56 気絶の睡眠
ほどよくグデグデになってから床につくと、いきなり朝になっていた。
酒は程々にしておけと内科医から言われていたから、ここのところたいして呑まないでいた。
今回は大金を投入しているので、元を取ろうとして呑みすぎた。
やっちゃんは早朝に緊急招集がかかったとかで病院に行ってしまい、俺が起きだした時には皆して帰り支度をすっかり終えていた。
海岸や病院の方で、自衛隊や救急のドクターヘリが着陸しては飛び立って行く。
緊急に呼び出されたのは地域防災の予備訓練だとかで、住民は参加していないから宿ではいつもの平和な朝になっている。
ここで何が起ころうと診療所の非ではない、一晩のんびりさせてもらったが、帰れば絶対に急患が診療所にも回されてくる事態になっている。
大騒ぎの近所さんに、ちょっとだけ申し訳ない事をしたうしろめたさも手伝っているのか、山城組の連中はとっくに帰って被災住宅の瓦礫を片付けていると、パイロットが俺に早くしろの命令口調だ。
朱莉ちゃんの操縦でなくて良かったと思うのと、御前にとやかく言われたくないよと思うので、ヘリには幾分不機嫌な顔で乗り込む。
十数分の空旅。
心の準備ができていないのに、つくなり有朋が俺達を引っ張って診療所に押し込む。
中には怪我人が満杯になっていた。
病院は重症患者の対応で手いっぱいになっているから、救命士の相南が勝手に診療所の医薬品を使って応急処置をしている。
追いつかないでてんやわんやになっている。
朱莉ちゃんが予言したまま、局地的な異常気象が原因で、被災者がどんと増えている。
どうしてこんな事が分かったのか思案すると、例の暗号解読で未来が見えてしまったとしか考えられない。
この地域の災害には急過ぎて対応できなかったとしても、銚子で防災訓練が始まっているとなると、同じような現象が近い将来あっちでも起るのだろう程度なら俺にも予想できる。
何日か患者への対応に追われていると「これからやっちゃんの所に行きます」ぬらりひょんが訪ねて来た。
ちょっとした事でもビクビクしている奴が、これから異常気象で災害が起ろうとしている地域に行こうとしているから「あっちは危ないぞ」と教えてやった。
すると、何事も悟っているような落ち着き方で「そうなんですけど、どこへ行ったって同じですから。僕も少しは皆さんの為に役に立ってみようかと思います」
こっちに来てから何日もしていないのに、人格が変わって強い所を見せている。
「分かってるなら止めないけど、危なかったら直ぐに逃げてこいよ。あの病院を作った連中が、未来の分かるソフトだかコンピュータを作ったらしくてな、大変な事になるみたいだぞ。誰もそこんところは俺に教えてくれないんだけどな。きっとそうだよ」
やる気になっている意気込みと出鼻をくじかないように、出来るだけやんわり、曇りガラスの向こう的な言い方で真実を匂わせてやった。
ぬらりがやっちゃんの所に行ってから、ふっとあいつにも教えてやった方が良かろうと《事情は訳あって言えないが、これから君達の住む街の病院が忙しくなるよ。こっちで起こっていた異常現象は、これから世界で始まる災害の予告編みたいなもので、どこへ逃げたってどうなるものでもない》ちょっとばかりの事ではしらばっくれてしまう奴だから、少し大げさにメールしてやった。
予言のプロであるパックが大人しくしている、実際に大変な事態になるのかならないのかなんてのは分からない。
何事も、なくて済めば俺が嘘つきになるだけだ。
教えないより言ってやった方がいい。
メールを送って数日は平和な日が続いた。
とは言っても、こちらは相変わらず異常気象に右往左往させられている。
それでも、やっちゃんのいる銚子辺りにまで飛び火する気配はなかった。
それが、今日になって銚子沖を震源とする群発地震が観測されているとニュースで騒ぎだしている。
この騒ぎが始まった時、俺は連日の急患対応で疲れて倒れ、病室兼自室で看病される側になっていた。
「まだ寝ていらっしゃいますか。昨夜は御迷惑かとは思いましたが、過労で伏せっているとお聞きしたので、なんべんか御邪魔して……ようすを診させていただきましたが、疲れてしっかりお眠りになっているのに、あちらは元気で、少し安心いたしました。ほほほ」
誰から聞いた。
一人で俺の部屋に上がり込んできて、臆するでもなく前かがみで俺を覗き込む。
白衣の襟元が重力に従って大きく開き、中で揺れる乳房がよくよくはっきり見えるのを隠そうともしない。
無論、恥ずかしいなどといった素振りは微塵もない。
近所の病院で医師をしているなら、ここと同じでなにかと忙しいだろうに、わざわざ見舞いに来るとは律儀なものだ。
一瞬感謝しなかったでもないが「あちらは元気で、ほほほ」の辺りがちょいと引っ掛かる。
「美絵……でいいのか? 文恵だったり瞳なんてことはないだろうな。御前ら同じ顔してるから分からん。まさかふやけた婆ぁじゃないだろうな」
身成と出没時期の速さからして美絵と判断したが、正体不明の一族だ。
用心に越した事はない。
この先の展開にも大なり小なり影響が出てくる場面だ、まずは相手の素性をはっきりさせなければならない。
「美絵だなんてー、名前で呼んで下さるなんてー、もう恥ずかしい。新婚さんみたいー」
名前で呼んだだけで新婚にされていたら、少子高齢化現象などあり得ない。
答えになっていないが、とりあえずこいつが美絵であるのは確認できた。
「病院勤務なら忙しいだろう。何しに来たの」
「何しにってー、御慕い申し上げている大切な方が御病気とあっては、御仕事どころではありませんわ」
これは、噂に聞く押し掛け何とかという族の一種であろうか。
俺如き不出来な男には勿体ないと誰もが思う不釣り合いだが、それでもごめんなさいと言ってやりたい胸の内を、今ここで露わにしたらこいつは変貌して、チラ見せしている乳房に近いポケットに刺さっているボールペンで、身動きとれない俺のチ○コをめった刺しにして引きちぎる。
そんな奴だ、きっと。
こう考えると、迂闊な発言はできない。
ここは素直に「忙しいのに、わざわざありがとう」
礼を言ってみた。
しかし、一度の礼では納得しないのか、黙って動かないでいるからもう一度「ありがとう」それでもじっとしているから再び「ありがとう」これで三回。
ありがとうと言ってやったら、そのままぱったりベットに伏せって動かなくなった。
体中筋肉痛で、俺自身も上手く身動き取れないのに、股間の辺りに頭をグッタリのせたまま気絶してくれている。
どうにもならない。
診療所開設以来、初めてナースコールのスイッチを入れてみた。
建てた時は正常に作動したが、あの時から十数年間、一度も作動検査をしていない。
診察室の方からキリちゃんが足早にやって来て、部屋の扉を勢いよく開ける。
「どうしましたー」
この問い掛け、看護師をしていれば自然な振る舞いだが、少しばかり安心できる御言葉だ。
同居しているせいか普段は看護師と意識して見ていないから、ああこの人看護師だったんだと改めて思わされる。
「死んじゃったよ。動かないよ」
「まさか」
キリちゃんが美絵の首に指をあて脈を見る。
血圧を測り終え「生きてます」そう言って隣りのベットに寝かせる。
少しして、あおい君がようすを見に来た。
「この先生も過労ねー。御婆ちゃんから休むように命令されたから、仕方なし御見舞いに来たって言ってたけど、ヤブの顔見て毒気に当たっちゃったのね」
確かに、少しばかり毒のある性格だが、顔を見ただけでひっくり返るほど強力ではないと自負している。
言い過ぎだ。俺が可哀想だ。
「あんまりだよね」
こんな時に黙っていると、そのまま永久に毒人間のままにされてしまう。
少しばかり、訂正の為に抗議する。
そんな会話が聞こえたか、美絵がのそっと起き上がる。
「あら、すっかり寝てしまったのね。すいません」
寝てしまったのではない。
気絶した自覚がないとは呑気な奴だ。




