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雲枕  作者: 葱と落花生
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68 被災地の風呂

 いかに非常時でも、医師たる者は常に清潔でいなければならない。

 被災地とはいえ、ここは体を清潔にする為の風呂で不自由する心配はない。

 不足気味の燃料を自衛隊の物資から少しばかり回してもらい、医師や患者はもとより、救助復旧に忙しく働く自衛隊員にもひと時の安らぎを提供すべく、一つ女将に相談というか指摘をする。

「女将さん、露天風呂の灰を積もったままにしておくのは考え物だねー。座るも入るも出来ない。灰の重みで植木や花も項垂れたままになっている」

 皆が忙しくしている中で、女将も髪をとかす暇なく走り回っている。

 結った髪が乱れ、ワサワサ。

 俺の相手どころではないらしい。

「はいはい、御好きなように御願いします」

 感謝の念が過小なお願いだな。

「女将の許可が出たから、やっちゃいな」

 ペロン星人と有朋に支持して、一番風呂を許可してやった。


 一緒に来た自衛隊員が、頼りっぱなしでもいい働きをしてくれている。

 俺がなにかをやらなければならない状況でもないし、医師として手伝うとかえって足手まといになる。

 ここは最高責任者とした出任せの地位に胡坐をかいて、後のお咎めを受ける覚悟だけしていればいいようだ。


 観念が少しに旅行気分が殆ど。

 ロビーでくつろいでいると、噴火と同時にやってきたという妙なおっさんを訪ねて、理事長が務めている法律事務所の所長ががやって来た。

 この所長は戦後早くから大阪の阿弥陀法律事務所と協力して、山城親分の顧問をしてきた弁護士の二代目で、地回りの爺さんも、理事長と一緒に後から来てロビーで話し込んでいる。

 大阪の阿弥陀弁護士には何度か会っていたが、この面子からすると今日来ている見慣れない男は、阿弥陀さんの息子のようだ。

 こんな騒ぎの真っ只中にわざわざやってくるのだ、よほどの用事があったか、熱心な火山オタクに違いない。

 まんざら知らない仲でもない。

「とんでもない時に来たもんだねー」と挨拶する。

 これから風呂に入るつもりでいるので「忙しいからこれで失礼しますよ」こう告げ露天風呂に向った。


 風呂は被災地の宿とは思えない。

 ゆったりした時間が流れている。

 すぐ近くの火山がひっきりなしに噴煙を上げている。

 一般的精神構造の人間ならば、風呂で酒など呑まないものだ。

 しかし、一番風呂を占拠しているこいつらは別物だ。

 忙しいはずの病院警備を放り投げ、ヘコまで混じっている。

 軽く出来上がっている。

 俺が入って行っても気付いているのかいないのか、一緒に呑みましょうの誘いもないまま、脱衣場で誰かを囲んで話が弾んでいる。

 風呂で酒を呑むんなじゃない。

 血圧が上がって死ぬぞ! 

 医師として警告してやるべく近付いて行くと、輪の中心には霊がいた。

「もとから山城さんが親分かね」

 情報通のヘコにも知らない事があるらしく、いつになく真顔で聞いている。


「親分じゃねえよ、依頼人さ………え? 元の親方の事かな。それなら厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部だった。めんどくせえ奴には分かり易く警察だって言ってたよ。親兄弟にも身分は明かしちゃいけない決りになってたからな。親分も俺の本性は知らないで付き合いが始まったんだよ」

 厚生労働省が警察で麻薬取締部がどうのこうのと、訳の分からない話になってきた。

「ウワーオ! マトリー。痛くもない腹まで探って、しまいには白い粉の置き土産して警察にチクるって、あのマトリ……だったの」

 なんと、霊はマトリクスに関係のある仕事をしていたらしい。

 奴と仲良くしていれば、俺のハリウッドデビューも夢ではない。


「痛くもない腹を探るのは当たってるけど、白い粉の置き土産はやらねえよ。それをやってんのは公安だよ。あいつらには随分とガセ掴まされたね。二年も潜入していてなーんにもなかったんだからな、それが山城さん所だよ。そのまま足洗って探偵みたいな何でも屋を始めたんだ」

 霊がヘコ発言の間違いを指摘する。

 これに、まあまあといった手振りをしてから、一升瓶ごと湯舟で温燗した酒をヘコがすすめる。

「マトリから足洗ってヤクザの手伝いってのも変わってるね。今時見上げた経歴だよ。感心ゝ」

 随分と酒が回って、顔どころか体まで赤くなっているのに。

 まだ呑む気でいる。

 地元のヘコと脈絡もなく登場した霊が呑み過ぎて、くたばっても災害死ではない。

 しかし、このまま見過したのでは、救助に来たのか殺しに来たのか分からなくなってしまう。

「その酒、俺がもらうよ」

 冷水ポットの横に置かれたコップを取って、ヘコの前に差し出す。


「おや、総指揮官様の御出ましだーよ。こんな所で油売っていていいのかなー、先生」

 裏の事情まですっかり知っているのに、ヘコが酒を注ぎながら冷かす。

「御前らの話を聞いていて随分と我慢してたんだがな、御願いだからもう少し注いでくれよ」

「我慢できないってか。ここにいる連中は君がどんな立場か、本当の事を知っているから気がねはいらないさ。でも、ここから外に出たら、酔ってますなんて言ってもらったら困るのだょ。だーよ。程々にしておきたまえ」

 立場が逆転している気がする。

 しかし、ここまで来て呑まず酔わずでいろと言われて抑えが効くくらいの人間だったら、あっちこっち病気になったりしない。

 すでに風呂場でこれだけ盛り上がっている以上は、総指揮官である前に宿の御泊り客の権利として、救助活動をする皆様を誘い、慰労の宴を催さなければ申し訳なく思う。


 最前線では悲惨な状況が続いている。

 ここで俺達だけがチャカポコやっていたのでは、尚更申し訳ない宴会になってしまう。

 何か上手い方法はないものか。

 湯に浸かりながら、チビチビやって考える。

 ここで俺が辛抱して向き合うべき被災地での宴会という不謹慎な行事を催さないとの暴挙に出れば、最前線で活動する医師を侮辱しているのではなかろうか。

 一見矛盾する思考に感じる結論だが、俺にもいろいろ都合があるからこうするしかない。

 脱衣場を向くと、霊がぐってりのびている。

 洗い場を見ると、ヘコは風呂だというのに厚化粧の上が女で下が男の奴と、今回の取り分は七三にするか四分六にするか相談をしている。

 何の取分なのか、よくよく厚化粧の顔を見ると、噴火のテレビ中継で、ハーレーに乗ってアナウンサーを蹴り飛ばしていた奴だ。

 あの時は、すぐそこまで被害が広がっているのに中継していて危ないと思っていたので、避難を促す行動に関心したが、その後の被災地中継画像が総べてこいつ等のバイクに搭載されたカメラからの映像だけになっていた。

 考えてみれば、この手の画像は危険が伴う。

 各局がそれなりの金を出して買ってくれる。


 救助活動にかこつけ、放送局の中継車を一台残らず締め出しておいて、自分達が撮った独占映像を現地画像が欲しいテレビ局に高く売りつけていた。

 一方では、救助活動をしているから人様の役に立っているとはいえ、排他的銭儲けに長けているヘコがやりそうな事だ。

 どんな時でも守銭奴の小者なのか、悪ぶっているが世の為人の為に働く大者なのか、判断に苦しむ。

「おい、ヘコ。お前、このドサクサに紛れてどれだけ稼いだんだ? シェルター付きリゾートに首突っ込んでるのに、こんな事やってていいのかよ。ここまで被災地に近かったら、非難所や病院を併設してあっても売れないだろ。早いとこ手引いた方がいいんじゃないの」

 少なからず俺の金が使われているなら、何某かを言ってやる権利があるはずだ。

 後からすってんてんになったから助けてくれと言われても「だからー、あの時に言ったろー。今更助けようがないわなー」と断れるように布石してやった。

「大丈夫だよ。正会員権四千六百口は売り切っているからね。あとは準会員権の無限募集さ」

 ゴルフ場でも四千六百の正会員は詐欺に近い会員数だ。

 比べてリゾートは、定員が十分の一程度。

 既に限界の施設だ。

 完全に詐欺師の手口でしかない。

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