10:こちらが許容しているからといって舐めてもらっては困るのだ
翌日になっても、翌々日になっても、カノメ・カジカから連絡はなかった。
「早急にって言っただろうが」とDDは吐き捨てる。
その日も終わろうとしている時刻、二人はそれぞれのベッドの上にいた。
「…悪いね、全部DDに任せきりで」
二メートルほどの間を挟んだ隣のベッドで膝を立てて座っているアールが、うつむいたまま言った。
「らしくないね、アール。そんなこと言うなんて」
DDは自分のベッドから鼻を鳴らした。アールが実は気を遣う質で、いつも自分とコーラに申し訳なく思っていることをDDは知っていたが、今は嗤ってやる。
継承権のある立場で、公に動くことができないアール。DDとコーラが自分をガードするために一緒に派遣されてきたことを、アールは気にしていた。
気にするだろうことはわかっていたし、気にする必要はないと言ってもアールの気を鎮める役に立つと思ってもいなかった。仕方がないのだ、それぞれに立場があり、できることとできないことがある。それを三人ともわかっていて、今ここにいるのだ。
「これは俺の役目。そのうちお前が表に立たなきゃならない時が来る。それまではつかみどころのないヤツでいた方がいいんだから」
「そうだな…」
二人の部屋の窓ガラスが小さく音を立てたのは、その時だった。空耳かと思うほどの小さな音は、二度三度と続き、顔を見合わせた二人は、窓の外をうかがう。
「まさかコーラじゃないだろうな」
窓に小石を投げて、誰かが二人の注意を引こうとしている。冬の始まり、冷たい空気が吹き抜ける裏庭の木の陰に、人影が見えた。
「誰だ?」
用心しつつ顔を出すと、冬を思わせる匂いがどっと部屋に吹き込む。木陰に隠れるように一人の女子学生が立って、こちらを見上げていた。
「…ズミン?」
つぶやいたDDが大きく窓を開けると、木の下から出てきた女子学生は、祈るように胸の前で組んでいた両手をパッと離し、DDを手招きする。
男子と女子では寮の行き来を禁じられている。もしばれたら何らかの処分が下されることは明らかだったし、『第七』では集会があるたび、学校側からその旨の注意喚起が行われていた。
規則を犯してまでDDを呼びに来ることがあるとすれば。
DDはぬくぬくとした布団からすぐに飛び出して裏庭に向かう。並走しているアールが「あの子は?」と尋ねた。
「ズミン・イナミ。同じ授業をとってる子だよ」
「知り合い?」
「ちょっとね」
階段を駆け下り、玄関まで来ると、門の外に移動して落ち着かない様子のズミンが目に入る。
「DD!」
「どうしたの」
女子寮のほうへ体を向けてズミンは言った。
「変な男たちが寮に入ってきたの。きっとイスラが入れたのよ」
それだけ聞けば十分だった。
「知らせてくれてありがと」
「二階の二〇八」
「了解」
答えて、DDは速度を上げる。隣接する女子寮はすぐそこだ。門を潜り抜け、玄関に飛び込む。夜更け近く、すでに消灯時間を過ぎた女子寮には人気がなく、二人は見咎められることなく階段を駆け上る。
二〇八の扉は閉まっていた。走ってきた勢いそのままにDDがドアを蹴破ると、狭い部屋に男が三人立っていた。それともう一人が、ベッドの上でコーラに覆いかぶさっている。
「コーラ!!!」
躊躇せず、一番手前の男に飛び掛かる。突然入ってきたDDに男は受け身もとれずに押し倒され、肘の関節をあっという間に固められ、逃れようとしたときにはすでに腕があらぬ方向に曲がっていた。
「ぎいいいいい!」
叫び、のたうつ男から飛びのいて、DDは次の男に向かう。その間にアールも一人を蹴りで仕留め、ベッドから慌てて立ち上がった四人目に腕を伸ばした。するりと後ろに回ると首に腕を巻き付け、背中に張り付き両足で男の動きを制限する。長身のアールを背中に背負い、男はなんとか拘束から逃れようとしたが、その間にもアールの腕には力が込められていく。
「ギ!!!ギブ!ギブア…プ…だ…」
辛うじて動く左手の手首から先を動かして男は絡んでいるアールの足をタップしたが、タップを降参の合図とするルールはここにはない。その三秒後には、白目を向いた男は頭から床に落とされる。
「コーラ!!」
一足先に敵を倒したDDはベッドに駆け寄り、動きを止めた。
やばい。
楽しそうだ。
そう思った時には遅かった。ベッドからびよんと飛び出てきたコーラに抱きつかれ、バランスを崩す。
「うけけけけ」
コーラの底が抜けていた。来てくれると思ってたよ、だからぎりぎりまで我慢してたんだ、けどもう限界、反撃ってタイミングで二人が来てくれたんだよ!
腕をDDの首に巻き付け、両足は腰のあたりに固定したコーラが、もてる筋肉の総量を駆使して波みたいに体をくねらすから、DDはよろけた。
私もやりたかった!けどアールもDDもすんごい早業でかっこよかった!
師範代に褒められれば光栄だが、今のDDはいいように揺さぶられるばかりで答える隙さえ与えてもらえない。下手をすれば息すらできない。
顎をがくがく揺らしていると、やっとアールが止めに入ってくれた。興奮して理性を失っているコーラを引きはがし、腕の中に抱え込むと、よしよしと背中を軽く叩く。
「…ごめん、コーラ」
ぐるぐると喉の奥から変な音を出しているコーラ相手に、アールは聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で囁いた。瞳孔を開いて目を輝かすコーラに向けられた謝罪は、なんだか場違いに見える。が、そう言ったアールの気持ちが、DDには手に取るようだった。
外国で、寝しなに襲われた。
いくら強くてもコーラは女の子だ。
怖くなかったわけがない。
コーラが自分のためにぎりぎりまで我慢していたことをアールは謝っているのだ。
「何がごめん」
コーラはそう言い捨てる。その気持ちも明白だった。
この状況を、コーラが楽しんでいるのは間違いない。コーラなら自分の身を守れたから。けれども、誰かに故意に傷つけられようとしたのは紛れもない事実だ。動揺していないわけがない。
それでもコーラが気丈でいるのは、駒だという自覚があるからだ。大きなうねりの中で自分の役割を理解し、ニーレの、それ以上に、親友の盾になっていることをコーラは誇りに思っている。
痛いような二人の気持ちを皮膚から吸収して、DDは行動することにする。
やられっぱなしは性に合わない。