすような高鳴りだった。


「ああ、これだ。俺が何度も妄想した、あのラノベ的展開!」

「お疲れ様でした、龍介さん。いや、リュウとお呼びすべきかのう?」


 耳元に透き通った老人の声が響く。

 目を開けると、銀髪の長髪を背に垂らした存在が、天井からゆっくりと降りてきていた。

 虹色にきらめく羽根。淡い青色のローブ。その動きには風も音もなく、ただ静かに世界が染まるような威厳がある。


「……俺、死んだのか? エナドリの飲み過ぎで……? 死ぬとかありえないだろ! 作家冥利に尽きる死因とか、笑えないぞ!」

「死んではおらん。それにこれは夢でもない。わしは“ラノベの神“。異世界と物語を愛する者にのみ現れる。伝説の存在じゃ」

「マジでラノベ神!? 俺が書いたことが現実に起きるなんて、そんな……最高じゃないか!」


 神様は穏やかに笑い、杖をひと振り。すると、部屋が淡い光に包まれた。

 

「望む世界を申せ、転移の機会を授けよう」

「き、来たコレ! 異世界転移!? 魔法あり、ドラゴンあり、スローライフあり、ハーレムあり……全部入りのテンプレを!」

「テンプレとは何じゃ?」

「え、そこ知らないの!? ラノベ神なのに!?」


 神様は小首を傾けたが、やがて「まあよい」と笑い、指を鳴らした。


「チートは『書けば現実になる』能力じゃ。作家らしいじゃろ?」

「……え、ちょ、待って。それって、つまり何でも?」

「まあ、わしが理解できる範囲ならな。曖昧に書けば曖昧に、細かく書けば細かく現れる。ほれ、やってみい」


 言われるまま、俺はノートを開き《大きなジャガイモ》と書いた。

 一拍置いて、目の前の土がもこりと盛り上がり、バスケットボール大の芋が出現。


「……おおおお!? マジで出た!? これ、夢じゃないよな!?」

「夢ならわしがここにおらんよ。それと……」


 神様がにやりと笑った瞬間、脳の奥に鉛を流し込まれたような眠気が襲ってくる。


「……大量に書くと疲れる。代償じゃな」

「先に言ってくれ!」


 壁が渦をまき、万華鏡のように視界がねじれる。

 吐き気と浮遊感の中、俺は叫んだ。


「ちょっと待って! スローライフとハーレムは――!」

  

 気づいたときには、もう遅かった。視界の歪みが収まり、目の前に広がっていたのは、見慣れた部屋の風景ではなく、青々とした森だった。柔らかな木漏れ日が風に揺れる葉の隙間から零れ落ち、薪がくすぶるログハウスの前に、俺はパンツ一丁で立ち尽くしていた。

 

「……ていうか、パンツ一丁!? 神様、ちょっと雑すぎるやろ! せめて転移特典で服くらい……」

 

 辺りを見回すと、背後で木の隙間に囲まれた小さな小川がきらきら光り、鳥のさえずりが心地よい。どこかで小動物の足音が枝をかすめる。草の匂い、湿った土の匂い、五感で感じる異世界感は満点だが、俺の全身を駆け抜けたのはただ一つの感情だった。

 物陰からガサゴソと音がする。「やばい、魔物か?!」と思ったのも束の間、ただのツノの生えたウサギが通り過ぎただけだった。白くねじれた小さなツノが陽光を反射している。


「ツノ?! 今のうさぎじゃなかったの? 本当に異世界に来たんだな」

 

 だが、この春めいた朝こそ、俺の異世界スローライフ(ただし執筆付き、そしてパンツ一丁スタート)が、波乱の幕開けを告げた瞬間だったのだ。


***

 

 澄んだ空気に包まれて、目を覚ます。

 頭上には平らな木の梁、耳には微かな木の軋む音。深呼吸すると、鼻腔の奥をくすぐるのは、薪の燻る匂いと、ひんやりとした朝露が染み込んだ青草の香り。昨夜の悪夢のようなパンツ一丁生活は、嘘のように快適な寝床で幕を閉じていた。

 

「……うん。悪くない。むしろ、最高だ」

 

 昨夜パンツ一丁で放り出されたときはさすがに「神様、雑すぎるだろ!」とツッコミを入れたものの、いつの間にか俺サイズの服がちゃんと用意されていた。ログハウスの簡素な机の上には、手紙が添えられている。

 

「若返らせた時に服を着せ替えるの忘れちゃった。てへぺろ」……だそうだ。

 

「なにがてへぺろだよ、しばらく裸で過ごすのかと思ったじゃないか! まったく、神様ってやつは……まあ、おかげで目が覚めたけどな!」

 

 木綿の白いシャツは朝陽に透けて柔らかく輝き、動きやすいダークグリーンのズボンは足さばきも快適。腰には革製のポーチがぶら下がり、中には羽根ペンとインク瓶、そして小さなノートが収まっている。どうやらこれが神様から俺だけに与えられた「書けば現実になる」という異世界での武器であり、防具であり、そして何よりも大切な「チートに必要なアイテム」らしい。


「よし、神様お墨付きのチート能力、これで何でも作れるな!」

 

 小さな丸窓から差し込む光を背に、俺はログハウスの重い扉をゆっくり押し開けた。軋む木の香りとともに広がるのは、光と影が織りなす緑の世界。風に揺れる葉のざわめき、小川を渡るせせらぎ、遠くで見慣れない鳥がさえずる声。町も村も人影もないが、それがまた心地いい。まるで、俺が夢にまで見た理想の「スローライフ」が、目の前にあるかのような錯覚に陥る。

 

「……完全に“スローライフ系”だよな? いきなり魔王討伐に駆り出されるよりぜんぜんマシだ。これでハーレムはどこいったって話だが、まあ、それは追々……って、いやいや! スローライフとハーレムは両立しないだろ!? 俺が書いたラノベじゃ、ハーレム要素はだいたいトラブルの元だぞ!?」

 

 俺は腰のポーチからノートを取り出し、羽根ペンをインクに浸す。ラノベ作家として培った妄想力と表現力が、この世界でどこまで通用するのか、少しばかりの期待と、ほんの少しの不安が入り混じる。だが愛する異世界、ラノベ神に与えられた能力を疑う理由もない。

 

「さて……これからどうしよっか。まずは情報収集か?いや、食料の確保が最優先だな。このチート能力なら、すぐに何か作れるはずだ。手軽に、しかも栄養価の高いもの……そうだ、ジャガイモは日持ちするし、栽培しやすいって聞くから、試してみるか。これで自給自足の異世界スローライフが始まるわけだ。なんてラノベ的! まさに『書いて叶える俺の異世界農業生活!』って感じか!?」


 食料確保はスローライフの鉄則。ジャガイモを1個だけ出してもつまらない。このチートに妥協はない。どうせならでっかく行こう。

 俺はノートに丁寧にこう書いた。まるで祈りを捧げるかのように、一文字一文字に魂を込めて。

 

《ログハウスの隣に小さな畑があり、そこに丸々としたジャガイモの種芋が植えられている。畑はしっかりと耕され、水路から水が引かれ、土はふかふかになって乾いている。収穫しても次々と実る畑になる》

 

 そしてその直後、土を掘り返す素手の感触が腕に伝わった。目の前には、本当にそこにあったかのように、畑が広がっている。信じられない光景に、思わず目を見開いた。

 

「たった今、書き終えただけなのに、まさか本当に土が……!? 嘘だろ、本当にできたのか!?」

 

 その驚きも冷めやらぬうちに、視線の先で若葉はみるみるうちにスクスクと伸び、数時間後には土の盛り上がりから、ゴロゴロと立派なジャガイモが顔をのぞかせた。皮は薄くツヤツヤ、引き抜くとほのかにバターの甘い香りが鼻をくすぐる。まるで夢でも見ているかのような、信じられない光景だ。

 

「チートってレベルじゃねぇぞこれ! もはや神の所業だろ! てか、もう収穫できるって、成長速度もチートじゃん! これで食料に困ることはなさそうだな! あ、でも、もしかして、これで終わりとかないよな!?」

 

 喜びに浸る隙もなく、全身を襲う強烈な眠気。まるで毒霧にでもやられたかのように、目まいとともに地面へドサリと尻餅をついた。意識が急速に遠のいていく。

 これが代償か。この規格外のチート能力には、それなりのリスクが伴う、と。

 意識が遠のきながらも、俺はかすかに思った。

「書く→成る→眠る。これが俺の新しい日常か……。まるでゲームのクールタイムだな。いや、むしろ作業ゲーの無限ループって感じか?」


*** 

 

 それからというもの、俺の生活は農業作家ライフに突入した。最初は戸惑ったが、慣れてしまえばこれほど効率的な生活はない。

 

 気づけば畑にはジャガイモだけでなく、真っ赤なトマト、丸々と実ったキャベツ、鮮やかなオレンジのにんじん、さらにはどこからともなく現れたスイカまで、生命力豊かに枝を伸ばしていた。まさに「実るほどチートに感謝」というやつだ。俺の食卓は、毎日が収穫祭である。

 

 その夜も、俺はテラスの手すりに腰掛け、用意された薪で焚き火を起こした。パチパチと燃える音を聞きながら、ホクホクに蒸したジャガイモを割って、能力で生み出したチートバターをたっぷり乗せる。湯気が立ち上り、芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。

 

「はふっ……う、うまい……!! なんだこれ、前世で食べてたジャガイモとは別物じゃん! チート能力で作った食材、恐るべし……! ていうか、このバター、異世界の素材でもないのに何でこんなに美味いんだ!?」

 

 甘く濃厚なバターがジャガイモの熱でとろけ、口いっぱいに広がる幸福感。バトルも魔法もないけれど、これ以上ない至福の瞬間だった。このまま穏やかなスローライフが続くのだろう、と俺は漠然と思っていた。

 

 そう思った矢先、夜の静寂を引き裂くように、

「きゃああああああああっ!!」

 森の奥から、女の悲鳴がこだました。その声は、恐怖と絶望に満ちていて、俺の心臓を鷲掴みにする。

 

「……やっぱり来たか、異世界フラグ。スローライフを謳歌している主人公の元に、ヒロインが助けを求めて現れる……これぞラノベの王道だろ! さあ、俺の物語、いよいよ本番だ!」

 

 俺はペンを握り直し、胸の高鳴りを感じながら立ち上がった。まるで、この悲鳴が俺の物語の新たな章を開く合図であるかのように。このスローライフ、まだまだ波乱が続きそうだ。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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