喫茶店『舞夢』の忙しない一日(一号店の今後について)
いろいろと話していたら、もう休憩が終わる時間だった。でも、一点だけ確認しておきたい事があった。
「オーナー。二号店に私たちが移ったら、一号店が大変じゃありませんか?」
「う~ん それに関しては、いろいろと考えてるよ。時給を上げるとか、混雑する時間帯のシフトを厚くするとか、やりようはあると思う」
「主力メンバーが抜けると、店長が困りませんか? 何ていうか、今でさえオーダーが積み上がると言葉遣いが荒くなったり、バイトの子達を怒鳴ったりしてるみたいですけど?」
多分、私たちが一斉に移動したらお店は混乱してしまう。店長はスタッフに気を配れる人ではないし、伊藤さんも、家の状況を聞いている限り、私のようにスタッフの管理をするのは相当厳しい。今後、新しい人が入ったとしても、今、私が担っている業務や役割をこなせるとは思えないのだ。
「良和に関しては俺も困ってる。上林さんとこの件もまだ尾を引いてるからな……」
この春、高校に入学したばかりのオーナーの知人の娘さんが『舞夢』でアルバイトを始めた。平日の夕方しかシフトに入れないというので、仕事を教えるのは律子ちゃんが担当した。でも、ほんの一週間で出勤しなくなってしまったのだ。原因は夕方の混雑時に、オーダーを間違えて受けてしまったことを店長に手厳しく怒られたからだ。厨房でいっしょに仕事していた真樹ちゃんが言うには、オーダー品を間違えただけで、そこまで怒るかって思うレベルの暴れようだったらしい。
翌日、親御さんがお店に怒鳴り込んできて大騒ぎになったのだ。すぐにオーナーを呼び出して、他の場所で話し合いをしてもらったのだけれど、「店長を出せ!」とすごい剣幕でのりこんできた強面の親御さんに恐れをなした店長が、コックコート姿のまま行方をくらましてしまい、急遽、私が通し勤務になったのは言うまでもない。
強面のお父さん、その筋の人にも関りがあったらしく、面倒事はいまだに収まってはいないようだ。
「二号店の事、しっかりと店長と伊藤さんにも説明してくださいね。特に、店長の機嫌が悪いからってギスギスした雰囲気の中で仕事するの、私は嫌ですから。」
「・・・わかった」
不本意ながら同意ってオーラが見え見えだけれど、一応は言質をとった。私は席を立って、律子ちゃんと交代してシフトに戻った。
あの後、オーナーは、律子ちゃんと真樹ちゃんと少しだけ話をして帰って行った。
二号店に関する細かい話は日曜日の閉店後、どこかでご飯を食べながらってことになった。
とりあえず、律子ちゃんと真樹ちゃんへのフォローはできたけれど、オーナーの説明を聞いて、いよいよ気が重くなった問題もある。
オーナーの中では、私が二号店の店長になることが確定しているようだ。正直なところ、まだ私に店長になるという覚悟は決まってない。中途半端な気持ちで仕事はしたくない。自分が店長になるのではなく、誰か別の店長候補を探してもらい、今と同じようにサポート役としてその人を支えるような立場ではダメなんだろうか……
それに一号店のこれからのこともある。
早番スタッフが定着しないのは、朝が早い事と、仕事が大変だからという事が大きな理由だ。オープン当時はまだバブルがはじける前。うちのような店で汗して働かなくても、もっと割の良い仕事があった。
募集をかけても人は集まらず、結局、私とオーナーの奥さんで無理矢理に開店準備をしていた。それ後、伊藤さんが加わってやっと安定して回せるようになった。
時給を上げて、勤務時間を短くすればそれなりに応募は来るかもしれない。でも接客業は結局のところ人柄が一番大切だ。店長や伊藤さんなどスタッフと上手にやっていける人が入ればよいのだけど……
怒りっぽい店長、我が道を行くって感じの伊藤さん。あまり我が強い人だと二人と上手くやれないというのは、ここ数年の経験上理解している。
あとは、いずれオーナーの後をついで『舞夢』の実質的経営者になる理恵さんと店長の姉弟仲の悪さ。
オーナーの話を聞く限り、『舞夢』二号店とフランチャイジーに関して、店長が一切かかわっていないように思えた。まるで、一号店をなかった事にするんじゃないかって思えるくらいに……
日曜日の面談の後、オーナーに個別で時間を作ってもらった方がいいかも知れない。
なんだか忙しいことになりそうだ。うちのお師匠さまにも、二号店の店長になるかもしれない事を伝えておこう。
四時をまわった辺りから、ぽつぽつとお客様が増えてきた。この時間帯から夕方の六時くらいまでは近所の女子大の学生さんが多い。
ポットサービスの紅茶とケーキのセットやアイスクリームの注文が入り始める。
うちのお店のケーキは、オーナーの知り合いの洋菓子店から卸してもらったもの。イチゴのショートケーキとニューヨークスタイルのチーズケーキが人気だ。
グループで来店して、それぞれ飲み物をチョイスして、フルーツパフェを一つだけ頼んで、みんなでシェアするパターンも多い。ケーキセットだと六百五十円。パフェを数人でシェアすれば五百円弱。
お財布とカロリーを勘案するとパフェのシェアの人気が高いのも納得できる。
温めておいたティーポットに、ティースプーン山盛り二杯分の茶葉を入れて沸騰したお湯を注ぎこむ。
三分の砂時計をひっくり返して時間を計り始めて、ティーカップとケーキと共にトレーに乗せて客席へ。
話に盛り上がり大きな声で笑っていた女の子たちが、私が近づくと話をぴたりと止めて、紅茶の到着を静かに待つ。やっぱり、ティーバックで淹れた紅茶と違って、ティーポットで本格的に淹れた紅茶は特別だよねと思ってしまう。ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキをそれぞれの前に置くと、目を輝かせている。「ごゆっくり」と一礼して席を離れれば、さっそく「美味しそ~」「ねえチーズケーキ一口食べさせて」とか幸せそうな会話が聞こえてくる。朝から働き続けて疲れはピークに近いけど、こういう楽しそうなお客さん達の会話を聞いていると、『舞夢』で働いていてよかったなって思う。




