喫茶店『舞夢』の忙しない一日(出会いⅤ)
律子ちゃんの話を聞き終えた美奈子さんがこちらに歩いてきた。喫茶店の従業員と聞いた後で彼女の姿を見てみると、太めの黒いズボンと白シャツというスタイルは、律子ちゃんが着ている店の制服のデザインに共通するものを感じさせるスタイルだった。
「あの、律子ちゃんを送って頂いてありがとうございました。警察への連絡も代わりにやって貰ったみたいで、その上、紅茶まで買って頂いて・・・・・・」
彼女はひどく申し訳なさそうな表情で謝り始めた。ただ、その言葉の陰には、感謝よりも困惑が滲み出ているような気がした。
まあ、気持ちは判らなくもない。普段、他人に尽くしてばかりの人間は、自分が他人から親切にされると、逆に居心地が悪いのだ。
「110番とか119番に連絡するのって普通は緊張するよ」
「でも・・・・・・」
「さっきも言ったけど、俺はトラックドライバーだから、一日に短距離で百五十キロ、長距離だと千キロ近く走るんだ。当然、他の人よりも事故をみかけたり、車が故障したりするのに遭遇する確率が高いから、緊急通報に悪い意味で馴れちゃってるんだよ」
「千キロ・・・・・・ トラックのドライバーさんて本当に大変なんですね・・・・・・」
一日に千キロ走ると聞いて彼女は面食らったようだ。まあ、さすがに千キロの路程の時は高速道路利用がメインだから適度に休憩しながらなら、それほどキツくはないんだけど・・・・・・
「明日は長野に。明後日からは九州方面へ。今週はちょっとハードなんだ」
「そんな大変なお仕事なのに・・・・・・ 巻き込んじゃって本当にごめんなさい」
「いや、君の方こそ、今日は朝から閉店まで仕事してたんでしょ? 律子ちゃんが言っていたよ、毎日、朝から夕方まで働いてるって」
「律子ちゃんがそんな話を!?」
「毎日働き過ぎだって律子ちゃんが心配していたよ。まあ実際、君がいないとお店が回らなくなるかも知れないけど、事故の直後って、気が張っているから、痛みとか感じないけど、後になって痛みが出て病院に行って診てもらったら、骨にヒビがはいっていたなんてこともあるから、明日は大事をとって休んだ方が良いよ」
「・・・・・・」
ここで黙るってことは、明日も朝から働く気でいるってことだな・・・・・・
「あと、余計なお世話なんだろうけど、従業員を自宅に送ってる途中の事故だから、業務上の事故って言えなくもない。君が加入している保険契約の内容によっては、保険屋が色々と言ってくる可能性があるから、オーナーさんと律子ちゃんの親御さん交えて、よく話し合っておいたほうがいいよ」
「でも、事故は私の運転が下手くそだったからで!」
「責任を全部、自分で被ろうとすれば、律子ちゃんが責任感じちゃうよ。どういう結論になるかは別として、ちゃんと話し合っておかないと、後になって揉めることもあるから」
「・・・・・・わかりました」
その表情からして納得はしていないんだろうけど、これ以上、部外者の俺が口を出す事ではないな。
でも、俺の知り合いで、学生時代からの付き合いだった友人が、出先でレンタカーで事故を起こしたことで、修理費用の負担の割合で揉めて縁が切れたって事例もある。この事故が発端になって、美奈子さんとオーナーの関係が悪化したり、律子ちゃんが美奈子さんに引け目を感じてバイトを辞めるとかしてほしくないからな。
「そういえば、お名前と連絡先を教えてもらえませんか? 助けていただいたお礼をさせてください・・・・・・」
めんどくさいから教えません。そう答えたら、彼女はどんな顔をするんだろう?
そんな悪戯が思い浮かんだけど、それはあんまりにも悪趣味が過ぎるだろ
「お礼なら、さっきからずっと言ってもらってるよ」
「でも、言葉だけじゃなくて、ちゃんとした形でお礼がしたいんです。じゃないと、私の気持ちが収まりません」
俺の返事を聞いた美奈子さんは、うつむき加減だった顔をしっかりと上げ、それまでよりも強い口調でそう言った。
「いや、本当に大したことしてないんだから」
「そちらにとっては大したことじゃないかも知れませんけど、私と律子ちゃんにとっては、助けてもらったこと、感謝してもしきれない事なんです」
別に事故で怪我をしたのを応急処置をしたわけでもない。単に二重事故防止の処置と通報の手助けをしただけに過ぎない。でも、こちらにとっての軽い協力程度のことが、当事者の彼女たちにしてみれば、困った状況に颯爽と現れたヒーローに助けられたってことか・・・・・・ 随分とむさ苦しいヒーローがいたもんだ。自嘲するしかない。
正直、頼まれてもいないのにお節介が過ぎたと反省しているところなのだ。若い女性との繋がりを得たいから助けたなんて誤解されるのも心外だ。名前や連絡先を聞かれたとしても答えるつもりはない。匿名希望の通りすがりの人でいいんだ。
「お礼は、今の君の言葉だけで充分です。お礼の品が欲しくて助けたわけじゃないから……」
「でも!!」
「美奈子さん」
これまで、俺と美奈子さんの会話を黙って聞いていた律子ちゃんが美奈子さんに声をかけて、何やら目くばせしている。彼女の意図は判らないが、美奈子さんは、お礼についてそれ以上は口にしなかった。
会話が途絶えて三分ほどして律子ちゃんの弟さんの運転で親御さんが駆けつけてきた。日産の最高級セダンのボンネットに貼られた初心者マークはあまり似合わない。車が邪魔にならないようにランクルを少し前に移動させて、律子ちゃんにランクルと美奈子さんの軽の間に停めるように誘導してもらった。
律子ちゃんの御両親との会話が面倒なので、俺はランクルの運転席に乗り込んだまま缶コーヒーを啜った。
親御さんが駆けつけてきたんだから、もうこの場に留まる必要はない。二人にはパトカーが到着するまでは付き合うからとは言ったが、事故の当事者がいれば事故処理の事情聴取は十分だ。
大里方面から進んでくる車ヘッドライト。その上には赤いパトランプが光っている。
バックミラーを見れば、美奈子さん達は事故を起こした状況を説明しているようだった。
サイドブレーキを外してギアを入れる。パトカーはあと百メートルくらいの位置。
運転席の窓を開けて、クラクションを軽く鳴らしてアクセルを踏む。
ルームミラー越しに、律子ちゃんがこちらを指さして何か叫んでいる様子がみてとれた。
俺は窓から右腕を出してバイバイと手を振る。すれ違いざまパトカーの運転席の若いお巡りさんが怪訝そうな顔でこちらをみていた。




