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雲枕  作者: 葱と落花生
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6 俺と診療所と仲間たち 三

 診察が一通り終わると、知人の紹介で執筆のアルバイトがある。

 体調もすぐれず休んでばかりの医者では、かえって患者に迷惑だ、そろそろ引退して別の人生を歩くつもりでいる。

 どうせたいして残った命でもない。

「少しの間だけど、好きな事を生業として食っていられた」先に逝った奴等に自慢してやりたい。

 万年床で、書斎などとは呼べぬ散らかった部屋だが、ここがこれから俺の仕事場になる。

 夢中してやっていると、ついつい飯も忘れがちだ。

 もらったカラスミを数切れと、酒を用意してから書斎に籠る。


 一時間ほどしてからだろうか、滅多に鳴らない電話が俺を呼んでいる。

 出れば、入院しているシャコタンからだ。

「恐ろしく暇だからー、病院へ遊びに来いよー」

 電話口の向こうで大声を出している。

 病院の電話で、その大声は迷惑だろうと言うと、個室で携帯を使っているから心配するなと馬鹿笑いをする。

 慌てて猫に留守番を頼んで出かけようとすると、居候猫は長閑にウトゝしている。

 確かに、小春日和は眠くなる。

 猫は鼠を捕るどころか、自分が猫である事まで忘れている。

 俺は、見舞いに行くつもりでいたのを忘れていた。


 雑貨屋が改装中なので、病院の近くでビールを買って、適当につまみを見繕いシャコタンの個室に顔を出す。

 既に、他の病室の連中を引き込んで花札を撒き、一升瓶を抱え込んでいる。

 ちょうどいい酔い覚ましだと、皆で冷えたビールを一気に呑んだものだから勢いがついて、そのうち花札からかくし芸大会になり、ハンドカラオケまで持ち出して宴会を始めてしまった。

 院長が黙っているはずない。

 チラッと顔を出しただけで、来た時は完全に下地ができあがっていた。

 俺がけしかけた宴会でもないのに「医師である者が付き添っていながら、とんでもない事をしてくれたものですね!」

 そりゃあもう、この世の終わりみたいな騒ぎよう。

 イラッとしてきたが、時と場合と立場があるから黙って聞いていた。


「そんなに元気なら、もう退院しても良いでしょう。今直ぐ、この病院から出て行って下さい」

 しっかり俺まで追い出された。

「まあまあ、強制退院で出所したのはいいけどなー、このまま家に帰るってのもなー。従業員の手前かっこう悪いよなー」

 シャコタンは、俺の診療所に転院すると勝手に決めていた。

「自慢じゃねえけど、開業以来一人も入院してない診療所だよ。特に治療する必要もないし、寄ったっていたらさ、また宴会になっちまうぞ」

 一応、断る素振りを見せたてやる。

「それでもいいから、とりあえずお前の家に行こうか」

 途中で、たんまり酒を買って帰った。


 帰っても居候猫は出迎えない。

 留守番を放棄して遊びに出たらしい。

 当てにできない奴だ。

 適当に開けっぴろげで出て行ったきりで、酒とつまみはテーブルに出したままのはずだ。

 さーてカラスミをつまみながら一杯やりますか……テーブルの上に置いてあったのがない。

 まだ残っているからよかろう。

 諦めて台所で支度を始めると、どこから迷い込んだ。

 黒くて大きな猫が、こちらをギロッと睨み付けている。 

 他人様の台所に侵入しておきながら、臆するようすもないとは腹立たしい奴だ。

 どこかで見た猫だ。

 シャコタンに確認てもらう。

「御前んとこの黒猫か?」

「こっちの方までは来ねえよ。その辺の野良だろ、ぶちのめしてやれよ」

 言い終るより早く、黒猫はシャコタンが突いていた松葉杖の餌食になって弾き飛ばされた。

 俺がとどめとばかり、手元にあった出刃包丁を投げつけてやる。

 包丁を軽くかわした黒猫が、恨めしそうにこちらを見据えている。

 カラスミを食ったのはこいつに違いない。

 目も充血しているから、酒まで呑んでいるようだ。

 入り込んできた戸を閉め、ほうきでボッコボコにぶちのめしてやる。

 これだけやられたら、もう二度と診療所の敷居を跨ごうなどとは考えないだろう。


 シャコタンは開院して初めての入院患者だ。

 どう対応したらいいのか皆目見当もつかない。

 入院としてはいるが、時が来たらギブスを外してやればいいだけで、ほっといても治るのは分かっている。

 せっかく旧友と一緒なのだ、とりあえずは呑まなければ法律が許しても良心が許さない。

 二人で適当にダラダラ吞んでいると、外で「ねーこ、猫、ネコー」と呼ぶ声がする。

 誰かがふざけて、さっきの野良猫をからかっているのだろうと放っていたら、オヤジがネギと牛の良いところを持ってきてくれた。

 検査結果が出たので病院に行ったら、肝臓が治ってくれていて、少しなら吞んでもいいと御許しがでたとか。

 今日は一緒に吞もうと言っているが、タイミングが良過ぎる。


 オヤジの家は昔からの豪農で、爺さんだか親父さんだかが不動産屋を始めていた。

 これが駅前の再開発と上手いことリンクして、今じゃ界隈一の御大臣様に成り上っている。

 随分と昔、オヤジに不動産ででっかい穴を開けちまいそうだから何とかしてくれと、山付きの家を一軒俺名義にしなければならなくなった。

 今になって冷静に考えると、あの時はシャコタンも一枚噛んでいたような気がしてならない。

 だから、偶然を装って二人が揃うと、何だか不安になっていけない。

 ごっつく高そうな和牛肉まで持ってこられると、尚更警戒したくなる。

 ただ、俺は呑むと思考回路が空回りして、なにはともあれ酔っ払ってしまえばいいかなーになる。

 そんな性格を知っているのか、さあ呑めそれ呑めやれ呑めですっかりいい気分になった。


 今日の牛肉は居候の猫にえらく世話になったからと、神社の巫女が診療所に差し入れを頼んだらしい。

 あいつが何か悪さをやらかしたのなら分かるが、世話になったとは奇怪だ。

 オヤジはワザワザ肉屋の相南まで行って、この肉を仕入れて来てくれた。

 肉屋と言っても酪農家だ。

 父親が市長で本人は救命士。

 肉屋に顔が効くから、良い肉が欲しい時は奴に頼む。

 相南も後からここに来るらしい。

 俺達よりずっと後輩になるが、シャコタンが毎年のように救命士の世話になっている。

 そんな絡みで、自然と親しく付き合う仲になった。

 この診療所でバーベキューパーティーをする時は、概ね相南が肉を持ってくる。

 彼の父親も参加したがっているらしいが、市長が一緒では酔いにくい。

 それに、市長はかなり酒癖が悪いと聞いている。

 困った奴には来てほしくない。

 こんなメンバーが揃うと、明日の事など考えなくなる。

 ダラダラ呑んでグチグチ言って、グダグダになってデロデロに酔う。


 相南が来てすぐ、どこをほっつき歩いていたのか居候猫がトコトコやって来て、くわえていた袋を俺の掌に乗せた。 袋が二重に見えるのは気分の良い証拠だが、猫から何かをもらうのは不思議な気分だ。

 今日の宴は言って見ればこいつの御蔭だ。

 主役の御出座しを歓迎しないのは人格の素を疑われる。

 丁重にお迎えして、真ん中の一番いい席にお座り願った。

 しかし気になるのはこの包みで、中身はいったい何なのだろう。 

 無論、猫が答えるはずもないが、そんなに気になるなら開けてみろよといった態度だ。


 ジャラジャラと、大きさの割には重い。

 どこから銜えてきたものやら、包みにはヨダレがベタベタについている。

 それでも、俺の為にと運んで来てくれたものだ。

 有難く頂くと、開けて驚き桃の木柿八年。

 中からは何年探しても見つけられなかった、朱色のシーグラスがごっそり出て来た。

 俺にとっては、ダイヤよりもずっと価値有る硝子屑だ。

 愚にもつかない馬鹿猫だとばかり思っていたが、きっとこいつは天才だ。

 どういった経緯で手に入れた。

 いやいやそこまで追求する気はない。

 御偉い猫様の接待パーティーで、場は大いに盛り上がっる。

 スキ焼をたっぷり味わってもらうとするか、どんなに偉くても所詮は猫だ、これ位の礼で十分だろう。

 猫は至極ご機嫌で、いつになくなついてくる。

 少しの間と頼まれたが、ずっといてくれても良いような気がしてきた。

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