44 恍惚の山城親分
「まあ、お前なら余計な世間の裏側まで知っているから、子供達に危害が及ぶようなへまはしでかさないだろうが、せいぜい用心してかかる事だな。金が絡んでくると、人間てのは鬼にでも邪にでもなるからな」
俺がヘコに注意勧告をしていると、ぬらりひょんが「この子等にはドンドン絵を描いてもらいましょう。不安や恐怖、悲しい記憶は総て絵に換えて忘れてしまえばいい」と、ヘコを後押しした診断をする。
この直ぐ後に、アインが体をグルンと脛に巻き付けるとヘコから離れ、アタフタ歩き廻りロビーの真ん中で止まった。
「痛ってー!」
ここでやっとヘコが、脛を抑えてのたうち回った。
一部始終を見ていたあおい君が、振袖を顔にあてて笑いを隠している。
都合よく通りかかった女将の後ろにアインが逃げると、辺りには丁度帰ってきた地回りの爺様が、ボケーっと仕込み杖を突いて立っているばかり。
他に人が見当たらない。
ヘコは狐につままれた体でいる。
こいつの痛覚神経には、危険な欠陥があると診断せざせるを得ない症状だ。
痛覚神経同様の鈍さならば、おのずと悪さにも限界があろうから、この調子でいけば大丈夫と自分に言い聞かせていると「山城親分から言伝を預かっています」と貫太郎が俺の所にやってきた。
「急で申し訳ないがと言ってまして、親父さんが病院の手伝いに入っている若い衆を、こっちの学校に入れたいんだそうです」
貫太郎が言う若い衆とは、最近手伝いに入った十九だか二十歳になったばかりの女達で、真面目にやっているからずいぶんと助かっている。
かなり前、貫太郎に礼を言うと、やっちゃんにも手伝いの事が伝わったらしく、俺の所にも何人かよこしてくれるようせっつかれたと山城親分が言っていた。
やっちゃんの希望に答えて移動する気なのかどうか、それならば奴のわがままに突き合う必要などないと言いたいところだ。
「どうしてそんなに急な話しになったのかな」
「なんでも、診療所辺りはこれから物騒になるらしくて、『不出来な娘ばかりで勘当同然の連中だが、親から預かっているからには怪我させて帰えす訳にはいかねえ』とか言ってたです」
診療所周辺が危なっかしい地域なのは今に始まった事でもないのに、山城親分は年甲斐もなく戦争を始める気か。
先が見えているのかどうか定かでない御老体が、何を心配しているのだろう。
「物騒になるってのは組に関係あっての事かな」
「それはねえです。うちみたいな組を潰したって、馬鹿にされても自慢にはなりませんから。なんでも、地震だか噴火だかがあって、オーロラもどうのこうのって、訳分かんなくなってるけど、親父の言う事には逆らえねえですから」
とうとう別世界に行ってしまったか。
山城親分の状態を的確に表現するならば、恍惚とすべき事態だ。
寝ているのか起きているのか、はっきり起きていると見えても、その実内面はアルファー派出っ放しの夢とも幻覚とも言える現実が、霞の向こうで微かに揺らいでいるようだ。
俺も時々こんな状態になるが、こういった事だから今からなにがしかの準備をしておいた方がいいなどと提言しても、誰もまともに聞いてはくれない。
それだから、今思っている事も見ている事も、絶対に虚の世界だとして黙っていると、現実に帰れたりする。
山城親分は総てを現実と信じ、誰かに命令できる立場にある。
尚且つ、その命令を疑いながらも、ご丁寧に実行する兵隊を抱えているから厄介だ。
いつになっても自分の間違いに気付けないまま、とんでもない事をやらかして逮捕だ死刑だとなってから気づく奴も大勢いる。
今のうちにさっさと入院させて、別世界からこちらの現実に引き戻してやらないと、取り返しのつかない事になりかねない。
「親分、入院させた方がいいんじゃないの?」
この場合は最も的確と思われる提案を、聞いても理解できないかもしれないウスラの貫太郎にしてみる。
「俺達もそう思ってるんですけどー、近所の先輩方も親分と同じ意見で、俺みたいなのが何言っても始まりまっせんでーすー」
完全に諦めきった態度だ。
近所の先輩方と言うと、シャコタンも含まれている話になってくる。
「シャコタンまで親分とつるんで変態してるのかな」
「はい、診療所にも遊びに行ってる黒猫を、この宿で預かってもらうんだって言ってますけど、彼奴はすばしっこくて捕まらないっす」
やはり、あの黒猫はシャコタンのクロだったか。
言い方は変だが、昔から真面目なヤクザを気取っていたから、変な薬に手を出したりはしない。
脳みそが溶け出しているとも思えない。
シャコタンばかりでなく、他の連中も親分と同じ意見で動いているとなると、まんざらでたらめな預言話でもないと思えてくる。
こうなってくると、いつでも頭の上で無駄に飛び回っているパックの怠慢か。
ちょいとばかり意見してやりたくなってきた。
すると、呼び出してもいないのに予兆も何もなく「なーにー」御軽く現れてくれる。
最近は慣れているからか驚きもせず「何で預言しないんだよ」と聞くと「俺は預言なんてできねえですから」
明後日の方から貫太郎が答える。
「お前に聞いてないよ」
貫太郎には、用事が済んだら帰れと急かす。
「先生もこれから帰りですけどー」口答えをされた。
最近、貫太郎は何を悟ったか、生意気にも意見をするようになってきた。いかん事態だ。
貫太郎がはけて、もう一度パックに言い直す。
「預言しろよ」
「出て来い言ったり出るな言ったり、めんどくせえ奴だな」
頭の中の居候のくせに、パックが不服を吐き出すから俺も一言返してやりたくなる。
「お前に一番言われたくない台詞だよ」
「あんたに言っても、どうせ幻覚だと思い込んで信じないから、預言するのはやめたんだよ」
そう言ってもらえてうれしいような寂しいような、まずはこれで良しとしておくべきだろう。
ならばもう二度と出てくるんじゃない。
封印してやった。
パックとの話がつくと、診療所の女共が俺の視界にチラチラしてくる。
もうそろそろ帰る時間だ。
のんびりしている俺に不快感を抱いていると思えなくもないが、そんなに急いで帰っても、今日は患者が来ない。
正月から病気ですとやってくるような不届き者は、天が許しても俺が許さない。
開業以来、正月三日以内に患者が来たことはない。
それ以前に、俺はすっかり酔って寝ている期間だ。
帰りの道程は険しくないが危険だ。
下手に話かけると、ドライバーまで後ろを振り向いて話す。
命が惜しいから黙っていた。
診療所に記録更新して到着すると、がらの悪い声が飛び交っている。
山城親分が懸念していた異常事態でも起こっているのか。
声の方へ歩いて行けば、組の連中とシャコタンが黒猫を追い回していた。
帰るなり、荷もそのまま診療所の者まで参加しての捕獲作戦となって、事情を知らない近隣住民が窓越しに騒ぎを見始める。
見ているうちに捕り物劇の主役を知ると、普段からクロの泥棒に迷惑していた住民も加わり、町中がてんやわんやの大騒ぎ。
収集がつかない。
それにしても、普段から恨みをどれだけ買いあさっている。
捕獲情報がネット上に飛び交っている。
書き込みが異常に伸びて、動画投稿サイトにまで登場した。
以前、俺が宇宙船を投稿した時以来の反響で、世界の一大事と言わんばかりの騒ぎになってきた。
他にやる事がないのか?
平和な元旦を過ごしている庶民には、想像以上に暇人が多い。
極道もマフィア崩れも、希少な堅気の地域住民や千葉日報の記者まで、そっくり巻き込んでの一大イベントに急成長したクロ捕獲作戦。
おやつ休憩をはさんで続けられたが、未だに捕まったとの報告が上がってこない。
猿が山から下りて来た時は、麻酔銃で眠らせ山奥の行政区境界ぎりぎりまで連れて行った。
目覚めた時に追い払って、隣町の山林に自主的撤退をさせるまでに三時間だった。
慣れているとはいえ、畑を荒らす猪を鍋に入れて食うまででも四時間で解決している。
役所の鳥獣保護抹殺課は、動物の扱い方に精通してる筈なのに、猫科でも、そのままの猫で虎や黒豹ではない奴に手こずっている。