喫茶店『舞夢』の忙しない一日(モーニングサービス実施中)
朝の混雑は七時半から八時半の間がピークだ。
開店と同時にいらしたお客様は六名様。
アイスコーヒーを注文が増えるかなって予想をしていたけど、みなさん、いつもと変わらずホットコーヒーにモーニングセットを御注文。
厨房での仕込みの手を休めてフロアのヘルプに入ってくれた伊藤さんと手分けして、注文された商品を準備する。
カウンターに二段重ねで置かれたトースターに食パンを放り込み二分間加熱。
加熱している間に、私はコールドテーブルからサラダとデザートのバナナ(半分)取り出して、ゆで卵と一緒に木製のプレートにセット。伊藤さんは淹れたてのコーヒーをカップに注ぐ。
食パンのトーストが終わったら、素早く業務用バターを気持ち多めに塗りお皿に。それを伊藤さんが半分にカットしてプレートに。
六人分を四分少々で提供できるのは、ここ二年程早番でタッグを組んでいる伊藤さんとの連携が熟達の域に入っているからだろう。
基本、フロアは私一人でまわし、手が回らなくなりそうになったら伊藤さんがヘルプにはいる。
七時半を回ると常連のお客様以外も来店されはじめ、予想していた通り、アイスコーヒーのオーダーが入り、オーダーを捌くのに四苦八苦する。
そんな時にかぎって、ドリンク代プラス二百円で設定しているサンドイッチセットのオーダーが入ってしまい、混乱に拍車がかかる。
即クレームになるようなことはないけれど、お客さんをお待たせしてしまうのは本当に申し訳なく思ってしまう。
そもそも、五十席をランチの仕込みしながら二人で廻すシフト自体に無理が有るんだけれど、私と伊藤さんが無理矢理に廻しちゃっているから改善されないんだよね。
八時少し前になると、役所関係のお客様が申し合わせたように席を立ち、入れ替わるように、警察署に免許の更新手続きに来たお客様が来店される。講習の受け付けは九時開始。それまで時間調整の為に来店される方は多い。
困るのは、近くにコインパーキングが殆どないので、うちのお店でコーヒーを飲んで、車を置いたまま警察署に行かれるお客が多いこと。
まあ、講習は一時間程度で終わるから、あまり長時間停めないかぎりは黙認している。
ごくたまに、市役所や市民会館等で大きな催しがあると、二人で廻すのが無理になって、店の近所に住んでいる店長を電話で叩き起こして緊急出勤させる事もある。けれど、今日は二人でギリギリ廻せる程度の混雑だ。
カップやサラダボウルを食洗器にかけていると、鯖を煮る甘辛い香りが厨房から漂ってきた。豚肉のほうも伊藤さん特製のオリジナルダレに漬け込み中。仕込みの方も、とりあえず一段落って感じかな。
「美奈ちゃん、なにか手伝うことある?」
「いまのところ大丈夫です。ちょっと休んでください。」
じゃあ、お言葉に甘えて~と言いながら、厨房におかれた丸椅子に座る伊藤さん。
「アイスコーヒー持って来ましょうか?」
「う~ん、今はいいや……」
今朝は少しばかりお疲れのようで、左手で右肩をトントンと叩いてる。
「なんだか疲れてますね」
「まあね、息子も娘も面倒臭い年ごろだからさ~」
確か伊藤さんのところのお子さんは、高校生のお兄ちゃんと中学一年の妹ちゃんの二人のはず。
よく土曜のお昼時に、兄妹二人でご飯を食べに来ていたけれど、いつの間にか姿を見せなくなってしまった。
「反抗期ってやつですか?」
「そうね、上なんか私のことをババァ呼ばわりよ。一人で大きくなったような顔してさ……」
早番でコンビを組んでいるから、伊藤さんの家庭に関する話(愚痴)を聞く機会は多い。
お兄ちゃんは小学生の頃まで家の手伝いを率先してやってくれるような優しい子だったけれど、中学に入って、部活で仲良くなった友達と行動を共にするようになってから、ちょっと良くない方向に変化してしまったようだ。
妹ちゃんは、母親が朝早くに仕事に出ることをいいことに、無断で学校を休みがちになっていて、伊藤さんの気苦労は絶えないようだ。
旦那さんは子供のことは母親に全面的にお任せっていうタイプ。旦那さんの態度が目下のところ一番のストレスらしい。
「旦那は旦那で、息子とぶつかるのを避けたいらしくて全然注意しないしさ~」
「そうなんですか〜」
私には、家庭における父親という存在がどういうものなのか判らないので、肯定だけに留めておいた。
伊藤さんの旦那さんはオーナーの親戚筋の人だ。旦那さんの御両親と同居で専業主婦だった伊藤さん。『舞夢』がオープンして、早番のスタッフが定着しないことがあって、料理上手なところをオーナーに見込まれて早番専門のスタッフとしてスカウトされた。
私は稲沢に引っ越してくる前、病院の調理場でアルバイトをしていたことが有る。その時に大量調理の経験はあるけれど、複数の料理を同時に手際よく調理する要領は伊藤さんの方が良い。
病院だと塩分がカロリーがって制約が多いけれど、男性客メインのランチとなると、味濃いめで白いご飯がすすむ家庭的なメニューの方が人気がある。
今後、具体化するであろう二号店でも、和定食的なランチメニューを出すなら、伊藤さんのような調理が主体のスタッフを探さなければならないので、オーナーにとっても頭の痛い問題だ。
その後も、多少の波はあっても、コンスタントにお客様が出入りして、九時半を回った時点で、準備しておいたモーニングセットは残り五人前になった。