4:もう一人のキノコ
「お尻が割れる」
コーラがうめいた。五日間の移動にうんざりしていた三人は、タイカンの首都に入ったと聞き、心底ほっとしていた。これ以上馬車に揺られていたら脳みそまでかき混ぜられてしまう。
「もう割れてる」
アールがボソッと言う。
「え?いくつに?」
待ってましたとばかりにコーラが食いつく。
「私は二つに割れてるけど、コーラは十個くらいに割れてるんだろ?」
「十に割れてるのは私の腹筋だよ」
「それは胸の筋肉もカウントされてるの?」
「胸の筋肉?そんなのないわよ。胸のお肉は可愛らしいブラに包まれ」
「可愛らしい?サイズが?」
「はいはい、品のない話はおしまい」
ぱんと手を叩き、DDは二人の軽口を止めた。馬車の中は三人きりとはいえ、御者台に座るのはタイカン人だ。壁に耳あり障子に目あり。気を付けるに越したことはない。
「ほら見てよ。ニーレとだいぶ違うんだね」
二人に外を見るように促して、DDも窓に額を付けた。タイカンの首都はニーレの首都ニーアムよりずっと新しい。計画的に作られた町は碁盤の目のように整備されて、整然としていた。
同じような大きさの、同じような高さの、同じような色合いの建物。道行く人々の服装もかっちりとして見え、おおらかな雰囲気のニーレとは違った印象を抱かせる。ニーアムの魅力が庶民的で雑然としたところだとしたら、この街は規則正しく機能的なところが長所のようだった。
「学校の名前、なんだっけ?」
「『第七』」
「『第一』からあるの?いくつまで?」
「昔は『第一』からあったみたいだけど、今残ってるのは『第七』だけみたいだよ」
「首都の整備と一緒に作られたって聞いたけど」
「建物は新しいみたいだね」
三人が一年を過ごすタイカンの学校は通称『第七』と呼ばれているということだった。近代的な設備を誇る、タイカンの高等教育機関である。タイカンには、国の要職に就くための共通試験があり、その試験で高得点を取るためのカリキュラムが組まれているのが『第七』だという。
「首都出身じゃないと入学できないんでしょ?」
「って聞いてる。学費もかかるみたいだし。つまり家柄もそこそこで、一定水準以上のご家庭のご子息方が通ってるってことだね」
「うーん、権威主義的って感じ」
「私たちみたいなどこの馬の骨ともわからない人間が行ってもいいのかな」
「なんだかね。嫌な予感しかしないけど」
「先入観は瞳を曇らせるっていうだろ?いい面もあるでしょ、きっと」
コーラとDDのやり取りをアールがやんわり遮ると、コーラがわざとらしく唇を突き出して腕を組んで見せた。ふっくらとしたつややかな頬と、獲れたてのさくらんぼのような艶のある唇が強調されて、まるで絵画から抜けて出してきた天使みたいだ。
「学校のレベルに見合った学生たちだといいけどね」
コーラがため息と一緒に言う。
『第七』の門をくぐり、敷地に入った三人はお尻の痛みも忘れてあたりを見回すことになる。校舎は威風堂々、堅牢な印象で三人を圧倒した。
ニーレの学校には緑が多かった。背の低い建物は開口部が多く、どこかで行われている音楽の授業がいつも大きく小さく聞こえていた。笑い声と吹き抜ける風、子供たちの息吹が、三人にとっての学校というものだった。
「…すごいね」
つぶやくコーラの、言外の感想を感じ取ったDDとアールも小さく頷く。ニーレは刑務所でもここまで堅苦しくないかもしれない。出迎えにずらっと並んだ学生たちの制服姿も、威圧感を増す要素となっていた。男子の制服は襟の詰まった上着に長ズボン。女子も飾り気のないシンプルなジャケットに膝下までのスカート。どちらもグレーと緑の中間みたいな色をしていた。
馬車を降り、口を開けたままの三人は、きょろきょろとあたりを見回しながら講堂に案内された。広く、装飾のないそこにも学生たちが整然と並び、説明のないまま壇上に上げられた三人は「歓迎レセプション」に臨んだ。
ニーレからの留学生として名前が紹介され、学生代表という数人から花束を手渡される。それをうけて、講堂を埋めた学生たちから何の熱も感じさせない拍手が送られる。制服が与える一体感もさることながら、タイカン人はニーレの人々と違って、見た目が統一されていた。程度の差はもちろんあるが、多くの人がクリーム色がかった肌を持ち、黒か、黒に近い目と、同じように黒っぽい髪をしている。ニーレの色彩に慣れていた三人が、タイカンに対して無機質かつ機械的な印象を抱いたとしても無理はなかった。
みな無表情に見えるなかで、唯一笑顔を見せていたのが、『第七』の卒業生で作る同窓委員会の幹事だという男だった。レセプションが終了し、舞台から降りたところでその男から声を掛けられる。
「『第七』はお三方を歓迎します。困ったことや何か問題があったら、遠慮なく言ってくださいね」
カノメ・カジカと名乗った男は二十台半ばに見えた。人畜無害そうな顔にマッシュルームカット。アールも似たような髪型だが、カジカの前髪は眉毛の上あたりで切りそろえられ、人のよさそうな雰囲気を一層際立たせている。
三人は『留学生』だ。ニーレの若者との交流を発案したのが『第七』の同窓委員会で、カノメ・カジカはその一員。招かれてきた三人に対する責任は同窓委員会が負い、カノメ・カジカは窓口役となっているとのことだった。
にこやかなカノメ・カジカに案内されて、三人はその後校内を見学した。ほかにも数人が付いて回っていたが、自己紹介どころか目も合わせず、ただそばにいただけだった。
三人がその日唯一覚えられたのは、マッシュルームカットの男だけだった。