13:黒船来襲
「大丈夫?寝てないんでしょう?少し休んだ方がいいわ」
朝食の席で母親に言われたが、ジンには今は眠気も訪れない。
四日目。状況に変化はない。問題が解けないのだ。襲撃犯の一人がDDとコーラを誘拐したというのが筋の通る説明に思われる。だが、捕まっている残りの三人の男はただのチンピラで、日当目当ての寄せ集め、知り合い同士ですらないという。お互い名前を知らないような街のゴロツキなのだ。そんな三下の一人が、戦闘力の高いコーラとDDを誘拐・監禁などできるのだろうか。もし監禁しているのなら、その目的もわからない。犯人側からのコンタクトがないからだ。
大々的に捜索できないこともストレスになっている。今は騒ぎを大きくすべきではない。そうわかっているが、あまりの進捗のなさもこれすべて自分の責任のように感じる。
ジンは自分のことを実行力のある人間だと思っていた。できないことはもちろんあったが、それでも自身が行動すればなにかしら物事が動くものだと思っていた。実際、今まではそうだったから。
首をふる。情けなかった。
目を閉じて首を垂れ、深く息を吐く。動くんだ。自省も今はくその役にも立たないんだから。
己を鼓舞して部屋を出ようとしたところにカジカが駆け込んできた。憔悴しきった様子で、いつもはぴかっと光るほど磨いている肌だが、今日はどんよりと土気色だ。
「ジン、男が見つかった!」
カジカの勢いにつられて、いいニュースが聞けるものだと思ったジンも勢い込んで訊く。
「DDとコーラ・ラスターは?」
「二人はまだ見つからない」
返事にジンはののしり声をあげたくなる。が、仕方がない。
「行方不明だった襲撃犯の一人が見つかったんだな?」
それだけでも前進だ。
「そう、男が見つかったんだ!だけど…」
今までの勢いはどこへやら、カジカの目は許しを乞うように潤み始める。
「だけど、なんだ?」
「お寺に入っちゃって…」
「お寺?寺ってなんだ」
「ほら、お寺だよ、お坊さんがいる」
「そんなことはわかってる!なんでチンピラが寺に入ったんだ」
「それが…」
カジカの説明を聞いているうちに、ジンはまた頭を抱えることになった。いわく、男は天のお告げを受けて修行の道に入ったのだという。実はある地方の裕福な寺が実家であるその男は、寺を継ぐべき長男などというおもしろくもない立場から逃れて都会で華やかな生活をしようと首都に出てきた。特に目的もなく都会に出てきた地方の人間にありがちな罠に男も嵌り、家から持ち出した金をあっという間に使い果たし、そのまま転落した。だからといって地元に帰るわけにはいかず、その日暮らし、根無し草のような毎日を送っていて、今回の一件にひっかかった。
しかし、男にとっては、これが契機となったのだ。目が覚めたと男は言った。しょせん都会のきらびやかな生活などまやかしなのだ。虚飾にまみれた俗世を捨てて、寺を継ぐべくすでに頭を丸めて宗教名を授かり、精進潔斎の道に入ったのだという。
ジンのこめかみに青筋が浮き出す。
「どうにかならないのか!その男に話を聞かないと二人の行方が分からないんだぞ!」
ジンに詰められて、カジカは余計に瞳をうるませる。
「それが、男の実家が太くて」
「太い?」
「古くに開かれたお寺とかで、総本山なんだよ。そこの宗主の息子なんだ。寺のほうは、今までのいきさつなんかどうでもよくて、とにかく、帰ってきた息子を二度と逃がしたくないみたいで、すでに宗教的に生まれ変わった息子の罪は俗世に置いてきたから不問だとかなんだとか」
「そんなのが通るわけはないだろう!」
血管が切れんばかりに叫ぶ。タイカンでは寺はかなりの権力を持ち、国民の信仰も集めている。特に地方の大きな寺ならばガードが堅いのは明らかだ。だが、ここで諦めるわけにはいかない。
「他国から預かってる留学生の行方不明に関係してるんだ!圧力をかけて引きずり出してやる」
まずは寺関係のコネを当たれ、俺は『第七』の卒業生からのルートを探す、とカジカに言った時だった。控えめにされたノックに、ジンは『すわ吉報か!』と期待したが、それは一瞬で打ち砕かれた。それは、ニーレから関係者が訪れたという知らせだった。
「あなたが責任者の方ですね」
急ぎ応接室に向かったジンが見たのは、自分とほぼ同じ体格の男だった。窓際に立った男は、長い髪をゆらして振り向いた。部屋の中央のソファには、アール・メディアが座っている。
「セイン・ジャメックスです」
名乗ると男は慇懃無礼に頭を下げた。わざとらしいほど余裕のある態度に、ジンは初手から不利な立場に追い込まれる。
「責任者のジン・ルファスです。遠いところ来ていただき、申し訳ない。どうぞおかけください」
緊張しながらソファを手で示したが、セインはゆっくりと頭をふった。
「そちらこそ、お忙しいところ来てくださったのでしょう?せかして申し訳ないのですが、現時点での状況を教えていただきたい」
男の口調は丁寧で、表情にも苛立ったところはない。が、醸し出される圧力に背筋を汗が落ちていく。
アール・メディアが国に連絡をとったと言ったのは一昨日のことだ。ニーレの首都ニーアムからここまでは馬を走らせて丸二日はかかる。セイン・ジャメックスというこの男は、知らせを受け取ってから休むことなくここまでやってきたのだ。
「それが、大変申し訳ないのですが、まだコーラ・ラスターさんとDD・トーメさんの行方はわかっていません」
どうしてこんな言葉を口にしなけらばならないのか。最悪な気分で告げたジンに、男は一歩近づいてきた。
「大体の経緯はアールに聞いていますが、あなたの口からも一度お聞きしたい」
有無を言わさない口調だった。ジンは唇を噛む。
「なぜこんなことになったんでしょうか」
「申し訳ありません。私の失態です」
人生で初めて自分の過ちを認める。ジンにとっては大きな成長の第一歩だったが、そんなことはセインにとっては毛の先ほどの関係もない。
「私は具体的なことを聞いているんです。あなたが責任者なんですよね?」
重ねて訊かれ、ジンは顎を引く。
「他国の学生を預かっておきながら、保護する義務を果たしていなかったということでしょうか?」
セインがぐっと胸を突き出した。それに呼応して、いつも誇らしげに張られているジンの上半身が後ろにさがる。
「DDはあなたに問題の解決を図ってくれるように直談判したと聞きましたが、あなたはそれをまともに受け取らなかったそうですね」
二人の身長はそう変わらない。なんならジンのほうが高いくらいだ。が、威圧感に押されてジンは自分が小さくなったように感じた。セイン・ジャメックスの口調は、あくまでも穏やかだった。言葉遣いは丁寧なままだったし、大きな声を出すこともなかった。が、今のジンはまるで崖の際に追い詰められた草食動物だ。
「今後のことをあなたにお願いしても大丈夫なのでしょうか。あなたを信頼してお任せしてもよろしいのですか?」
もちろんだ、と答えたいところだったが、今のジンにはそれを口に出す勇気はない。今まで何の疑いもなく寄せていた信頼が揺るぎ、今自分の立っているところさえ怪しいのだ。できることなら弱音を吐いて逃げ出してしまいたかった。が、そんなことができるはずもない。
ジンはぎりっと唇を噛んで、前に立っている男と目を合わせる。
「必ず二人を見つけます」
絞りだされた言葉にもセイン・ジャメックスの顔色は変わらなかった。
「私はこの国のことはわかりません。あなたにお願いするよりないのです」
穏やかに、しかし逃げ道をふさぐように言う。ぎりぎりまで追い詰められて半歩退き、足元の小石が崖下に転がっていく。あと数センチ下がれば転落だ。が、そこでジンははっと気が付いた。
目の前の男は、この事態をタイカンのせいだとは言っていない。そう言うことだってできるのに、男は『あなた』という言葉を選んで使い、ジンの責任だと言っている。つまり、タイカンという国としての責任を追及せず、猶予を与えてくれているのだ。同時に、今は静観するから早く事態を収拾しろとジンに求めている。ジンに対しても時間を与えてくれるということだ。
「必ず二人を見つけます」
さっきと同じ言葉だが、ジンはそう言った。
目をじっと覗き込んでいたセイン・ジャメックスは、その言葉を聞くとアール・メディアのほうを見やった。二人の間にアイコンタクトがあり、ジンに視線を戻したセインは鷹揚に頷く。『思ったよりアホでもないらしい』というセインの評価には気付かないジンだった。