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雲枕  作者: 葱と落花生
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7 診療所に群がる変人達 一

7 診療所に群がる変人達 一


 十日ばかり居候していた猫が帰る日。

「こいつさ、なかなか見どころのある泥棒猫だから。是非譲ってくれないかな」頼んでみたが「子供の遊び相手がいなくなるから、だめだよ」あっけなく断られた。

 一度欲しいとなると、何がなんでも欲しくなる。

 分かっているが、ガキのような性分は自分でも治せない。

 どうにかあの猫を手に入れる方法はないものか、シャコタンに相談してみた。

「それなー、良い方法があるから任せとけよ。雑貨屋のかみさんは、どっちかと言えば猫より犬の方が好きなんだ。丁度いい具合に昨日の夜、神社の杜に捨て犬があってな。ブランド物に目のないかみさんに、新種のとびきり高い血統書付だと言って、俺が連れて行くよ。二つ返事で引き取ってくれるぜ。そこへもってもう一度、お前が『何とか家でその猫を飼わせてもらえないだろうか』ってな具合いに持ち掛ければ、きっと譲ってもらえるよ」


 さて、作戦には賛成だが、血統書をどうするかと考える間もなく、神社から犬と血統書を持ってきた。

「随分と手回しがいいもんだな」

 感心すると「実はな、杜によく子犬が捨てられて困った巫女がよ、この手口を考えたんだよ」

 当然ながら血統書は純然たる贋作で、由緒正しき血統も偽物だが、気付いた頃には大きくなって捨てるに捨てられない。

 それよりも、子犬の頃から可愛がって育てた犬ならば、血統がどうのこうのは関係なくなってしまう。

 人とはそんなに単純なものではないと思っていたが、他に良さそうな手立てもなかったので試してみた。

 簡単に引っ掛かってくれた。

 人間は単純な生き物だった。


 いやいや、きっとかみさんに限ってだろうと思うようにしたが、この手口に騙されて随分と多くの捨て犬が保護されていた。

 地域に限ってとした方が良いかもしれない。

 やはり人間は我儘だ。

 命に値段を付け、価格の上下でそいつの価値を見極めている。

 きっと居候猫には、こんな人間の性が滑稽に見えているだろう。

 あいつには、これと言って決まった名前がないそうだ。

 ならば、名前を考えてやらなければならない。

 どうもこの手の作業は苦手だ。

 受け入れの準備をしながら考えるとするか。


 ここで本格的に飼うとなれば、今までのように外に放りっぱなしという訳にはいかない。

 部屋は入院用の個室をちょっといじれは猫用にできる。

 どうせ入院患者など来ない。

 時々遊びに来る医者仲間が来たら来たで、猫と一緒に寝てもらえばいい。

 それが嫌なら来るんじゃない。

 部屋のベットを一つかたし、空いた所に寝床を作ってやる。

 出入に便利なように、小動物用の出入り口も付けてやった。

 猫が来る前に部屋のドアに名札を下げた。

 あいつは利口な猫だ、利口と言えばアインシュタインを思い浮かべるが長ったらしい。

 どんな顔をしていたかなーと、一緒に撮った写真を見ていると、アッカンベーをしている。

 偶然ではないようだ。

 只ならぬ運命を感じる。


 少々長くなってしまうが、部屋の名札に「アルベルト・アインシュタインの部屋」と書いてやった。

 多分「アル」とか「ベルト」とか「アイン」とか「シュタイン」とか「ノヘヤ」と呼ぶようになるのだろうが、正式名は「アルベルト・アインシュタイン」だ。

 診療所に着いたアルベルト・アインシュタインは、暫く家の中をウロチョロした後、自分の部屋に気付いた。

 名札を見て小首をかしげている。

 アルベルト・アインシュタインは、いつからかアインシュタインと呼ばれるようになり、そのうちアインで落ち着いた。

 

 アインの出入り口なのに、ちょいとでかすぎる戸を付けもので、いつか泥棒にきていた黒猫まで侵入して来る。

 医者仲間が泊まっている日は、部屋に常備した布団叩きで追い出してもらっている。

 そうすると奴は、ビニールハウスの中に逃げ込む。

 キャンプ用のテントがそのままだから、奴にしてみれば雨風しのぐのにちょうどいい。

 だいぶ草臥れてはいるが、猫が大好きなコタツも置いてある。

 この前は、インフルエンザでぶっ倒れそうになっていた玄武爺さんにまで蹴飛ばされていた。

 ここまでやられると己が歓迎されていないと気付いて、最近では人目を避けて前の空き地でくつろいでいる。

 空き地には御稲荷さんがあって、患者が油揚げを置いていく。

 それを食って生き延びているのだが、体格はシャコタンの所のクロに負けず劣らずがっちりしている。


 俺一人できりもりする診療所は、健康保険からの支給分だけで十分にやっていけると思った。

 今は面倒なので、診察料はもらっていない。

 だからなのか、なのになのか、無料だとかえって受診しにくいらしい。

 近所の、それもかなり人生を長く経験してきた人しか来ない。

 必ず家で取れた野菜や釣ってきた魚だ・もらった肉だとか菓子。

 時には国有林から盗んだ茸・筍を持参して来る。

 ここを村の集会場と勘違いしている爺さん婆さんも数名いる。

 急患は殆ど来ないので、他の医療施設と比べたら気楽なものだ。

 診療所に急患で運び込まれるには、決死の覚悟が必要らしい。


 年に数回、どこにも受け入れてもらえなかった患者を救急隊員が連れてくる。

 殆どは心肺停止から蘇生不可能にまで時間経過した患者ばかりで、そうなってしまっては死亡診断書を書くだけだ。

 もっと早く連れて来てくれれば、どうにかできたかもと言う時もある。

 救急隊員に言わせれば、指定病院でなく設備もない診療所でしかない。

 救急搬送してくるのは、非人道的且つ大胆な開き直りが必要だと洩らす。

 消防署では【死神の指定診療所】【疫病神に憑りつかれた医者】【貧乏神の憩いの場】などの愛称で呼ばれている。


 ここ何年かは診療所の変化で、特記するほどの出来事はない。

 唯一変わったと言えば、常勤医が一人増えた事だ。

 一人で始めた診療所だが、一人きりで今日まで来たのではない。

 この診療所は海に近く、昔からの知り合いが別荘代わりとして遊びに来る。

 代償として診察を手伝ってもらう。

 診察が終わってからのバーベキューが目当てと言えなくもないが、突然やって来るあてにできない応援という難点を除けば、随分と助けられた。

 そんな医師団から、将来有望な新人を診療所で常勤にと紹介があった。

 俺はいいが、常時二人の医師が必要なほど忙しくない。

 診察料を取らない診療所だ。

 まともに給料も出せない。 

 特に俺の医術が優れているといった事実もなく、ここへ将来有望な医師を置いたのでは、その未来を絶望へ導きかねない。

 どうせ、本音は口減らしか厄介払いだろう。

 キッパリハッキリ断ったのに、医師団連名の推薦状持参でやってきた。

 本人の希望もあり是非にと書かれている。

 どうやら無理矢理の左遷でもなさそうで、こんな診療所に自ら進んでくるとはかなり頭が不器用な奴だ。

 娯楽と言えば、テレビか畑いじりしかない田舎だ。

 風の強い日は、慣れないと海鳴りの音で眠るのもままならない。

 一ヵ月もしないで逃げ出すだろうと思い、渋々だが様子を見る事にした。

 ところが、二ヵ月たち三ヶ月たってもまだいる。

 色々と話をしているうち、医師としての経歴が俺に酷似しているのに気付いた。

 なぜこのような異常行動に走ったのだろうか。

 しばらく探りを入れて、どうにか全体像が見えてきた。


 事故後の記憶障害で詳細を覚えていなかったが、俺は震災の時に彼女を治療していたらしい。

 周りの反対を押し切り、災害のドサクサを利用しての大手術。

 原因不明の多臓器不全疾患であった彼女に、多臓器同時移植手術を施術して成功していた。

 その時の臓器提供者が彼女の実母で、震災で脳死状態になってから直ぐの手術だった。

 母の命をもらって生き長らえた彼女の心中を思うと、今の俺は辛くなるが、その時その場の俺は決断できたようだ。

 昔は天才外科医だったらしいが、メモ帳を首からぶら下げているし、緊張すると手が震えて手術もできない今を見るに、自分でも信じられない話だ。

 いくら手術を成功させても、今は貧乏神と疫病神と死神に取りつかれたヨレヨレ医者だ。

 それでも診療所を去らない。

 さては俺に惚れたか。

 間違ってもそれはないと、聞く前に言ってくれて、ありがとう。

 彼女曰く、傷物にされたから一生面倒見てもらう。

 とか言っちゃってるし。

 人聞きの悪い事この上ない。

 確かに手術でキズは付けたが、その後は縫合したはずだ。

 開きっぱなしのアジじゃないんだから、その言い方は勘弁してほしい。

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