53 診療所の厄日
災害があっても、食う物だけはしっかり食っておかなければ生き延びられない。
看護師だけあって、基本がしっかりしている。
こんな時にはどうすればいいか分かっている。
みっちり昼飯を食わせてもらっていると、相南が趣味で買ったはしご車でやって来て、温泉池の真ん中に沈んで一階になった有朋組の二階に救出部隊を送り込み始めた。
助け出された組員が、湧き出ている温泉が六十度近くあるからそのままでは入れないと湯もみを始める頃になって、今度は雲行きが怪しくなってきた。
遠くの空では稲光が雲の中で暴れている。
雷鳴は遙か彼方に聞こえるものの、昼間だというのに海の方まで真っ暗になって、落雷の度に天と言わず地と言わず、一瞬だけ街の全景を浮かび上がらせてくれる。
こうなってくると、落ち着き払っていたキリちゃんもタジタジ。
十字架と数珠と御札を抱え「悪霊退散、どうか私だけでも助けてくださいー」拝み倒している。
そこへあおい君が、MRIで使っている耳栓を持って来てやった。
こいつを素早く耳に詰め込み、雷の音が聞こえなくなった途端に怖いものなしのキリちゃんに戻った。
大きな音がした時には既に落雷は完結している。
だから驚く必要はないのに、雷鳴を異常に怖がる人間は多い。
どんなに強力なデシベルでも、聞こえているうちは自分に落雷していない。
生きてる証拠だから安心すべきだ。
急な異変に屯っていた爺婆を、施設の送迎車が回収していく。
診療所は住人だけとなり、朱莉ちゃんは家出している上に猫はやっちゃんに預けたままで随分と寂しい。
柱が朽ちて傾いたテラスに出て、濁り酒を呑みながら近付いて来た稲妻を眺めている。
あおい君が、アンチョビピザの焼きたてを持って来た。
近所にあったピザ屋が閉店して、診療所で使ってくれといらなくなった石窯を置いて行った。
もらったはいいがどう使うのか、いくら考えてもピザしか浮かんでこない。
最近はピザばかり食っている。
嫌いではないから不平は言わないが、バーベキューをひかえて減らそうとしている体重計の数字は、運動量に反比例して増え続けている。
「毎日では飽きちゃったかしらねー」
あおい君が、俺のようすを見ながら問い掛けた時には、半分ばかり食い終えていた。
「そんな事ないけどさ、他に作れないの? 石窯って、でかいばかりであまり使い道ないね」
「あら、石窯っていろいろできますよー。ラザニアでしょ、それからパンも焼けるし、燻製も作れるしー、パイとか御菓子も焼けるから、何でも作れますよ」
「それじゃ何でピザはっかりなの」
「先生が料理するっていうからもらった石窯ですよー」
奥からキリちゃんの声がする。
音ばかりか稲光も怖い人だ。
外に出られないで引籠っているくせに、しっかり会話だけは聞いている。
「耳栓しているのに、よく聞こえるねー」感心すると「雷の音に負けない大声で会話してたら、嫌でも聞こえますー」
真ん前の池で、湯もみしていた組の連中と相南。
チラホラ雨が降り出すと、診療所のビニールハウスへ雨宿りで入って行く。
そこへ、キリちゃんとあおい君が炊き出しピザを差し入れた。
ハウスの中から俺の濁り酒を眺めていた有朋が、相南に耳打ちすると、はしご車を伸ばして事務所の一階になった二階から、図鑑でしか見た事のないウヰスキーを運び出して来た。
自分達だけで呑む気か、人の不幸とピザを肴に呑んでいた俺だ。
止めろとは言わないが、人様のハウスで呑むならそれなりの礼儀があるだろ。
一言いって聞かせようと構えると、あちらから招待状を持って若いのがきた。
目と鼻の先にいるのだ。
一声かければすむのに。
回りくどいのが日本の礼儀と勘違いしている。
始末に悪いやくざだ。
図鑑に載っているような酒で旨い物はないと思っていた。
あるとしたら、グラスに注がれた酒の横で「この酒にはこの肴が良く合うよ」と置かれているチーズ・ナッツ・チョコレートだと勝手に決めつけていた。
どっこい、酒とはここまで人の味覚を陶酔させるものなのかと思う。
今日の今までこいつらはろくでなしの石潰しとしか見ていなかったが、本当に良い物が何であるかをしっかり見抜ける眼力を持っている。
とっておきの旨い物を差し出すからには、裏に頼み事があるくらいの察しはつく。
どうせ住むところがなくなったから、診療所に暫く住み付きたいといった程度だろう。
「ハウスでよかったら、好きに使ってくれていいよ」先に言ってやった。
それを聞くと一安心したのか「流石に先生だ、何でも御見通しだ」と持ち上げて、さあ呑めやれ食えが始まった。
「うちの朱莉ちゃん知ってるだろー」箸をおき有朋に質問する。
「へえ、知っちゃいますが恐れ多くて、挨拶する程度のおつきあいでさあ」
妙に日本のヤクザになりきった答えが返ってくる。
「ペロン星人とは随分と親しく付き合ってるようだね」
直接朱莉ちゃんとペロン星人の関係を聞いてもはぐらかされそうだ。
遠回しに、共通の知人である事を白状させておく。
「へえ、随分と稼がせてもらいやした」
ちょいと自尊心を傷付けてやれば、自己弁護から何か口走ってくれそうな酔い方だ。
いきなり本題に入ってみる。
「ところで、朱莉ちゃんがペロン星人の所に入り浸りになる理由ってのを知ってはいないかなー、知らないかー、まだそんなに信用されてないかー」
「ああ、そんな事ですかい、それなら知ってますよ。実はね」
言いかけた所にあおい君が飛び込んできた。
「早くー、診療所の中に避難してー」
理由も何も言うより早く、酔っ払いを殴る蹴るして診療所に押し込む。
俺まで一色淡に押されながら部屋へと戻る。
入って何事だよと意見する前に、バラバラバラガラゴロ
派手な音と雷鳴が混じって、凄まじい雰囲気になってきた。
窓の外では、庭だか道路だか分からなくなった道に、ゴルフボール大の氷が降ってきて、停めてあったはしご車をスクラップにする勢いだ。
「あー! 俺のはしご車ー」
相南は嘆いているが、他の者が気掛かりなのはそれではない。
先程までくつろいでいたビニールハウスを見ると、大きな氷の攻撃を受けてそこら中に穴がいていく。
破けたビニールがだらしなくぶら下り、強風にあおられ始めた。
「ありゃ何だい」
「氷でござんす」
それなら言われなくても分かっている。
「朱莉ちゃんが出て行く前に色々と言っていたけど、この他にまだ災難がやってくるの」
正当なる保護者であるキリちゃんが、この事態について一番知っていそうだ。
皆してジワジワと詰め寄ってみる。
「あまり詳しい事は聞いていません」
「あおい君は何か聞いてないの」
「聞いてますけど、似たり寄ったりですよ」
診療所にいれば大丈夫だからと言っていたが、それよりここから他へ行く気になれない。




