勝手なあなたを、好きになってしまった
どうにも勝手な人だと思った。
「好きです!付き合ってください!」
大学のキャンパスのど真ん中に目の前の彼の声が響き渡る。
「あっ、ちなみに行きたいデート場所がありまして...」と早口にのたまう彼を、私はちょっとちょっと、と止めた。何せ、告白の返事すらしていないし、そもそもここはキャンパスだ。周りの学生の好奇の目線になんぞ耐えられたもんじゃない。
「ちょっと場所を変えようか」...これが、私ができる最低限の譲歩だった。
適当なファミレスに入る。私にとって彼は、全く知らぬ人ではない...というよりよく知っている人物だ。なんせ彼はサークルの後輩だ。しかし、好意を持たれているとは知らなかった。
「...で、どうでしょうか」
「え?何を?」
「さっきの告白の返事ですよ!全くもうあなたのそういうところも素敵なんですよね、天然とは言いませんけど、えーっと...」
ため息混じりに言葉が勝手に口から出て行ってしまった。
「どうにも勝手な人ね」
「え?」
「こう矢継ぎ早に話されても、私の言葉の出る幕がないじゃない」
天然なのは全くどっちの方なんだ、と言わんばかりにため息が続く。しかし、その結構な勝手さを除けば、いや除かなくても、彼は善良な人だ。私に警戒感はなかった。
「こっちは好意を持たれているなんて知らなかったんだから、もう少しゆっくり話して」
「...はい...すみません、なにから話せば良いでしょうか?」
「そうね、なぜ私と付き合いたいの?まずはそこから教えて頂戴」
「うーん、一目惚れっていうか...」
「それ理由になってないわよ」
「あなたならそういうと思いましたよ...まあ強いて言えば、目ですかね」
「目?」
「ええ、目ですよ。知的で鋭い目をしていて、それでいて気配りもできる優しい眼差しで、」
私は、数々の人間から繰り返される凡庸な褒め言葉にはぁ、とまたため息をついた。もうこの話は終わりにしようと口を開きかけた時、彼の言葉はこう続いた。
「…そして、人を信じていない」
「…へぇ?」
私は意地悪な笑みを浮かべた。はて、見抜かれたか、と。
「えぇ。というよりは、愛というものを信じていない、そういう目をしているんですよ。...僕と同じようにね」
「...それはどうも」
「僕と同じ目をしたあなたを見て、どうにも好意が沸いてしまったみたいなんです。僕って愛は信じませんが、恋は信じていますから」
「私が愛を信じていないというのには、同意するわ...あなたもそうだとは思わなかったし、そうね、見抜けなかったけど」
「...それで、どうです?あなたに恋をしている僕と、愛を探す気にはなりませんか?こんなクサい台詞、貴女にしか言いませんよ?」
「...わかった、わかったわよ」
私は折れた。私からは何も喋らずとも、ここまで見抜いてくる彼に興味を持ってしまったというのもあるが。私は彼に手を差し出した。
「よろしくね」
「...!ありがとうございます。あっ、それで、行きたいデート場所というのはですね...」
…ふふ、と笑い声が漏れる。
「どうにも勝手な人ねぇ」
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やはり彼は勝手な人である。
テスト勉強があるから、という私を家から引っ張り出し、紅葉の盛るドライブロードに連れ出したかと思えば、怒涛のテストとレポートを終えて疲労困憊な私をテーマパークに連れてきて、引っ張り回す。人を避けて生きてきた私にとっては目が回りそうなのだが、彼はそうではないらしい。
「次!ジェットコースター行きましょう!」
「ちょっと、少しはこっちの事情も考えてって言ってるじゃない、私倒れそうよ?」
「そんなこと言って口元が緩んでますよ、さっきから」
無理やり被せられた大きいリボンのカチューシャは、私に似合っているのだろうか。
「似合っていますよ、貴女はやはり素敵です」
ふとした思考に被せられた言葉に、私は驚く。
「あなた勝手に私の頭の中覗いてるんじゃないかって思うことあるわ」
「不満ですか?」
「いいえ、不満ではないわ...わかってくれる人がいるっていうのは良いものね」
「はは、正直になりましたね」
「...うるさい」
私の顔は赤くなってしまった。
色とりどりの空間を眺めながら、私たちは手を繋いで歩いた(私はどうも人に慣れていないもので、手をつなげるようになるまでにも時間がかかった)。誰かが手を繋いでくれるなんて、何年ぶりだろう。手を繋ごうとして、乱暴に振り払われた幼少期を思い出して、目が眩む。
「...どうしました?」
“まるで何もなかったかのように”私は笑って見せた。
「いいえ、なんでもないわ」
「嘘も方便とは言いますがね、僕の前では嘘をつかなくても良いんですよ?」
「嘘なんかついてないわ」
「...それなら良いですけど?僕の洞察力舐めないでくださいね?...それに、僕があなたを大切に思っていることも忘れないでくださいね?」
「...じゃあ、もう少しだけ、手を繋いでくれる?」
「…! もちろんですよ…あ、チュロスだ!食べに行きましょう!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
人というのは、どうにも勝手で、こんなにもあたたかいらしい。この時、少しだけ私は幸せというものを噛み締めることができるようになっていた。
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「あなただって自分勝手になっていいんですよ」
ふと彼が言う。雨がしとしとと降るスーパーの帰り道のことだった。
「僕に『自分勝手ね』といってあなたはよく笑うけれど、あなたがそんな僕を好きになってくれたのも知ってるけど」
「随分な自信ね」
「間違ってます?」
「…いや、合ってるけど」
「ほらね…それならあなたも自分勝手になっていいんですよ、きっと」
「…じゃあ、教えてくれる?」
「何をです?」
「愛って何だか、あなたには解った?教えて欲しいの」
「…難しいことを聞きますね、だって僕にも解らないのだから」
「…そう」
「しかしですね、1つだけ分かることが。貴女、自分に生きている価値は無いと思ってるでしょう?」
「…!」
「それを全力で否定したい、でも否定することで貴女を傷つけたくない、この葛藤は、愛と呼べる気がします」
「…」
途端、彼は私の傘を奪った。
「え?何するの⁈」
「ほら、こっち来てください」
急に、抱きしめられた。
抱きしめてもらえるのは、何年振りだっけ、と思うより前に、そのあたたかさに涙が出てきて、止まらなくなった。
「ねぇ、お願い、私の我儘を聞いて?ずっと一緒にいて?」
私は子どものように泣きじゃくる。
「もちろんです」
少し笑って私は言う。
「…私も大概、自分勝手ね」
彼はゆっくりと言葉を返した。
「…これは勝手とは呼びませんよ」
「ただの、愛です」
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抱きしめられる強さと印象の強さというのは、比例するのだろうか。
彼が私に抱きついている。強く、強く、抱きついている。あぁ、何が起こったんだっけ。轟音がしたのは、覚えているのだが。
私は周りを見渡してみる。
そうして、私が目にしたのは、「赤」だった。
紛れもなく、どうしようもなく、「赤」だった。
眩しい夕日。点灯する自動車用信号。
そして、私の手にベッタリとついた、血。
景色が頭に入ってくる。縁石を乗り出したトラック。折れた電信柱。あぁ、私たちは事故に遭ったのだ。
「…⁈」
途端に頭がクリアになる。私は、私は、彼に庇われたのか。彼は、彼は無事なのか。
「ねぇ、起きて、起きてってば」
私は彼に声をかける。
「…ごめんなさい…痛い所…ないですか」
「私は大丈夫よ、本当に」
「…なら…よかった…」
「ねぇ、なんで私を庇ったの、こんな怪我までして」
「なんでって…そりゃぁ…貴女を…愛して…いる…から…」
「ねぇ、お願い、無事でいて」
「さぁ…どうかな…もう目が霞んできていて…」
涙が溢れてきて止まらない。
「そんなの、許さない、どうして、あなたが、」
「…ねぇ…僕からのお願い…聞いてください…最後に…」
「最後なんて言わないで」
「…お願い…貴女は…生きて…お願いだから…愛しているから…」
「何よ、ずっと一緒って言ったじゃない、勝手なんだから…!」
彼は優しく微笑み、私の腕の中で力を失った。
私は、私が悲鳴を上げるのを、ぼんやりとした意識の中で感じていた。
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「どうにも勝手な人よねぇ」
小さな仏壇に彼の写真を置き、冗談めかして私は呟く。結局彼は私を置いて、先にあの世へ行ってしまったらしい。私にまだ実感は湧かないけれど。
「私もいつの間にかあなたを深く愛してしまったのね、それなのに、先に逝ってしまうなんて」
ねぇ、聞いてるの?と言わんばかりに、コツコツと彼の遺影をつついてみる。その途端、窓からひゅうっと風が入ってきた。彼の「わかってますよ」という笑い声を運ぶかのごとく。
「あなたを追って天国に行っても良かったのよ?でもあなたは私に生きろと言ってくれたから…」
頬を涙が伝う。
「私は、生きるよ」
愛すべき、自分勝手なあなたのいない世界を。
だから、見ててね。いつかまた会う日まで。