77 早朝会議
「相南くーん、また呑んじゃったんだね。君さー、下戸なんだから。救命士が急性アルコール中毒って洒落にならないから、何度言ったら分かってくれるのかな」
言って聞かせても、相手は意識が虚ろで正体不明になっている。
「うーっ、 うえっ、げっげげーっ、うおー、うげぼぼぼぼぼぼっうげっ!」
いつもうげげーばかりの会話なのに、何となく言っている事が分かってしまう。
この時ばかりは、不思議な感覚になる。
「んー、今、点滴してあげるから、少し待ってな」
「どっぼっ」
「注射切らしちゃったみたいだなー。どこかへまわしちゃったのかなー。今回の濁酒さー、メチル混じってたんじゃないの? あっちこっちで大変な事になってるらしいよ」
「げげっじるっじる、ずずっ、ずぼっ」
「そうそう、初日なのに随分搬送したらしいじゃないの、疲れたでしょ。まあ、ここに来たのは君だけだけどね。それにしても勇気あるよね。ここが死神に憑りつかれてるとか、僕が悪魔と取引した医者だとかって噂、最初に広めたの君だよね」
「げろげろ! ぴー。すぼすぼ。ぼっこり」
「点滴ないから酔い止め打ったよ。大丈夫だよね君なら」
「すっひー、ひーえっくしいー、ぐぶっぐぼっ」
「いいよ泊まっていっても、病室空いてるし」
「んっぐべ、んっぐごぅあっ」
「何かはっきりしないね、呼吸器外した方がいいかい、んー、それとも薬古かったかな」
「しーん……びりっ! ぶっ!」
「ちょっとー。いいよ寝ていて、頼むから寝ていてよ」
「しーん……びりびり、ぶっ! びびー、ぷっ!」
「だからさ、違う音してない」
軽く胃袋に何か入れてやろう。
おかゆ作りに挑戦してみた。
「お待たせっ! おかゆできたよ。あれま、寝ちゃたんだね。しょうがないな、ここに置いておくよ。温かいうちに食べた方が美味しいんだけどね」
「ぶへっぶべっ、ごぼごぼ」
どこで食ったのか、ひょっとしてこの症状は食中毒か、血の塊がボタッと床に落ちた。
「大丈夫、変なの出て来たけど、内臓とかじゃないよね。ところでさ、救命士って最近どうよ、随分忙しいみたいだけど。助けまくってるよね。君、仕事し過ぎじゃない? まさか過労とかじゃないよね」
「げっげびげぶ、おっおーえー」
「何、ダメだよ、せっーかく作ったのに、おかゆの中に飛ばすかな変な塊。それにしても起用だね。救命士って誰でもそれ出来るの?」
「ぐげっげっ、ぐぶぅえっ、げっ、げえー」
「あーそう、言われてみりゃそうだよね。そんな奴いないよね。すごいね、君しか出来ないんだ。今度さ、他の皆にも見せてやりなよ。きっと受けるよ。今はもうやらなくていいから」
相南が死んじまったらそれはそれで仕方ないと諦め部屋に入ると、一日の疲れがドッカと肩を押し潰し、気を失ったのか寝たのかも分からないまま朝になっていた。
「先生ー、いるかいー」
朝から近所迷惑の大声で訪問してくれるのは、久蔵マスターだ。
「そんなに大声で呼ばなくたって聞こえるよー。難聴だけど聞こえない耳じゃないんだからー」
「いっやー、まだ寝ぼけているんじゃないかと思ってよ、それより相南来てるかい。消防署の検査だってよ。あいつが署にいないもんで騒ぎになってるぜ」
「フーン、初耳だね」
「だろ、抜き打ちだってんだよ。普段が普段だからよ、相南がこんな時に出署してねえとなると、立場が微妙なんだよなー」
「そうだねー、確かに何時首になっても文句は言えないな、仕事中に飲んだくれてるんだから」
マスターに御茶でも出してやろうと台所に入ると、当たり前のようにアインがこっちを見て猫座りしている。
港屋に置いて来た筈だが、朱莉ちゃんあたりが連れて来たか。
なんとなく腹が凹んでスマートになったというか、貧相が板についている。
随分と古いものだが、他にやる猫もいない。
こいつにホッタラカシのカリカリ餌をくれてやる。
御茶がどこにあるか見つからなかったので、インスタントコーヒーを作ってみた。
誰も飲まないインスタントコーヒーが、何故ここにあるのかは謎で、ひょっとしたら誰かのとっておきかもしれな。 アインに「内緒だぞ」釘を刺しておく。
相南が起きだしてくると、いつに無く診療所が賑やかになってきた。
朝から派手な会話が部屋中に飛び交っているのに、誰も起き出して来ない。
昨日の疲れから抜け出せないまま眠りこけているのか、強情な睡魔に憑りつかれているようだ。
「あー、今回の査察の責任者ってのがややこしい奴なんですよ。なんでも二十年も前の火災について、民間人と一緒になって調べているとかでね、お父ちゃんが関わっているから尚更厄介な話しになっているんですよ、かえって僕は居ない方がいいからって言われていたから、丁度今日で良かったです」
「お父ちゃんっていやあ市長様ってやつをやってるあのロクデナシ野郎だろ、そこまで拗らせても調べなきゃならねえ事情ってのが有るのかよ、その二十年前の火災ってのによ」
界隈で生き字引とまで言われている久蔵でも、知らない事が有るらしい。
この火災については少しばかり聞き知っている。
「磯家の殆どが焼け死んだって火事だろ。微かに記憶があるけど、相南の親父さんも関わってたのか。俺の爺さんも少しばかり関係してたみたいだぞ」
「いずれにしろ随分と面倒臭い奴がうろついてるって事だろうな。俺には関係ない事だからどうでもいいけどよ、とりあえず、署の連中が御前を探してたってのは知らせたからな、欠勤なら休むって連絡くらい入れとけよ。本当に首になっちまうぞ」
「連絡したってそのうち首にされますよ。久蔵さんは逮捕されちゃうかもね」
「テメエに余計な事チラホラ言われたくねえな。ほれ、クソ不味い珈琲でも飲んで寝てろ」
インスタントコーヒーの味というのが分からない人間で真実は不明だが、不味いのであろう黒い液体をしっかり二日酔いの男に勧める久蔵も意地が悪い。
「御前さんにも火の粉が降って来そうな勢いになってるってのに、随分と呑気に構えているけどいいのかい、先生様よ。このままいったら爺ちゃんの罪被って死刑なんて事にも成りかねねえぞ」
「いっくら何だってそりゃないでしょう、でたらめばっかりやってるけど、一応法治国家だからね、この国はー。無実の人間を捕まえるってんなら、それなりにやっちゃうけどねー」
「やっちゃうって何しちゃうんだよ。その視察官を殺っちまうって話しじゃないだろうな、物騒だよ」
「そんなに野蛮な人間に見えるかなー」
「ウェッ……見える見えますよ。昨日だって僕に笑いながら注射針刺してくれましたよね」
「それは君を治す治療なんだからー、傷付けて喜んでいるんじゃないよ」
まったく、人を見ればサディストみたいに言ってくれるのは困ったものだ。
そのうち、相南が話しをそらすのに、俺のデスクから朱色のシーグラスを持ち出して来て、アインが拾って来たんだと勝手に自慢し始める。
久蔵もシーグラスを集めている口で、朱色は特に希少なのを知っている。
「この猫がー」今まで邪慳にしていたアインを、急に猫可愛がりして、行動が小学生並に単純明快だ。




