46 俄作りの温泉街
診療所の隣りには、越して来た時から管理放棄されたままになっている土地が広がっている。
ここに公共モドキの温泉を作って入湯料を取れば、土地の面倒もみてやれるし診療所の為になる。
これには有朋と卑弥呼も賛成だったのに、入湯料を貯まった地代の利息替わりとして卑弥呼が全額没収するかしないかでまたもめだした。
「御前ら、タップり金持ってるんだから、細かい事でもめるんじゃないよ」と諭し、一旦俺が全額郵貯に預け、使い道は追々検討するとして収拾がついた。
隣りの空き地について調べると、随分前から税金が未納で持ち主が分からない。
こういった場合は卑弥呼が「ここは私の土地―!」と宣言すると、自動的に卑弥呼名義へと登記簿が書き変えられる仕組みになっている。
いい加減を絵に描いたままの行政区だからまかり通っている地域限定特令で、当然公けにはされていない。
それでも知らない者はいない。
それでいいとするしかない。
まるっきりただで入手した土地に、ペロン星人と有朋組が共同で温泉施設を僅か二時間で建てると、噂を聞き付けた住人がチョロチョロ集まってきた。
こうなってくると、応急の運営スタッフが必要となってくる。
丁度居合わせた山城の若衆に、卑弥呼がひそひそ小金を配って誘惑する。
もともと金に弱い性格で、ちょいっと魔がさして手を出した悪さの償いに山城で奉公している。
そんな若衆なのを知っていながら、金でこれからの行き先を変更させている。
性質の悪い雇用者だ。
若衆が銚子行きを少し延期した。
横道に反れた人生が、俺の所に来たばかりにもっと細い脇道へ迷い込んでいる。
隣近所どいつもこいつも暇人していて、噴き出したばかりの温泉へ浸かりに来る。
その中に、珍しく今日は調子がいいからと、山城親分まで混じっている。
もっと珍しいのは、俺の親父が親分と一緒にいる事で、真ん前にせがれがやっている診療所があるに、顔も出さずにしらばっくれている。
なにがなんでも来てほしい客ではない。
素通りしてくれてもいいが、山城親分がこっちに用事があるからと言って来たのに、親父はそのまま帰った。と言
かなり気分が悪い。
「今日はなー、頼みがあって来たんだが、聞いてくれるかい」
山城親分が診療所の揺り椅子に揺られ、煙管で一服ふかす。
親分に頼まれて断れるほど俺は命知らずではない。
「手伝いの事なら貫太郎に聞いてますよ」
既に承諾済の事案なら、話すのも面倒だから先に答える。
「その事じゃねえんだ」
まだ俺に何か頼む気か、この先あまり残っていない寿命を延ばしてくれとの相談か。
俺の命を削って自分の蝋燭に繋ぎ足すぞと脅されても、叶えてやれない相談だ。
「先生も奴の結婚式には出てましたかね、霊なんですがね。アメリカで捕まっちまって、帰って来られないんですわ。知ってる事を全部話せば、釈放してくれるって所まで弁護士先生が持って行ってくれたんですがね。それをやっちまうと、世界中に手配書まわされて三日も生きてられねえんでさあ。アメリカには証人保護プログラムってのがあって、他人になれると聞いたんですがね、他人になにりすますだけなら俺っちだって簡単にできまさあ。日本に返してもらって保護してやりてえんですが、匿ってやっちゃくれませんかね」
「親分の頼みだし、知らない仲でもないから何とかしてやりたい気持はありますけど……」
匿ってくれと言われても、アメリカの証人保護プログラム以上の方法を俺は知らない。
「なーに、たいして難しい事でもねえんで、親父さんには証人保護プログラムってのに協力してやってくれって話しはしてありますからね、先生はそれを知っていてもらえばいいだけでさあ。後はよろしく頼みますよ」
無責任な頼み事を伝え終えると、山城親分はやっちゃんに誘われたからと、港屋へ暫く養生に出て行ってしまった。
温泉に浸かって具合が良くなるのなら、ここに噴き出た温泉でもいいだろう。
わざわざ遠くまで行って養生する必要もない。
どのように考えても、霊を追って来るであろうヒットマンとの関りから逃げているとしか思えない。
これからここら辺りが危なっかしくなると言いふらしていた張本人が、先頭切って逃げ出す風だ。
歳をとったとはいえ、弱気はっきり情けなく感じる。
誰が見てもヨタヨタ爺さんで、事件が起こった時に現場にいたって頼りにできない。
だからよろしいが、組の連中を束ねるのが貫太郎では、頼りようにも頼れない。
それでも外面はしっかりした者で、組長名代としてあっちこっちに顔を出している。
今では他の親分衆から認められたナンバーツーになった貫太郎に組は任せ、精々長生きしておいてもらうとするか。
山城の親分はどこかで予言者の修行でもしたのか、それとも有能な占い師に知り合いでもいるのか。
のんびりしてきなよと送り出したら、半日もしないでてんやわんやの騒ぎが始まった。
いつも散歩している海岸の沖五百メートル辺りの海底が盛り上がったと思ったら、ズボッと沈み込んで海水を吸い込み渦を巻き始めた。
松林の住人達が、診療所まで避難してきた。
避難してきた身の上なのに「暫く風呂に入っていないなー」
温泉に浸かってのんびりしている。
消防や救急の出動がないのかあるのか、相南もその中に混じっている。
大災害ではないだろうが気になる。
つい一時間ばかり前、成田空港の近くで、同じように地面が盛り上がった後に、ズッポリ陥没して大穴が開いたと報道していた。
なんとなく嫌な予感がする。
ネットで陥没と検索してみると、診療所近辺で大小規模の違いはあるものの、地面が消える事件が相次いでいる。
趣味でトンネルを掘っているペロン星人が、とんでもない間違いでもしでかした結果ではなかろうか。
問い合わせれば「いっくら暇していてもー、用事のない所に穴を掘ったりしないもんねー」と返信してきた。
こなってくると、大きな土竜があっち堀りこっち堀りしているような現象の原因を説明できなくなってきた。
翌日になって、自衛隊の調査が入ると決まった。
報道の直後、開いていた穴が地下から盛り返してきて、夕方までにはすっかり戻ってしまった。
調査のやりようがなくなったと、夕方のニュースが流している。
やはりこの現象には、ペロン星人が関わっているとしか思えない。
舌が二枚どころか十枚もある嘘つきばかりだ。
今更真実を語ってくれと詰め寄っても、珍事の原因を打ち明けてくれる筈がない。
今回の事件と温泉の噴き出しがどう関係しているのかは不明だが、間欠泉が高く上がるものだから、遠くからも観光に来る人間が徐々に増えている。
卑弥呼も絡んで辺りは異様な進展で、診療所の周りを強引な急ピッチで買い占めている。
ペロン星人の科学力を最大限に使い、一大リゾートを作ってしまった。
年明けから僅か一週間ばかりの早業。
山城親分が去年から、近所は物騒になると言っていたくらいだ。
かなり前から計画されていたのではなかろうか。
疑い濃厚の急展開だ。
突如地上に現れた温泉街は、蜃気楼のようだ。
温泉に触れて浸かって、宴会場で吞んで食ってが出来る。
山城からの手伝いばかりでは追いつかない。
人手不足を心配しているから「アルバイトでも雇えばいいじゃねえか」
俺が提案するやいなや「求人してみたらね、思っていた以上に人が集まってくれたのー」一安心している。
普段から真面なのがなくて、ハローワークが見放した地域。
いきなり現れた施設での仕事となれば、結果は当然だ。
山城の連中は、施設が作られてから一週間ばかりは手伝っていたが、職員の見通しがついたら手を引いた。
改めて挨拶に来た。
「今度は本当に行きます。色々お世話になりました。ありがとうございました」
一般的な挨拶をしてくれるが、手土産はない。
こいつ等の口から真面な言葉が出てくるとは思ってもいなかったものの、感謝の手土産はない。
始めてこいつ等を見た時は、どこに目玉があるのか分からないほどに瞼や頬っぺを塗りたくっていた。
今日は分厚い化粧に変わりないものの、目鼻口の位置が分かる程度に薄くなっている。
この程度なら行く先。
普段から薄暗い所で濃い化粧の御姉さんと仲良くするのが趣味のやっちゃんに出会ったとしても、問題なくしていられるような気がする。
「私達のあとに、先生の知ってる人達が温泉の手伝いに来ますから、よろしくね」
一団の代表がこう言うと、他の連中がクスクス笑いながら車に乗り込んで銚子へと向かって走り出した。
貫太郎も「そういう訳ですから、後はよろしくお願いします」逃げるようにして出て行った。