5 俺と診療所と仲間たち 二
これから一ヶ月もしないで、西瓜泥棒に行っき崖から落ちたとかで、腕があらぬ方向に向いている貫太郎を連れて来た。
この時、小言だけじゃなくて二・三発ぶん殴っておけば良かった。
川で魚を獲るのに、まさかダイナマイトまで持ち出すとは思っていなかった。
間違って爆発したマイトで、貫太郎が尻の肉を吹き飛ばされて来た時には、流石にかばいきれなかった。
山城組での事情を知っている連中が、シャコタンの所へ「貫太郎に怪我させるとはどういった了見だ」とねじ込んで行った。
肝の座ったシャコタンもペコペコ謝り倒したのに、本人はどこ吹く風と相変わらず悪事に精出す毎日だった。
親父の病院に通っていたやっちゃんの母親が、この先あまり長くないと診断されてから三ヶ月が過ぎた頃、やっちゃんがガードレールに脇腹をぶつけて治療に来た。
この時は、山城の家に入り浸りも大概にして母親の近くにいてやった方がいいと思って、シャコタンに迎えに来いと連絡してやった。
しかし、これは俺のとんでもなく余計な御節介だった。
時が時だから穏便に済ませればいいのに、シャコタンも極道上りで我慢出来ない男だ。
やっちゃんをしこたま折檻して勘当してしまった。
母親が死んだのは、その僅か三日後だった。
この後がまた困った事件で、通夜の晩に帰ったやっちゃんに兄が喧嘩を仕掛けた。
喧嘩本業の奴を相手となると、ただでは済まされない。
止めに入ったシャコタンもまとめて二人を病院送りにして、自分は豚箱に放り込まれた。
この事件から二・三十分してやってきた山城親分に状況を説明して、組の連中が手伝いに入り、何とか通夜だ葬儀だを取り繕った。
通夜の席「ところで相談だが」親分が俺を呼ぶ。
「なかなか気合がへえってるだろ、暫くあいつを診療所においてやってくれめえか、先生。若けえから大飯ぐらいだ、足しにはならねえかもしれねえが、食費と下宿代はきちっと毎月末に入れさしてもらうから。あいつを医者にしてえんだ、学校の金なら何とかするから心配してくれなくてもいいや。それに、入学までの塾料もしっかりおさめさしてもらうよ。どうだい、引き受けちゃくれめえか」
米寿を過ぎたあたりから健康状態が怪しくなっていたが、とうとう脳まで病気になっちまったか。
あの馬鹿野郎を医者にしたいとは困った爺だ。
俺が医学部に入れたのは、真面に勉強したからではない。
手近にある物を使って連携し、現役だった姉と医師の兄が持つ知識を総動員した結果完結した現代科学の奇跡だ。
同じ方法を駆使すれば、どんな馬鹿でも金さえ積めば卒業できるし医者にもなれる。
だが、そのまま社会に出したら、あいつは医師免許を持った殺人鬼になりかねない。
そんな危険性をはらんでいるんだから、あまりお勧めできる方法じゃない。
生きている患者を相手にするつもりなら、現場に出てから本当の知識を身に着けるしかない。
超法規的行為によってできあがった、未熟で無知な医師であるとの実体を知っている所で、学校よりも長い修行を積まなければならない。
医師は職人なのだよ。
どの道、資格を持った闇医者になるのが落ちだ。
切った張ったの世界に住む人間だから、手慣れた所で外科医になって、危なっかしい連中の怪我を治すのに必要とされる医者だろう。
適当におだてたりしごいたりしてやれば、逃げ出すか諦めるかだ。
食費は、食材がいつでも余っている状態だからそっくり浮くし、下宿代と授業料は有り難い申し出だ。
二つ返事で引き受けて、早速この晩拘置所から身柄を引取り、診療所でこき使う事にした。
学校に行って組の用事を済ませ、その他に診療所も手伝った上に、俺が創った塾での勉強。
ハードなスケジュールが休み無しだから、直ぐに音を上げるかと思っていたが、組の事務所に出入していただけの事はあって、なかなかどうしてしぶとい。
からっきしだらしのない脳だが、今まで悪知恵以外に入れていないスカスカ。
分かり易く教えてやれば、乾いたスポンジと同じに、いくらでも吸収してくれる。
ひょっとしたら、カンニングなしで入学試験だけなら受かるかもしれない。
教えている俺も、いつの間にか本気になっていた。
きっとこいつは、どえらい大物になる。
たんまり稼いだ頃に、こっちが居候になってやると決めた。
やっちゃんは間違いで防衛医大に入り、俺と違って厳しい訓練に耐えぬき卒業までした。
素直に附属病院で公務員をやっていればいいのに、誰に騙されたか、近くで病院の寮に入り常勤医になった。
たまに遊びに来ては愚痴を垂れ流して帰る。
始末に悪い野郎だ。
そんな研修医期間中、いつもやっちゃんが事件を起こす度、影で動いてくれた阿弥陀弁護士が亡くなった。
この時、またもや一騒動おこしてくれた。
二代三代と続いているヤクザ専門の弁護士事務所だ。
主だった組には一通り連絡が入っていた。
山城の親分がヤクザ家業を始めた頃から、初代には大変お世話になっているとかで、組の者はもとより引退したシャコタンの所にも知らせが来ていた。
一緒に大阪まで行って、葬儀に出席する予定でいた。
勿論、やっちゃんにも「御前を助けてくれていた叔父さんの葬儀だから」と、父親から連絡があった。
院長に、二日ほどの休暇願を出したが認められなかった。
休ませてくれないと分かるや、いつものストレスリミット爆弾が炸裂して、院長に瀕死の重傷を負わせてしまった。
病院の仲間が、診断書に軽症と書いてくれたから実刑は免れたが、ここら辺りで事情を知っているのは俺達だけだ。
保護監察中のやっちゃんは、親父の病院で引き取る事になった。
今でも、やっちゃんは阿弥陀弁護士と親戚の叔父さんをごっちゃにしていて、話していて訳が分からなくなる時がある。
暴れて葬儀に出られず二度目の勘当をされた後、まだ親戚の叔父さんは生きているというのに、親族の家に黒服で行って、御愁傷様と挨拶して張り倒されている。
今では真面目に医者していると親父から連絡があったが、知らせる人間が不真面目の典型なのだから信用できる情報ではない。
そのうちあいつが遊びにくるだろう。
その時また、ゆっくり話しを聞こうかなどと昔の想い出にふけっていると、寒いのか、外で馬鹿猫がギャービーとやりだした。
一晩中窓の向こうで騒がれ続け、寝不足の朝。
いつか鴨をくれた爺が診療所に表れ、診察料の代わりだとカラスミを置いていった。
金を取らないものだからタダだと思っているようだが、保険料からそれなりの代金は支払われている。
それでも何がしか置いてゆくのが習わしになっていて、たいそうな物をもらう事もよくある。
カラスミといったら高級珍味で、良い物だと一腹一万以上もする酒のあてだ。
言っちゃ悪いが、鴨釣りをするような爺が気軽に買える代物ではない。
間違って鴨が引っ掛かるギャング釣りの殆どは、ボラの卵が目当てだ。
猫マタギとまで言われる雑魚だが、新鮮なら料理次第で美味く食える。
秋になって近所の川へ上って来る鮭より余程上等だ。
ボラなら間違ってメスがかかる。
そいつの卵を塩漬けにしてから寝かせてなんだかんだと手間暇かけたのがカラスミで、運良くボラの卵が手に入ったからといっても、簡単に作れるものではない。
自分で作ったにしても貴重品だ。
昼間っから呑んでも良いが、まずは馬鹿猫の夜泣きを何とかしなければ、眠れぬ夜が続くのはあまりにも辛い。
隣の犬が先月家出したとかで、犬小屋が空いている。
ちょいとの間と御願いして、ホットマットと一緒に借りてやった。
犬の匂いを気にして入らないのではと心配したが、度胸が据わった泥棒猫なのか間が抜けているのか。
警戒心の欠片もなく、すんなり入ってぬくぬくしている。
扱いを知ればなまじ利口な動物より、この程度の猫が飼いやすい。