59 野ざらし
「いやー、こちらこそ」
左手も握手の手として伸ばしながら、ゴソッと袖に引っ掛けて腕の傷を確認する。
間違いなく死んだはずの男だ。
「なんて事をしやかったんだよー」部屋に戻ってすぐ、ヘコを叱り付けてやる。
「やはりそうだったかい。僕では確認できないんでね。これから奴が行くから面通しをしてくださいと電話したんだけど、今丁度出たばかりだからって。もっと早くに言っておけばよかったねー」
どんな事情か知らないが、気付いていて提携するとは度が過ぎる。
「知っていてやってるなら、山城を敵に回す気でやってるんだろうな」
言っても聞く相手でないが、一応形だけは整えてみた。
「脅かさないでよ。確認がとれたら、僕が山城さんに連絡しようと思っていたんだけど、君から知らせてやった方が何かと穏便に済みそうだね。報告しておいて頂戴ね。何かあったら僕の所に一報くれれば、しっかり解決するからって言っちゃってくれていいから。な・の・だ・よ‼」
潔いのか軽いのか、山城の親分が連絡を入れるとしたら抹殺の御願いしかないのは明白なのに、自分に殺しを頼んでくれと言っているようなものだ。
「本当にそう言っちゃっていいのかな、それってどういう意味として取られるか分かってるんだよね」
「ああ、当然さ。僕も港屋の若旦那には随分と世話になっていてね。それなりの恩返しはしたいと思っていたのにあの事件だろ。今更だけど、これで少しは役にたてるのかなって考えたのだよ。妙な気分に浸っているのさ」
その妙な気分が快感になって、しまいには癖にならないでくれと願うばかりだ。
翌日になって、クランク商事から電話が入った。
「ここのところ世界中で物騒な災害や事件が多発していますからね、温泉施設をシェルター付きのリゾートとして売り出しているんですがね、そこに、医療施設も併設する予定なんですよ。医師や看護師を募集している所ですから、うちの仕事を手伝っていただけないでしょうかねー」
人の顔を忘れただけでも失礼なのに、どれほど暇な医者だと思ってくれたのか。
これでも病院の副理事をやっている。
怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、ここで下手に騒いで正体を知られては元も子もない。
ただでさえ危険な相手だ。
丁重に御断りしながら「避難所があるなら、医師や看護師まで常駐させる必要はないんじゃないですか」それとはなしに、裏の事情に探りを入れてみた。
すると「あの施設の一件では私達も使われている身ですから、詳しい事までは分かりませんがねー。なんだかこれから先に、大変な災害がやってくるとか思い込んだ連中がやってるんですわ」
先行き怪しい自然の驚異を、懸念しているらしいまでは分かった。
診療所周辺は、十分過ぎる危機に直面しっぱなしの状況が続いている。
災害のニュースに感覚が麻痺していて、他所の出来事を気にしないまま過していた。
最近になって、世界のようすも似たり寄ったりだとの噂を耳にする。
今朝の銚子は季節外れの雪が降って、港屋前の海岸が吹雪で一メートル先も見えなくなっている。
こんなニュースも流れていた。
ここまでくると、病的に近未来を悲観して、過剰な避難設備を作りたくなる族が出てきても何ら不思議ではない。
いよいよ世の中一寸先は闇の時代になって来たならば、俺も自分なりに避難場所の確保をしておいた方がよさそうだ。
ビニールハウスの中へ一人用シェルターを埋けるのに穴を掘っていると、眺望医院の副院長が診療所を覗いている。
やっちゃん達から野ざらしとあだ名されているだけあって、その風体は写真をそのまま妖怪図鑑に載せても見劣りしないであろうレゲエぶり。
以前、山城親分から紹介された時とはえらく違っている。
彼が来るのは事前にヘコから連絡されていた。
どうせここに来たのは俺が目当てだろうと察して、こちらから声をかけてやる。
「あんた、誰?」
おおよそ野ざらしだろうと見当をつけているだけだから、まずは本人確認をしてみる。
すると意外な方から声がしたか。
幾分慌てたようすを見せ乍ら、辺りを一巡観察する。
俺の他に人がいないのを確かめると、ハウスの中に入って来て、わざと小汚くしたレゲエのズラを頭から外した。
薄くなりかけている頭髪を掻きゝする。
「いっやー、このかつらは暑い。何をやってるんですか、こんな所に穴なんか掘っちゃって」
無駄な変装をしてやってきて、いきなり要件も言わずに人の仕事についてとやかく言う。
性格が野ざらしそのままだ。
俺の方から色々と聞きたいのが、先に質問されたのでは答えてやらなければ後手で聞き出すこっちが不利になる。
「シェルターを作ろうと思ってるんだ」
「それなら御自分が代表をやっている会社で作ればいいでしょうに、随分と苦労をしたい人ですねえ」
シェルター事業には一切関わっていないし、関わり合いたくない。
第一に、安全が確認されていない。
こんな時でも、頭の中から除外していた。
言われて始めて、そうした方がずっと楽だと気付いた。
「適切なるアドバイスをありがとう。ところで、何しに来たんだ。妙な格好してからに」
来客があるのは分かっていたから、それなりの支度はしてある。
テントの横に置いた小型の冷蔵庫から、ビールを出して一本すすめる。
これを開けると勢いよく二口三口呑んで、近況を語り出す。
「クランク商事は知ってますよね。あそこから誘いがあって、リゾート内の病院に転職したんですよ。まずは先生に知らせておこうと思いましてね」
「そんな用事なら電話でも済んだろう」
疑問符を投げつけてやったら「ここから先が盗聴されると困るので、わざわざこんな田舎までやってきたのですよ」
俺ばかりか、地域全体を小馬鹿にした返答を投げ返してくれた。
「あそこがどんな施設か知ってるのか?」
気に入らん奴だから、つまらない騒動に巻き込まれても知った事ではないと思っていても、どんな内情なのか、少しばかり興味のあるところだ。
「リゾートに併設されている病院だからね。温泉やジャグジーは当然として、中にある娯楽施設は無料で使いたい放題。寮があるから家賃の心配はないし、食事も旨い物がいくらでも出てくるよ。申し分のない施設だね。問題点がない訳じゃないけど、一つだけだよ」




