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第26話 ソラちゃんのコーヒー

 カリンちゃんたちが遊びに来てから数日後のある午後。

 今日も客のいないシリウスでいつになくソラちゃんは緊張していた。わずかに震える指先で、静かにコーヒーの入ったカップを俺の前へ置く。


「お、お待たせしました」


「いただきます」


 俺はさっそくカップを手に取った。香りを確かめてから、ゆっくりと口にする。

 ソラちゃんはまだ緊張したまま、おずおずと尋ねてくる。


「……どうですか?」


 俺はカップを置いてから、正直な感想を述べた。


「うん、前よりさらに良くなった。おいしいよソラちゃん」


 ぱあっとソラちゃんが笑顔になる。


「よかった〜〜!」


 ソラちゃんは店員になった当初からコーヒーの入れ方を教えてほしいと俺に頼んできた。以来コツコツがんばってきて、今では立派に一人でコーヒーを入れられるようになっている。最初は器具すら何もわからなかったのだから大変な進歩だ。

 二口目を飲みながら俺はしみじみとつぶやく


「ソラちゃん、コーヒー入れるのうまくなったなぁ」


「え? えへへ、マスターもそう思いますか?」


「ああ。そろそろ常連さんに試飲してもらって、そこで評価してもらえたらお店のコーヒーに出してもいいかもな」


「え、ええ〜!? そ、そんなお店で出すなんてまだまだです。自分の実力は自分でもよくわかってますから」


「そうか? 俺はもう十分な実力があると思うけど」


 香りがきちんと立ってるし、余計な雑味も出ていない。正直商品として十分なレベルに達していると思う。

 しかしソラちゃんはパタパタと手を振った。


「マスターに評価してもらえるのは嬉しいですけど、私まだまだまだだって思ってます。マスターの入れるコーヒーに比べたら全然違いますもん。ほんとコーヒーに関してはマスターの事尊敬してますから」


 コーヒーに関してはってなんだ。

 まあそれはともかく、たしかに俺は高品質のコーヒーを入れているが、それは俺が無駄にコーヒーにこだわっているだけで趣味の延長線上のようなものだ。

 ソラちゃんの腕前は前世日本のチェーン店カフェでも十分通用するレベルだと思う。


「俺はもう店に出していい水準だと思うけどなぁ」


「いえ。……私、初めてマスターのカフェオレを飲んだ時、本当に感動したんです。一杯の飲みものでこんなに人の気持ちを変えることができるんだって、驚きました。今でも覚えています。お店で出すならせめてその足元くらいまでにはなりたいです」


 ソラちゃんがぐっと力を込めて言う。どうも過大評価されている気がするが、俺のコーヒーの腕前を評価してもらえるのは素直に嬉しい。


「はは、まあソラちゃんが俺を目標にしてくれるってのは嬉しいよ。ちょっと照れるけどな。ま、のんびりがんばっていこう。俺はコーヒーが好きでうまくなったようなものだから、ソラちゃんも自分の好きなもの目指してがんばるといい」


「はい!」


 笑顔でソラちゃんが頷く。うーん、若さが眩しい。


 思えば、ソラちゃんはうちにはもったいないくらいいい店員だ。真面目だし、努力家だし、うちのコーヒーを好いてくれている。

 なにか、彼女の頑張りに報いてあげたい。

 もちろん給料はちゃんと払っているが、それに追加したご褒美的ななにかだ。


「ソラちゃん、なにか欲しいものはないか?」


「へ、なんです急に?」


「いやソラちゃんいつもがんばってくれてるからさ。この前も一周年のお祝いしたけど、なにかねぎらってあげたいなと思って。普通だと給料アップとかなんだが……」


「ええ!? いりませんいりません。これ以上私が給料もらったらほんとにこの店潰れちゃいますよ」


「いや潰れる心配はしなくていいんだが……。しかしまあお金だけってのも味気ないしな。そうだソラちゃん休暇はどうだ? うちで働き始めてから長期休暇取ってないだろ」


 この世界で休日という概念は薄く、商人も冒険者も年中無休で働いているものが多い。

 だが俺は前世の経験から、ソラちゃんには週休二日制で働いてもらっている。うちの店で雇う従業員には、俺みたいなひどい働き方はしてほしくないのだ。


 ただシフト制の休日はあっても、夏休みや冬休みみたいな長期休暇は出していなかった。俺としたことがうっかりこの世界の常識に引きずられていたみたいだ。


 前世でサラリーマンをしていた時、俺がもらって一番嬉しかったものは長期休暇だった。ソラちゃんにゆっくり休んでもらうのも悪くない。どうせ店は暇だからな。


 と思ったのだが、ソラちゃんは困惑した顔をする。


「え、長期休暇ですか? その、今生活苦しいわけではないんですけど、長く休むのはさすがに困るっていうか……」


「ああ違う違う。有給休暇ってやつさ。休んだ分もちゃんと給料は出すよ」


「働いてないのに給料が出るんですか!?」


「俺が前いた国では、そういう制度があったんだ」


 みんなが使えていたわけではないが。


 悲しい。


「そ、そんな国があるなんて……天国じゃないですか! なんでロワール王国なんかに来たんです?」


「はは、まあちょっともう帰れなくなっちゃったんだけどな。色んな事情でね。それよりソラちゃんこそたまには休んで実家に帰省とかどうだ? ここで働き始めてから一度も帰ってないだろう」


 そう言うとソラちゃんの顔が曇る。


「ああ〜。そういう意味では私も、家に帰るのはちょっと、できないですね……」


 しまった。


「すまん、立ち入った話をしたな。悪かった」


「あ、いえいえ。家に帰りたくないとかではないんです。両親も健在です。ただちょっと。私の方に事情がありまして」


 ソラちゃんが慌てて首をふる。しかしその顔は曇ったままだ。失敗した……!

 なんて迂闊だったんだ俺は。若い子のプライベートにうっかり言及するなんて。しかもデリケートな話題を。


 最初面接に来たときから、ソラちゃんに何らかの事情があるのは気づいていた。家出か何かだろうと思っていたのだが、この感じだと単純な家出でもなさそうだ。

 ソラちゃんが、ややわざとらしく明るい笑顔を作る。


「というわけで、せっかく休みを頂いてもやりたい予定はないですね〜。まあそのうち用事ができるかも知れないので、長期休暇はその時にとっておいてください」


「ああ……」


 しかしお金も休暇も保留となると、どうしたら(ねぎら)えるものか。


「あの……」


 その時、ソラちゃんがこそっと小さく手を上げた。


「もしなにかして下さるなら、厚かましいですがお願いが」


「なんだい?」


「私、マスターの作る特別なケーキが食べたいです」


「ケーキ?」


「はい、この前カリンちゃんたちもケーキ食べてたじゃないですか。あれを見てたら最近ケーキ欲求がふくらんでまして」


「構わないが、そんなのでいいのか?」


「何言ってるんですか、マスターの作ってくれるケーキなら世界一の贈り物ですよ! 私前にマスターが作ってくれた、チーズケーキやショートケーキ、モンブラン忘れられなくて……じゅるり」


 すでに思い出して頬をゆるめるソラちゃん。うーん、そんなにおいしかったのか。

 まあ、楽しみにしてくれるなら悪い気はしない。


「よーし、それじゃあソラちゃんのために、最高に美味(うま)いケーキを作ってやろう。デコレーションも凝ってな」


「わーーーーい!」


 本当に嬉しそうにソラちゃんがはしゃぐ。

 ケーキ作りか。普段は趣味でしか作らないから自己満足だけだが、ソラちゃんのためとなると俄然やる気が出てくるな。

 俺ができる最高のケーキを作ってやろう。


 となると……お、あれがいいな!


「ちなみにマスターはどんなケーキ作ってくれるんですか?」


「内緒だ。できるまでの秘密ってことで」


「う〜〜知りたい。けど我慢します」


「はっはっは。もったいぶるわけじゃないが材料を準備してから作るから、数日待ってくれ」


「期待してますよ!」


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