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喫茶店『舞夢』の忙しない一日(『舞夢』二号店について)

 『舞夢』の客席カウンターテーブルは寝かせたL字型になっている。

 席数は、長辺に十席、短辺に三席、合計十三席だ。

 でも、短辺にあたる三席のテーブルの上には、カレー用のお皿と把手付きのスープカップが置かれている。

 厨房が狭いので、調理が終わったカレーや日替わりのスープはスープウォーマーに移して、カウンター内の作業台に置く形にしている。業務用の五リットル入るものを使っていても、カレーライスの注文が多いと、ランチタイム終了の段階の残り少なくなっていて、琺瑯の両手鍋一杯分を追加で仕込むことがある。

 一番テーブルに座ると、ほのかにスパイシーなカレーの香りが漂ってきて、カレーライスが食べたくなるという罠があるのだ。


 奥の席にオーナーが座り、私は手前の席に座るが、お客様から呼ばれた時にはすぐに対応できるように、気持ち身体を斜めに向けて座った。

 テーブルの上には、愛知県を中心に店舗ネットワークを広げている地方銀行のロゴが入った白い封筒が置かれている。『舞夢』のメインバンク(笑)であり、三鍋家のメインバンクでもある銀行だ。


「とりあえず銀行行ってきた。支店長自ら対応してくれて、前向きに検討してくれるそうだ」


 バブル経済が崩壊してから、新規の融資の審査は相当に厳しくなっていると聞いていた。でも、開業してから五年、売り上げは右肩あがりで、それなりの利益も出ているし、オーナーが三鍋家ともなれば、銀行も安心して融資ができるのだろう。


 二号店は、名神高速道路の一宮インター近くの幹線道路沿いにある土地に新規で建てる。将来的には、名古屋の都市高速も繋がる予定になっている。一宮市の中心部とも近い。

 稲沢の本店(一号店)からは、車で十分ほどの距離だから、私も律子ちゃんも真樹ちゃんも問題なく通勤できる。

 車社会の愛知県。利用客の殆どが車で来店されることを想定していて、駐車場は広めにする予定。

 近くには会社や工場もあるが、オーナーが近所にあるいくつかの飲食店に立ち寄って、食事ついでに情報を集めたところ、仕出し弁当や持参した弁当を食べる人が多くて、昼飯を外に食べに出るのは偉いさんくらい。なので定食的なランチメニューの需要は低そう。

 フランチャイジーの基準となる店になるので、お店の大きさやデザイン、厨房や店内の内装については、しっかりとしたコンサルタントをいれて細かいところを詰めていく。

 自己資金と銀行からの融資で、建設費と初期投資、それに当座の運営資金として一億円を確保した。

 基幹となるスタッフは、店長が美奈子、副店長兼フロアのチーフが律子、厨房責任者兼時間帯責任者が真樹。それにフルタイムで働くスタッフを雇い、時間帯責任者を任せられるように育てる。

 フランチャイジーがうまく軌道にのったら、運営会社として『株式会社舞夢』を立ち上げ、オーナーの娘さんである理恵さんが社長に就任。律子ちゃんと真樹ちゃんは運営会社に移って、様々な仕事にチャレンジしてもらう予定。


「まあ、これから一年くらいかけて、いろんな事を話し合って決めていくことになる」


 二十分ほどかけてオーナーが説明してくれた内容はこんなところだ……

 ちょうどパングラタンが出来上がり、アイスコーヒーと一緒に真樹ちゃんが持ってきてくれた。


「おおっ 結構、いい匂いだな」


 焦げたチーズとホワイトソースの香りが漂ってきて、待ちきれないとばかりにフォークを手にしたオーナーがさっそく、ホワイトソースの表面から突き出しているブロッコリーとベーコンにフォークを突き刺し、軽く息を吹きかけて、口の中を火傷しないようにゆっくりと口にした。

 焦げたチーズにホワイトソース。ブロッコリーにベーコン。そんな取り合わせが美味しくない訳がない。ただ、私が食べたものと違うのは、ほんのわずかにニンニクの香りがすることだ。


「真樹ちゃん、ニンニク入れた?」


「はい、パンをトーストする時にガーリックオイルを表面に塗りました」


「ガーリックトーストの応用ね」


「ええ、男性には受けるんじゃないかと」

 ニンニクの香りを避ける人もいるだろうけど、ガーリックトーストにするという発想は素直にすごいと思う。


「これは思った以上に美味いな。車じゃなければ、ビールくれって言いたくなるよ」


 軽く額に汗を浮かばせて、ハフハフと息を吹きかけながらパングラタンを食べ進めるオーナー。


「じゃあ、もう少しレシピや提供方法を考えますから、また試食して意見聞かせて下さい」


「おう、期待しているぞ」


 真樹ちゃんは、にっこりと笑ったあと、軽く一礼して厨房に戻っていった。


「オーナー。律子ちゃんと真樹ちゃん、二号店の話がまったく入ってこなくて、不安になってますよ」


 私は、パングラタンを食べ進めるオーナーを見ながら、先ほど二人と交わした会話の内容を告げた。


「あ~ 春あたりから忙しすぎて、あの二人とちゃんと話せてないな。今日は時間がないから、近いうちに話をする機会作るよ」


「今日の閉店後にも時間とれませんか?」


「今日は近所の神社の関係の会合が入っとるんだわ」


 丁度、手が空いていた律子ちゃんに声をかけてシフト表を持ってきて貰う。次の日曜日、律子ちゃんと真樹ちゃんが閉店までのシフトに入っている。うん、早百合ちゃんの穴埋めに私も入るから三人揃うね。


「オーナー、日曜の夜、閉店後にお時間頂けませんか?」


「日曜日なら空いてるけど、出来ればあの子達と話すときには美奈子ちゃんにも同席してほしいんだが」


「日曜日、私、夕方から閉店までのシフトにはいりますから」


「美奈子ちゃん、日曜は休みだろ?」


「はい、シフト変わって入りますから……」


「誰の代わり?」


「早百合ちゃんですね……」


「また早百合ちゃんか…… あの子は本当にシフト変更多いな……」


 オーナーは渋い顔をしてアイスコーヒーを一口すする。


「若い女の子ですし、久しぶりに会える人がいるそうなんで……」


「彼氏か?」


 私は否定も肯定も出来ないので曖昧に笑うしかない。


「理恵が言ってたんだわ、この子だけシフト変更が多すぎて面倒だってな」


「でも、当日に穴をあけるわけではな……」


「いや、そういう事を言っとるわけじゃないんだわ」


 私の言葉を遮ってオーナーは言葉を繋げる


「アルバイトとは言っても、仕事している以上は社会人と同じなんだわ、自分で決めたシフトはちゃんと守らんといかんでしょぉ?」


 ああ、出ちゃったよ。純度七十パーセントの尾張言葉。オーナー普段は標準語に近いイントネーションで話すけど、ちょっとでも気持ちが高ぶると地元のなまりが出てしまうのだ。


「はい、それはそうだと思います」


「美奈子ちゃんと早百合ちゃんじゃあ時給も違うだろ、あまり言いたくないが、そういう細かいところも考えなきゃだめだよ…… なにより週に一度の休みなんだから、しっかり身体をやすめてくれ……」


 言葉は厳しいけれど、オーナーが本当に私の事を思って言ってくれていることがうれしい。ちょっと鼻の奥の方がツンとしてしまう。


「はい…… ありがとうございます」


 父親とは縁遠い私にとって、オーナーは父親のような存在になりつつある。私が『舞夢』から離れられない理由の一つは、オーナーを始めとしたスタッフや、常連のお客様が本当に優しくて、人柄が温かい人が多いからなのかも知れない。

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