8:トラブルメーカーではないんだけど
事の顛末を聞いたDDとアールは、被害に遭った女子学生たちに心から同情した。コーラは国でも数本の指に入るオンジュの使い手だ。何の訓練も受けていない人間が手を出して無事で済むわけはないのだ。
「で?手首を折った子はどうしたの?」
「しばらくうちに帰るって」
「そりゃそうだ、生活が不便で仕方ないだろう」
「気の毒に」
呟きは本心からのものだった。だが、DDはコーラがやりすぎたとは思っていなかった。相手に手を出すときには力量を見極めることが大前提なのに、彼女たちは甘く見たのだから。
まあ、こんな見た目であの戦闘力とは誰も思わないだろうから、ここにいるのだけれど。
「あれから嫌がらせは?」
「寮の中では全然なくなった」
「首謀者は?」
アールの問いにコーラは小首をかしげる。愛らしい仕草がいっそ凶悪だ。
「う~ん、たぶんイスラ・クーダって子だと思う。おとーさまが軍部のお偉方みたいで」
「…ということはまだ続くってことだね」
「かもね」
言いながらコーラは首に手を当てて頭をゆっくりぐるりと回す。DDとアールは目を合わせて、それから伏せた。
遡るのが難しいくらい昔から、ラスター家は体術の継承者としてその名を轟かせてきた。ニーレでは学校の授業にも採り入れられており、小さな子供から老人までが習い事だったり健康維持の手段としてだったりと、体術に親しんでいる。
コーラは自分の実力を知っている。歩き始めたころから慣れ親しみ、フルコンタクト仕様で叩き込まれた体術を用いた時、相手にどんな影響を与えるのかは、体に染みついている。だから普段は素人を相手にすることはないのだが、時にはやらざるを得ないこともある。
滅多にない機会を、コーラはうずうずしていて待っている。そんな相手に手を出してはいけない。実戦のチャンスを手ぐすね引いて待っているアブない人物に、だから、ニーレでは誰も手を出さない。
食堂での一件は、女子学生たちを委縮させた。目の前で繰り広げられた混沌は、彼女たちにとっては未知のものだったからだ。近くにいた者は、骨の折れる乾いた音が耳にこびりつき、思い出したくもないのに蘇るその音に背筋を震わせた。少し離れたところにいた学生たちにも、事件は大きなショックだった。上流、中流家庭で育った彼女たちは暴力的なものとは無縁に過ごしてきていたし、誰かを標的にした結果の混乱状態を再度見たいとは思わなかった。
それなりの被害を受けた学生たちは、もっと大きな災難に見舞われる可能性もあったことを思い、小さな被害で済んだ者たちは、こんなとばっちりを受けるくらいならイスラ・クーダに今後そそのかされたとしても受け流そうと心に決めた。
手首に大怪我を負った学生も、被害を騒ぎ立てなかった。あれはあくまで偶然の出来事だったのだと言った。留学生を転ばそうとして足首を掴んだなんて告白はとてもできないものだったし、彼女自身、コーラ・ラスターが己の手首を踏んだのは偶然だったと信じていた。罪悪感もあった。幼いころに祖母に聞かされた、「悪いことをしたら自分に返ってくるんだよ」という戒めは真実だったのだ。
だからそれ以降、寮でコーラに絡んでくる学生はいなくなった。自室のドアの前に生ゴミが撒かれていることもなくなったし、ドアを開けた時に上から牛乳を含んだ雑巾が落ちてくることもなくなった。窓を開けたタイミングで上の階から吐瀉物が降ってくることもなくなり、これみよがしなひそひそ声や意地悪な笑い声は聞こえなくなった。コーラは平和な寮生活を手に入れたのだった。
それでも、人を傷つけるのは疲れるものだ。自分もダメージを負うことを覚悟しなければ暴力はふるえない。普段と変わらない態度だけれど、大怪我を負わせてしまったことがコーラを疲弊させていることは間違いなかった。
『心配しているよ、そばにいるよ』と言葉にする必要はない。コーラはそれを望んでいない。ただ、DDもアールもいつも通り、近くにいる。
「それにしてもいい天気だね。空が高い」
空を見上げてコーラが言う。
ニーレの空はいつでも霞がかかったようにけぶっていたが、ここは空気が澄んでいて空が高く見える。 土曜日の昼下がり、繁華街にはたくさんの人が行き交っていた。きちんと整備された歩道は広く歩きやすい。建物の高さが制限されているため、空が広く見える。市民はところどころに設置されたごみ箱をちゃんと利用しているらしく、清潔でもある。ニーレの、いかにも雑踏という街並みを愛しているが、ここも悪くないなとDDは思う。
コーラにつられて雲一つない晴天を見上げ、目をすがめる。
「サングラス持ってこなかった。失敗した」
「持ってこなかったの?」
「用意が悪いな」
口をそろえるアールもコーラも、しっかりサングラスをかけていた。
「すげえ眩しいんだけど、ここの人たちってあんまりサングラス使わないのかな」
「ガラが悪く見えるからダメなんじゃない?それか、目が黒いから眩しくないとか」
コーラは首をすくめて意地悪に笑う。
「目が黒くたって眩しくないことはないだろ?俺だって眩しいんだから」
「いや、確かに私たちよりは眩しくないのかもしれない」
とアール。アールの目はいつも前髪に隠されているが、実は、見た者が息をのむような美しい緑色をしている。
「そうかな」
DDは首をひねった。とにかく、この日差しは眩しすぎる。
「サングラス買いに行きたい」
特に目的もなく散歩がてら出てきたのだが、目当てができた。
「店あるかな」
車の入って来ない、広い歩道の両側に並んだ店を見回すDDに、コーラは言った。
「アールと行っておいでよ。私はこの間見た雑貨屋さんのほうに行こうと思って。二人は雑貨、あんまり興味ないでしょ?」
「まあそうだね」
「じゃあ一時間後くらいにまたここに集合ってことで」
ひらりと手を振ると背を向ける。午後の早い時間だし、人もたくさんいるし、数回訪れていて道もわかっている。少しぐらい一人で行動しても大丈夫だろうとDDは後姿を見送る。
「さて、メガネ屋か?服屋か?」
「俺に似合うのあるかな~」
いくつかの店を見て回る。タイカンでのショッピングは楽しい。ニーレより物価は高めだが、物はしっかりしている。有名ブランドのロゴに手を加えた偽物の多いニーレと違い、タイカンの店で売られているものは信用がおけるような気がして、国では矯めつ眇めつ見定める商品を、DDはちょっとした安心感とともに購入した。
早速かけて店を出る。眩しさが軽減して快適だし、なにより新しいものを身に着けるのはどんなときでも心を浮き立たせる。
しかし、うきうきした気分は、残念ながらアールに鋭く名前を呼ばれて霧散することになる。
「DD、まずい」
「なに?例のやつ?」
頷いたアールはピンと背筋を伸ばしてあたりを見回す。「コーラ」。アールの呟きが、DDの心臓を刺激する。
三人は等距離にいるようで、実は違っている。アールとコーラがDDに垣根を作ることはないが、その一方でDDはコーラとアールの間に入れない。二人には彼らだけの特別な回路があり、その中にDDは入っていない。
アールの「コーラセンサー」とでもいうものが働くときは、決まって悪いことが起きる予兆だった。
アールは犬が空中の匂いを嗅ぐみたいに顔を上げた。素早く四方八方に鼻を向けると、「雑貨屋で間違いない」そう言い終わらないうちに走り出す。人波を縫って全力疾走するアールの後を、DDも追った。
走り出して数分、遠くの方から男の怒鳴る声が聞こえてくると、すぐに二人は何が起きているかを理解する。人を怒らせることにかけてコーラの右に出るものはいない。角を曲がったその先にコーラはいた。それから見たことのない男も。コーラが向かった雑貨屋から若い女性店員が顔を出し、心配そうに見つめているのも目に入る。
目を爛々と光らせ、うっすら笑みを浮かべてコーラは構えていた。腰を落とし、両手を軽く前に突き出して、迎撃態勢をとっている。寮の騒動では実力を隠していたが、今日は偶然に見せかけるつもりはないらしい。その証拠に、近くにはすでに一人、男が転がっていた。
「このアマ!」
チンピラ的王道なセリフを吐いて、大柄な男がコーラに飛び掛かっていく。
「あーあ、そんなんじゃ」
息を切らしながらもアールが嘆いた通り、チンピラは横っ飛びに倒される。掴まれる寸前にしゃがみ込み、地面に手をついて体を支えたコーラが突き出した両足が、男の膝をとらえていた。
「ぐわああああ!」
体重はないけれど、渾身の蹴りを効果的な場所に叩き込むすべを知っているコーラにかかれば、大振りに突っ込んでいった男など物の数ではない。
男の悲鳴を聞いて、DDもアールも顔をしかめる。膝を思い切り蹴飛ばされれば、さぞかし痛いだろう。よろよろと崩れ落ち、男は獣のようなうなり声をあげている。
「コーラ」
名前を呼ぶと、アドレナリンが出て瞳孔が開きっぱなしの猫みたいな顔で振り返った。茶色い髪がふわりと揺れる。
「何があったの」
近寄り、逆立った髪の毛をなだめるように手を動かすアールに素直に撫でられながら、「私にもよくわからないの」と言う。
「よくわからないのに喧嘩したの?」
「喧嘩なんかしてない」
「そりゃコーラにしてみたら喧嘩じゃないかもしれないけど」
低い声でやりとりしていると、「あの」と控えめな声がかかった。雑貨屋の店員だった。
「大丈夫ですか…?警察とか、呼んだ方がいいですか?」
警察か。三人は顔を見合わせる。それはどうだろう。
「適当なヒモみたいなもの、ありますか?」
急に聞かれて店員は一瞬呆気にとられたが、すぐに「荷造り用のものがありますが」と答える。
「お手数ですが、そちらをお借りできますか?」
「はい、すぐに」
顔をひっこめた店員がすぐにヒモを手に店を出てくる。三人は伸びている男二人の手首足首をささっと縛った。幸いだったのは店が奥まったところにあり、通行人が少なかったことだ。男をなんとなく隠しつつ、三人して曖昧な笑みを浮かべて「お騒がせしました」と言いながら、さりげなく野次馬を追い払う。
店員の好意で店の裏に男二人を運ばせてもらう。伸びていた男はまだ意識を失ったままだ。膝を蹴られた大男のほうは立ち上がることができず、地面にへたり込んでいた。
「あなたは何?」
男のすぐ近くまで寄ったコーラが微笑みながら訊くと、男は「くそ」とつぶやいた。
「くそ?あなたはくそ?」
雑貨屋で楽しく物色していたコーラに、男二人が難癖をつけてきたのだという。最初はナンパのように、「かわいいね」「どこから来たの?」から始まった男たちのだる絡みは、無視しているうちに因縁に変わった。「シカトしてんじゃねえぞ」「返事しろよ、ブス」「馬鹿にしてんのか」。
女性が好むものが揃っている雑貨屋に男二人が入ってくるのも不自然だったが、まるで狙いを定めていたかのように向かってきたのを見たコーラは、すぐにこの男たちの目的が楽しいショッピングなどではなく自分なのだと気が付いた。
「お店に迷惑ですから出ましょう」。恫喝の言葉にも怯えないコーラに、男二人の頭に血が上る。店を出たとたんに腕をつかんできた男を吹っ飛ばし、もう一人と対峙したところにDDとアールがやってきたというわけだった。
「もう一度訊くね?あなたはなに?」
悔しそうに顔を歪めた男がそっぽを向くと、コーラはすっと右足を上げた。そのまま躊躇なく、胡坐をかいた男の太ももを踏みつける。
「ひぎっっ!」
「あなたは何かって訊いてるの」
「答えた方がいいですよ」離れたところで腕組みをしているアールが忠告する。「早く答えた方がいい。彼女がためらわないことはわかったでしょう?」
親切なアドバイスにも、横を向いたまま返事をしようとしない男の視界に入る場所にすすすとずれたコーラは、にっこりと笑う。
「指折るよ?」
言って素早く男の背後に回ると、拘束されている右手の指を数本、無造作に握った。そのまま逆方向に力をいれる。
「や!やめてくれ!」
「返事してよ。そっちからちょっかい出してきて、許されるわけないじゃない」
ぐっと力が入り、手の甲のほうへ指を曲げられた男は、「待ってくれ!」と叫んだ。
「はい、待つよ。私はあなたの指を折りたいサイコパスじゃない。あなたが何なのか知りたいだけ」
サイコパスじゃない、という言葉には疑義はあるが、DDも男に頷いて見せた。
「…人に頼まれたんだ」
「何を?」
「あんたに嫌がらせしろって」
「どうして?」
「理由は知らねえよ。ただ、できれば連れ出して…」
「連れ出して?」
「痛めつけてやれって」
「誰に頼まれたの?」
「知り合いだよ」
「その知り合いが、私を痛めつけろって?」
「いや、知り合いも、女に頼まれたって」
「女?」
「詳しくは知らねえよ。ただお偉いとこの娘だとか…」
「『第七』の学生?」
「そんなこと知らねえよ。ただ、あんたが生意気だって言ってたって」
『第七』の外に、コーラの生意気さ加減を知っている人間は、タイカンにはいない。「私は生意気じゃないよ?」と言い返しているコーラに、「軍部のお偉方の娘って名前なんだっけ?」と聞いたDDは、男たちの身分証明書を手に入れると行動を開始した。




