57 ヘコの危ない投資話
俺も時々ブドウ糖が足りなくなって寝るが、医者はどれもこれも似たような生態だと思う。
「さあ、今夜はここでゆっくりおやすみなさい」
あおい君が美絵を無理やりベットに押し倒す。
美絵がそれに驚いて恥ずかしがる。
この二人、よもや、このまま、そっちだかあっちの世界に入り込むのか。怪しい眺めだ。
「まあ、仲がよろしいですこと」
今度はキリちゃんが美絵の手をとって起こそうとする。
「もう少し寝ていてもらいましょう」
あおい君がその手をのけようとする。
「お食事の用意ができましたの」
二人を連れ出すキリちゃんは俺を誘ってくれない。
「飯……俺のは?」
酷く心配になったから速攻質問する。
「先生のはお部屋にお持ちします。カニ雑炊ですよー」こう言い放ち出て行った。
「やったー! 今日はご馳走だー」
俺は一人で小さなガッツボースをしてみた。
部屋で食堂の方から聞こえる女共の楽しそうな話し声を聞き、一人寂しくカニ雑炊をすすりながらビールを呑んでいると、珍しくヘコが訪ねてきた。
手には器一杯にカニ雑炊を盛ってもらい、ニコニコしている。
俺の食い扶持を横取りしたとしか思えない。
「君は半病人だから、こんなに食べられないだろう。僕が手伝ってあげるよ」
「お前に食わせる飯はねえ。意地でも全部食ってやる」
「いや、君には滋養をつけてもらおうと思ってね。ヒメモグラの黒焼きとガマガエルの燻製を持ってきたよ。ほら」
いきなりコンビニ袋に入った現物を、ベットの食台にゴロンと転がして見せる。
嫌がらせが得意な男だ。
「いらないよ。そんなもの猫だって食わないだろ」
「いやー、うちに来る黒猫は喜んで食べているよ」
「猫と一緒にするんじゃないよ。それより、銚子は恐ろしく忙しい世界になったようじゃないか。よくあそこから穴だらけになった天然温泉街まで来られたな」
「君がペロン星人と呼んでいる人にお願いしてね。ちよっと寄らせてもらったんだ」
ちょっと寄らせてもらったと言っているのに、体に似合わない大きな頭陀袋から、分厚い資料を引っ張り出している。
「用事もないのに遊びに来たって風じゃないねー、なんだいそりゃ」
「君の持っている御金の一部を、この施設の改修費用に投資してもらうから、一応知らせておこうと思って」
資料の写真を見ると、港屋の近くに出来たバカでかい温泉施設で、十年近く前に作られた建物だ。
開業して五年ばかりは順調に回っていたのが、次第にすたれて、今では御臨終寸前と噂されている。
俺の持っている御金といったって、小銭入れに千円程度と予備の一万円札が靴の中敷きの下にあるだけだ。
何をどうこうしても、これを立ち直らせるなんてのは不可能。
少額の共同出資詐欺としか思えない。
「一口幾ら? どうせお前がやるんじゃ詐欺同然の仕組みなんだろ、捨てるつもりで出してやるよ」
五百円までなら無条件で出すつもりで言ってみた。
「いや、出資してくれるという意思があるかないか聞きたかっただけだから、もう用事は済んだよ。ありがとう」
「ふーん、変な儲け話だな。その計画ってのは全部でいくらくらいかかるんだ? なんだったら、卑弥呼や遥に声かけてやってもいいぞ。あいつらは銭の亡者だから、すぐに乗ってくる」
「それならもうお願いしてあるよ。心配してくれてありがとう。今日は気分がいいから、一緒に夜明かしで呑もう」
ヘコはこう言いって、頭陀袋からまともに食えそうな肴を引っ張り出す。
つかつかっと俺の机の前まで行き、クンクンとやって引き出しからとっておきの酒を見つけた。
昔から野獣なみに鼻のきく男で、どれだけ巧妙に隠しても酒の在り処は簡単にばれてしまう。
呑み明かそうとしておきながら、それが人の酒をあてにしているのではと一言いう前に、素早くコップへ酒を注がれたから呑まずにはいられない。
「で、どうするんだよ。あんな所いじくった稼ぎじゃ駄菓子も買えないだろう」
「だいじょうぶさ、出したら十倍二十倍にして返ってこないような投資はしないから。あっ! この事はやっちやんには内緒だよ。あの男は乱暴するしか会話に手段を知らないから、付き合うのが難しいね。山城さんもずいぶんと手こずったらしいじゃないか」
「ああ、あいつに理屈は通用しないからな。野生の勘だけで生きてるんだ」
「確かにそうだね。クリスマスの時にはね、彼に大型ツリー用の電気を貸したくないと言ったら、海岸に引きずり出されて右に二発と左に五発の鉄拳さ、痛いふりして倒れたら腹に七発ばかり蹴りをぶちこんできたよ」
ヘコは痛覚神経に異常があって、痛みを実際よりやんわり感じる体質だ。
この程度の表現で済んでいるが、常人がやっちゃんにそれだけやられたら、口から内臓が飛び出している。
「それって去年の話だろ。お前さんもよくいつまでも根に持って覚えているね」
「僕に危害を加えた人間の顔と、その内容はきちんと記録しているからね。理由はどうであれ、十倍二十倍にして返すのが、先祖代々の習わしになっているのだよ。だーよ」
恐ろしいしきたりを継承している一族だ。
絶対こいつには手出ししない方がいい。
それを知らないでやっちまったやっちゃんには、気の毒だが一度半殺しにされてもらうしかない。
「一つ頼みがあるのだけれど、かなえてくれはしまいか」
唐突にヘコが、資料の真ん中あたりのページをめくって写真を見せる。
シェルター設計図としてある図面で、ロクちゃんがモデルではなかろうかと思えるような作りになっている。
「シェルターってなに」
「シェルターはシェルターだよ。それ以外の何物でもないさ」
まさにそのとうりだが、なんの為のシェルターだか分からないから聞いている。
この疑問に答えるようすもなく、シェルターに完備したバストイレキッチンの事や、寝台のスプリングはエアサスになっているから空気の上に寝ているようだとか、言いたい事だけ押し付ける。
「こんな物で何しようってのかって聞いてるんだよ」
いつまでたっても終わりそうにない。
途中で話の腰を折ってやった。
「ああ、そうだったね。温泉施設にこのシェルターを設置する事になったのだよ。施設の運営とは別に、こいつを売り出そうと思うのだよ。もちろん、これにはリスクが伴うから、僕が直接手を出す事業じゃないのだけど、この真ん前にできた有朋組へ、企画を持って行ったら乗り気だから、監視しやすい近所という事で、君に製造販売の元締めになってほしいんだよ。だーよ」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。そんな危なっかしい事業の片棒担ぎなんかやって、失敗したらすってんてんになっちゃうだろ」
「その心配はいらないよ。君は名前だけ貸してくれれば、あとはペロンさんと卑弥呼さんと遥さんなんかが仕切ってくれるから。あの人たちの名前を出すと、たいていの事業主は尻込みしちゃうのだよ。その点、君は病院の副理事長という肩書も持っているから、内容はどうであれ信用されているのだよ。わかるかな」
「内容はどうあれってのは余計だろ。卑弥呼と遥にペロンまでつるんでやる事なら、間違っても損はしないんだろうから名前だけなら使ってくれてもいいけど、後で詐欺がどうこうとかになってしょっ引かれるのは御免だぞ。もし引っ張られたら全部バラスからな」
「ああ、もちろん心配ないよ。間違って取り調べを受けるような時は、正直に調書取られてくれていいよ。やましいところはないからね」
人を五・六人殺して埋めてもやましくならない連中の基準はあいまいだが、堅気の商売だからと熱心に説明する。
名前だけの約束で貸してやった。
御礼として、頭陀袋から去年のオークションで目ん玉が飛び出る値のついたウイスキーを出した。
「一本そっくり呑んでくれていいよ。置いていくから」
こんなに良い物を持っていたなら、なんで酔っぱらう前に出さなかった。
絶対にイミテーションだ。
この男は一時期、骨董の贋作をシャコタンの所に持ち込んで荒稼ぎしていた。
シャコタンはこの事実を聞いて「やっぱりなー。あの人のやる事だから、どうせそんなところだと思って、蔵に放り込んだままにしていたんだよ。それにしても、作りの腕は確かなもんだー」と褒めていた。
これは俺だけが知っている秘密だったが、やっちゃんの兄貴が骨董屋にそれを売って良い稼ぎをしたと聞いた。
もらった酒がほど良く旨いので、本当の事を教えてやる。
「シャコタンが、贋作の腕を褒めていたぞ」
「ああ、あれね。正体は明かせないけど、彼の所に持って
「あれかい。売りに行ったのは僕だけど、作ったのは僕んじゃないのだよ。確かに、彼の作品は本物か偽物か区別がつかないだろうね。なにせ作者になりきって創作するというか、本人だからね」
どんな酔い方をしている。
思考回路のこんがらかった答えが返ってき。
そこは美酒の手前、勘弁してやる事にした。




