3:二人の兄
兄のニキとその友人セインがやってきたのは、出発予定日の一週間ほどまえだった。
「クマちゃん持ったか?クマいないと眠れないだろ?」
入ってくるなりウザ絡みをする兄は無視して、荷造りの続きをする。クマがいないと眠れなかったのは八歳までだ。親代わりになってDDの面倒を見てきた兄には、ことあるごとにからかわれる。
「クマはいらないよな」
ベッドまで歩いてきたセインはそう言いながら、枕元にあったぬいぐるみを手に取った。いなくてももちろん眠れるが、処分する理由もないからベッドにいるクマだ。生まれてこの方、十九年一緒のクマはさすがにくたびれている。
「昔はこいつももっとしっかりしていたのに、今はくたくただな」
セインが軽く振ると、クマはゆらゆらと頭を振った。
「お前が帰ってくるまで預かっといてやるから安心しろ」
そう言うセインの目尻にしわが寄る。DDの大好きな表情だった。
「何かあればすぐに連絡するんだぞ」
クマをゆすりながらセインは言う。
「大丈夫だよ。俺ももう子供じゃないから」
ともすればうっとりとみとれてしまうから、DDは意識して口元を引き締めた。
「子供じゃないけどまだ十九だ。周りにいろいろ言われただろうが、お前が背負う必要はない。こりゃだめだと思ったらすぐに帰ってこい」
柔らかなまなざしがくすぐったくて、目を逸らす。
「二人とも、いつまで経っても子供扱いするんだから」
口をとがらせて言ったけれど、隠し切れずに頬は緩んでしまう。慈しんでくれるのがうれしいような物足りないような。
大好きなセイン。物心ついた時には、その存在が当たり前だった。
堂々とした体躯。長い手足。頭の高い位置で結ばれた黒髪は、肩から背中に流れている。切れ長の一重の目は、DDを見る時いつも細められた。
兄のニキと並ぶと一対の彫刻みたいだとDDは思っていた。誰にも、特に兄には口が裂けても言わないけれど。
ニキとセインは同い年の幼馴染だ。体格も似ているし、長く伸ばした髪を一つに結んでいるところも二人の印象を近づけている。『前世は双子だったんだろう』と周りが言うほど、二人はよく似ていた。
十歳近く年上の兄たちは、生まれた時からそばにいてDDに構ってくれた。両親も、DDはニキとセインに育てられたと軽口を言うほどだ。セインは兄と一緒に、DDにいろいろなことを教えてくれた。文字を覚えて本が読めるようになったのは二人のおかげだし、ニーレ伝統の体術の稽古をつけてくれたのも二人だ。
DDにとって、セインを好きになることは必然で、自然なことだった。卵から孵ったヒナが、初めて見るものを親だと思い込むようなもの。刷り込み。小さなころ、自分を守ってくれる人に対して覚えた信頼は、だんだんと憧れに変わった。自分もこんな風になりたい。その思いが、思春期を迎えるころには淡いけれど特別なものになっていた。
セインのそばにいたい。彼の見ているもの、感じたことを共有したい。
といっても、DDがセインに何かを求めることはなかった。セインに気持ちを返してもらえることは今後絶対にないとわかっていたが、それでも全然構わなかった。セインがどこぞの女といても心がざわつくことはなかった。
その伝で行くと、DDのセインに対する気持ちは、一般的にいうところの「恋」ではなかったかもしれない。独占欲や嫉妬から揉める恋人同士をDDも見たことがあるし、その感情は理解できた。が、DDには当てはまらなかった。
なぜなら、セインはすでにDDの一部だったからだ。
セインはDDを構成するものの一つだった。というより、DDはセインでできていた。血や肉。心。それがなかったらDDはDDたり得ない。それがDDにとってのセインであり、DDの認識だった。
隣国へ行ってしまえばしばらく会えない。寂しい気持ちももちろんあったが、それよりも役に立つ自分を見てほしいとDDは思っていた。帰国したときに「よくやったな」と言ってもらいたい。セインに誇りに思ってもらえるような自分になりたい。一人前の大人に。
「俺は心配してないよ」
赤みがかった髪を揺らして、兄が振り向いた。いつでも赤ちゃん扱いするくせに、絶妙なタイミングでDDの自尊心をくすぐるのがうまい兄貴だ。
「俺たちのDDだ」
自信たっぷりに言う。トーメ家の人間は、ニーレを守る人間になるように育てられる。DDも厳しく仕込まれた。育ての親であるニキは、弟可愛さにちょっかいが過ぎることもあるけれど、DDのことを頭から信用している。
「コーラと一緒に、アールを守って一年やりきるに決まってる。一年後にはニーレとタイカンの関係は落ち着いているだろう」
にんまりと笑って、兄は右手のこぶしを差し出してきた。
こんなことを言うとプレッシャーになるだろうとかいう配慮はないんだよな。DDは軽くため息をついてみせながら手を握ると、兄のこぶしにこつんとぶつけた。ニキのことも、大好きだった。