表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/6

プロローグ 今の私の課題と実情について

 1. プロローグ 今の私の課題と実情について


「美奈子さん。次の日曜日って何か予定ありますか?」

 何かしら大切な秘密をそっと打ち明けるような囁き声で、早百合ちゃんが言った。

「用事?特にないけど...」

 私が言うと、ほっとしたような表情を浮かべた。

「日曜日、拓海君がこっちへ帰ってくるんです。できれば会いたいなって思って」

「拓海君と会うの久しぶりだっけ?」

「前に会ったのが私の誕生日だったから、三か月ぶりなんです。」

 高校時代からお付き合いしている拓海君と早百合ちゃん。二人は拓海君が静岡にある会社に就職してから、約二年、遠距離交際を続けている。

 平日休みが多い拓海君。学生で日曜日しか休みがない早百合ちゃん。二人にとって日曜日にデートする機会は、ダイヤモンドよりも貴重なのだろう。

 早百合ちゃんの日曜日のシフトは夕方五時から閉店までの短時間シフト、まあ、なんとかなるでしょう。

「そっか。じゃあシフト入ってあげるから会っておいでよ。」

 店長には私から話しておいてあげるよ。そう付け加えると早百合ちゃんは満面の笑みを浮かべて、ありがとうございます。助かります。と何度も頭を下げた。

 他のアルバイトの子達に比べてシフト変更の申し出が格段に多い早百合ちゃん。

 生真面目で融通がきかない店長から厳しい目でみられている。今日はお客の入りが少な目で、売り上げ目標の達成は微妙なところ。店長の御機嫌は芳しくない。そんな状況で早百合ちゃんがシフト変更を申し出たら、店長が怒り出しそうだ。

 店長へのシフト変更の報告は適切なタイミングで。

 私は、心の中のスケジュール帳に【日曜日PBシフトIN】と書き加える。三時間だけなのが救いだね。夕食は従業員割引を使って、ちょっと良いものを食べようと心に誓った。


 ランチタイムを過ぎ、次の夕方のピークまでのアイドルタイム。お店に流れるのはクラッシクの名曲。お客の入りは五十席ある客席が三割がた埋まるぐらい。

 お店の備え付けの新聞を読む人。本を読む人。お連れのお客様と談笑する人。それぞれが思い思いの時間を静かに過ごしている。


 喫茶店『舞夢マイム』ここが私の職場。

 オーナーがアメリカを旅した時に、ルート66沿いに建つレストラン兼カフェ(向こうで言うダイナー)を見て、こんな感じの店をやったら流行るんじゃないかと考え、アメリカ映画に出てくるような店を五年前に開業したのだ。

 店は交通量の多い幹線道路に面していて、近くに稲沢市役所と警察署と郵便局があるので、JRの稲沢駅や名鉄の国府宮駅から離れている割にはお客は多い。

朝は出勤前にコーヒーとモーニングサービスを愉しむ人。

お昼時にはランチを食べに近くにお勤めの人たちがやってくる。

夕方も仕事終わりのお茶を愉しむお客が立ち寄ってくれる。それぞれの時間帯に常連さんがいて、座る場所も、注文する物もほぼ決まっている。

 営業時間は朝七時から夜八時まで。

オーナー曰く、同じようなコンセプトで、二号店を開店する事を目論むぐらいには儲かっているらしい。


 従業員は、店長の他、アルバイトが十名。

 私は、開業時から長く勤めているせいか、アルバイトのリーダー兼店長不在時の責任者的な役割を担っている。

 平日はほぼ固定で、朝六時から夕方五時までのAAシフトに入り、土曜日は、朝六時からランチタイム終了の午後二時までのABシフト。そして、店長が休みの時に入る朝六時から閉店後の事務処理までこなす地獄の通し勤務ACシフト。

常連さんに「この店に住み込んでるの?」なんて聞かれてしまう程度には毎日出勤いるのは確かだ。


 オーナーの方針として、冷凍食品はなるべく使わず、野菜類は地元の物を使う。

ランチタイムの揚げ物の種は別として、ハンバーグは挽肉から手ごね。カレーは業務用レトルト使用禁止。可能な限り手をかけた料理を提供する。そうしないと最近増えているファミリーレストランと差別化できないと考えているようだ。

 その分、厨房に立つスタッフは料理技術が要求される。現状、調理場を回せるのは店長と私と伊藤さん。それに真樹ちゃん。その4人がシフトに入れないときは、ヘルプという形で、オーナーの知人の元料理人のおじさんがきてくれる。

 私がAA勤務が多い理由は、開店前にモーニングの仕込み(主にトーストとサラダの準備)と、ランチタイムメニューの仕込み(カレー・ミートソース・付け合わせになる野菜カットに汁物準備)があるからだ。ABシフトに入る伊藤さんと二人だけででランチメニュー四十食と、レギュラーメニューを仕込むのは中々に大変だ。


 今日のシフトは、AAが私。ABが料理上手な主婦の伊藤さん。伊藤さんと入れ替わりでPAに入った早百合ちゃん。私と入れ替わりでPBに入る律子ちゃん。そして午前十時から閉店までいる店長。

 料理は主に店長が担当。私たちアルバイトは接客とドリンクメニュー提供や、トーストやサンドイッチの調理。パフェ等の冷製メニューの盛り付けを担っている。私はついでに明日のモーニングサービス用の茹で卵と野菜のカットも片手間で進めている。


『舞夢』のアルバイトは、オーナーの趣味か経営戦略の一環なのかは知らないけれど、近くの大学に通う女子学生が多い。

 そのなかでも、オーナーから『舞夢三人娘』なんてあだ名をつけられている、真樹ちゃん、律子ちゃん、早百合ちゃんはシフトの柱と言っていい。

 栄養士を目指している真樹ちゃんは料理が得意。レギュラーメニューの殆どを手順書を見ずに作る事ができる。

 お店が混雑している時も、的確に接客をこなす律子ちゃんは経営学科。将来は飲食店を経営する事を目標にしていて、オーナーから卒業後は社員として働かないかと誘われている。

 屈託のない笑顔が可愛らしいと、年配のお客を中心に人気がある早百合ちゃんは情報処理学科。近い将来、仕事の多くがコンピューターを使っての物になるという事で、コンピューターのプログラムや、コンピューターを使って効率よく仕事を進める方法などを勉強している。

ただ、喫茶店のウェイトレスとしては、少しばかりうっかりミスが多い。トーストは焦がす。パフェは見本通りにきれいに盛り付ける事が出来ない。混雑時にオーダーミスをやらかし、お釣りを少なく渡してしまって、レジ締めの時に店長が頭を抱ることになったりする。

 それでも彼女の持つ柔らかな雰囲気と屈託のない笑顔は、そんな欠点をも全て帳消しにしてしまうほどの魅力があった。

 私は、九歳年下の彼女を年齢の離れた妹的存在のように感じていた。そして彼女の誰からも好かれる、明るい性格と笑顔に、羨望とほんの少しの嫉妬を覚えているのだった。


 お店に勤務し始めて五年。最初は腰かけのつもりで面接を受けたのだけれど、いつの間にか一日の半分を店で過ごす生活にどっぷり浸かってしまっている。

 三十路の大台も見えてきた今、このままアルバイト(社会保険に加入しているからパートタイマーか?)を続けるのか、それとも、舞夢二号店を皮切りに、喫茶店のフランチャイズ展開を考えているオーナーの勧めに従い、社員になるかの決断を迫られている。勿論、年齢的に結婚も意識しないといけない。


 ホールに立つ女の子たちが、若くて可愛い子が多いから、私に声をかけてくる物好きな人は少ない。適度にあしらってはいるけれど、ごくまれに、しつこく休日デートに誘ってくる人もいた。

 伊藤さんにアドバイスされて、母の形見の銀の指輪を左手薬指にはめるようにしてからは絶滅したけれど、服装も雰囲気も地味な私は、ある種の男性にとっては声を掛けやすいタイプなのだろう。

 でも、そういう男性を信頼できるかっていうと、ちょっとね・・・。


 結婚はともかくとして、私には本当にやりたい事が別にある。それは書道の先生になる事だ。

 小学校に入学する前、亡くなった祖母から手ほどきを受けて始めた書道。教室に通い、中学からはとある流派に入門して師匠の元で精進を重ねてきた。

社会人になって中断した時期もあったけれど、今は毛筆書写技能検定の二級資格を得ている。

 教室を開くのには毛筆書写技能検定の一級が必須。検定試験は年三回行われるが私はこの二年、準一級検定不合格が続いている。

 不合格の理由は自分でもわかっている。書に向き合う時間が余りにもなさすぎるのだ。

 喫茶店勤めは基本的に立ちっぱなしの仕事だ。毎日、朝六時から夕方五時までの十一時間勤務。通し勤務の時には十五時間、休憩時間を除けば座る事はほぼ無い。

 ボロボロでヘトヘトの疲労困憊で家に帰っても、一人暮らしの我が家は迎えてくれる人はいない。炊事洗濯もお掃除も自分でやらなきゃいけない。三年前に亡くなった母親は、看護婦なんてハードワークを熟しながら、家の事もちゃんとやっていたのだから本当に凄いと思うが、怠惰な娘は、掃除洗濯は日曜にまとめてすませて、食事に関してはスーパーのお惣菜と常備菜、ひどい時には買い置きのレトルト食品で済ませてしまうのだから酷い話だ。

 仕事を終えて帰り道に買い物を済ませて家に帰ったら十八時。一休みして夕食を作って食べれば二十時。翌朝は四時半には起きなければならないので二十二時過ぎには床に就く。実質的に、私の自由時間は、一日二十四時間のうちの二時間しかない。

 師匠は、一日に一時間でも良いから筆を取りなさいというが、正直なところ土曜と日曜くらいしか言いつけを守れておらず、このままでは次の検定も合格できる確率は、とても低いだろう。

 それでも時給八百八十円で雇われている身としては、今の収入をキープしないと生活できない。一応は将来に備えて月三万円は貯金しているが、時々は貯金を取り崩さないといけない事もある生活。仕事の相方である伊藤さんには常々「一人扶持では食えなくても、二人扶持なら食える。」と結婚を勧められている。

 確かに誰かと結婚すれば、諸経費は半分になるのだから、今よりも仕事の時間を減らして、一級検定に向き合えるかも知れない。でも、舞夢で働くようになって多少は社交的になったけれど、生来の内向的な性格の私は、男性が苦手なのだ。


 仕事とやりたいことの両立。共に人生を歩める男性と出会う事。今の私は、人生の岐路に立って右往左往しているのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ