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雲枕  作者: 葱と落花生
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60 狼と不死鳥

 世の中どんな時でもどこへ行っても、嬉しよろしいばかりに見えている場合は、必ず影となった部分に大きな欠陥があるものだ。

 施設も飯も無料の使い放題食い放題で社宅まで完備されていると聞くと、うらやましいような断って失敗したようなと思っていた。

 最後に一言「問題がある」と聞けて安心した。

 こっちの水は甘いぞと騙され、ヘコヘコくっ付いて行くからそうなるんだ。

 野ざらしを見ると、問題がとしてから神妙な顔付きになった。

「問題って、契約年数が百年とかの無茶ぶりされてたりしてるのかな」

「その事で来たんだよ」

「俺に、よそ様の施設で起っている問題を、どうにかしろって言われてもどうにもならないよ」

「施設の中で何かしてくれとは言わないよ。山城さんから提案されてね。君の知人と深く関わってもいいかどうかだけ確認したかっただけだよ」

 俺の知人とは誰を指しているのか分からない。

 学校の同期を外せば、小学校の一クラスにも満たない人数だ。

 友達少ないんだよ。

 そんな少数の知人だが、親兄弟であっても勝手に関わってくれていい。

 みんな大人なんだから、付き合う相手がどんな奴だろうと俺には関係ない。

 ただ、朱莉ちゃんとへこについては由々しき事態であると思っている。


「昨日か今日、クランク商事から電話がありませんでしたか」

 連絡を受けたのは確かだが、何でそんな事まで知っている。

 まさか診療所の電話を盗聴していたりしないだろうな。

「ああ」疑惑はそのままに、事実だけは認めてみる。

「先生が断ってくれたおかげで、簡単にあの施設に入り込めたんですよ」

「ちょいと待ってよ。断ってくれたおかげってさ、電話の内容まで知ってるってどういう事よ」

「盗聴してたんですよ」

 この野郎は人様の電話を盗聴していた犯罪行為を、簡単に認めて悪びれるつもりがまったくない。

「俺の電話を盗聴しておいて、その態度は許せないなー」

「診療所の電話じゃなくて、クランク商事の電話を盗聴していたんですよ」

 なるほど、それならば俺のを盗聴していたのではないなと、一瞬納得しそうになった。

 しかし、よく考えてみれば結果もやっている事も、俺の電話を盗聴しているのと変わらない。

 そこまでしなければ盗聴の意味がなくなるのは重々承知しているが、それでも俺の電話は特別だ。

 絶対に許さない。


 犯罪性の高い電話を盗聴するまでは百歩譲って許すとしても、警察ではない。

 そこからかけた電話相手との会話まで盗聴するんじゃない。

「おまえみたいな犯罪に手を染めても平然としていられる奴と、俺の知人とが連絡し合うのは絶対に反対だ」

 自分でも、八つ当たりの御門違いと分かっている反対意見をぶつけてやる。

「そう言うと思ってましたよ」

「こうなるのが分かっていて話すかなー。偶然間違って聞こえてしまったとか、人伝に知ったとか言えないかなー」

 あまりにも素直なのでかえってやりにくい、代わりに言い訳の一つ二つ教えてやった。

「言い訳をする気はありませんよ。私だって必要に迫られてやっている事だし、実際に盗聴して情報を得ているのはハリネズミさんですから」

 言わないとしながらも、何気なくしっかり言い訳をしているあたりはまだ善人の顔が少し残っているらしい。

 実行犯がハリネズミとするからには、他人にその責を押し付けて罪を逃れようとしている。 

 ここら辺りになってくると、本当なのか嘘なのか見抜くのが難しい。

「ハリネズミってのがやっちゃったの、そいつって何者」

「先生も知ってますよ。ヘコさんです。やっちゃんが付けたあだ名ですよ。私は野ざらしとかいう不名誉な名を付けられて、いささか気分が悪いんですけどね」

「はー、ハリネズミねー。面白いこと付けたもんだなー。たまに連れて歩いている金〇珍〇みたいな毛むくじゃらからとったんだろう。確かにそのまんまだ。御前さんのもそのままだよ。ぴったりだ」

 盗聴で気分を害していたので、ここでしっかり仕返ししてやった。


「私がまだ若い時分でしたが、山城さんに『面白いガキがいるから、見ていなよ』って言われて知ったんですけど、やっちゃんは確かに面白い性格してますよ。どうやったらあそこまでひねくれられるんですかね」

「そこまで言うかなー。ガキの頃から面倒見てたのは俺だから、ちょっとだけ分身みたいな気がしてるからね。それ言われるとカチンときちゃうなー」

 仕返しの仕返しをされた気分だ。

 こいつは、とても人に何がしかを頼む姿勢ではない。

 むしろ喧嘩を売っているとしか思えない。

「私も臍曲りだと人からよく言われますが、貴方の臍も随分とひん曲がってますね。どうりで、あんな人間が巣立っていく理由が分かりましたよ」

「いやー、それって俺が悪いみたいになってないかな。すんごく傷付くなー」


 傷心しているところに、あおい君が鳥かごを持ってやってきた。

 中には、数日前に怪我をして連れて来られた鳥が入っていて「元気になったから放していいですか」口喧嘩の腰を折る御問い合わせだ。

「うーん、アインもクロもいなくなったから、少しばかり頼りないけど大丈夫かな」

 その言葉を聞くなり、サッと籠の戸を開ける。

 待ってましたとばかりに飛び出した鳥が、近くの小枝にとまる。

「ホーウホケキョウ」声を忘れかけていたのが治って、相手もいないのに無駄な縄張り主張をする。

 口笛を吹いて姿の見えない敵になってやると、今度は「ホーウ、ホタルー」と鳴き返してくる。

 実に不自然な鳴き声だ。

 呆れていると、調子付いて「ホーウ、ホケッキョーウ、ホー、ホケッホケッ、ホタルー」うっとうしくさえずる。

「あれが本当の鳴き声です」あおい君が俺に教える。

 今まで鶯の鳴き声かと思っていたが、自分が信じられなくなってきた。

 すると今度は「ウーー」と唸る声がする。

「なんだか妙な声がするね。野犬でも出たか?」

「きっと狼だわ」

 これまたあおい君が困った答を出してくれる。


 バサッバサッ。

 小汚く復旧された管理放棄地の笹林で、格闘らしき音がする。

 声がぴたっと止んで、バリバリ。

 骨を破壊する音が響く。

「あら、狼に不死鳥さんが食べられちゃったわ」

 あおい君が冷淡な笑みを浮かべている。

 見ず知らずの猫の葬儀で泣きそうになっていたのと、今ここでにんまりしているのが同一人物とは思えない。

 その隣りで朱莉ちゃんが「また食べちゃったのー」呆れ顔になっている。

 不死鳥だの狼だのと、この場合は絶対に俺の幻聴だ。

 あえて二人に会話の内容を聞き返すのはやめにして、野ざらしとここに来た理由の続きを話していた方が無難だと結論づけた。


「それでどうよ、これから俺の知人と何しようっての、だいたい、その知人って誰を指して言ってるの」

「ああ、それだったらもういいです。連絡がついたみたいだし、私の御願いも叶えてもらえるみたいなんで、どうも御手数かけてすいませんでした。ありがとうございます」

 僅かに歩み寄ってやろうと提案したら、適当過ぎる答えが返ってきた。

 理解の域から逸脱した問答が続いていたからか、あおい君と朱莉ちゃんが野ざらしに「はいはい、どういたしまして。今夜はゆっくりお休みくださいな」港屋から盗んできた浴衣を渡す。

「えー、何でこいつだけ浴衣なの。俺のはー、温泉でもないのに浴衣は変だよねー」

 しゃくにさわったので、野ざらしの浴衣を奪い取ってやろうとしたら「先生には美絵さんが置いて行った浴衣がありますから、これで我慢してください」

 あおい君が不機嫌そうに、女物の浴衣を放り投げる。

 いくら俺が変態でも、これはちょっとだけ恥ずかしい。

「温泉入ってチャカポコ宴会にこれなら分からないでもないけどさー、今はこれじゃないでしょー」

 半分嬉しいような半分恥ずかしいような有り様に、力加減を忘れて頭の天辺からかん高い声が出てくる。

「言い忘れていましたけど、間欠泉から引いた温泉はそのままになってますから、御風呂は温泉です。先生のおつむに効くとは思えませんが」

 これまたつんつんしてあおい君が出て行く。

「ほー、先生の御宅は源泉かけ流しですか。こりゃ贅沢できそうですなー。ひとつ呼ばれましょう」

 野ざらしが風呂に立つ。

「ヤブー……にぶっ! 本当にどんくさいわ」

 朱莉ちゃんが意味不明の怒りんぼになって、テントから出たら「温泉ー」鼻歌混じりで診療所に入って行く。

 そして、俺だけが残った。

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