4 俺と診療所と仲間たち 一
入院する前、立て続けに二件の交通事故に巻き込まれていた。
回転性の眩暈発作が頻発してから、右耳聴力が六十デシベルまで落ちたまま回復してくれない。
平衡機能障害と高次脳機能障害は交通事故を原因とするのが自然な流れに思えるが、診断医は保険会社から小遣いをもらっている手前、どうしても原因不明の疾患にしておきたいらしい。
首の骨折を見落とされ、頭部への衝撃も考慮されず「ここ折れてんじゃねえ?」と訴え続けたにもかかわらず、頭蓋骨のXP画像は闇から闇へとたらい回しされた。
高次脳機能障害になってから、何事もどうすべきかの高度な判断が出来ない。
外傷性脳損傷の診断が出たのは事故から八年後で、とっくに補償は打ち切られ、雀の涙の和解金で示談にされている。
特に生活が苦しいという訳でもないから、暫く遊んでいるつもりだが、生活の質が下がっていると強く感じている。
それさえ、まあいいかと諦めて、開き直った人生設計をするしかなさそうな余生だ。
とりあえず、今日の夕飯は何を食うか程度の悩みしか持たないようにしている。
意識しなくても、そんな事しか思いつかない。
御気楽と言われればそのとおりの者だ。
一日で一番長く時間を費やして考えるのが夕食の献立で、美味い酒が呑みたいし、美味い酒を呑むには美味い肴がなければ胃袋に失礼だ。
でたらめに生きているようだが、まんざら世の中を舐め切った人間でもない。
だから、どうやったら医者になれるかなんてできそうでできない嘘八百並べるつもりはない。
どんなに成績が優秀でも、なりたければ必ず医者になれる世の中でもない。
残念な現実として、医者になるには金がかかる。
逆の見方をすれば、一般的な頭脳と金さえあれば医者になれる。
俺の実家は病院を持っているが、決して裕福ではなかった。
詐欺事件で親父の御人好しに家族が付き合わされた結果だ。
医大に入る頃には、年の離れた兄は医者になって病院を手伝っていた。
ただし、病院はまともに給料を出せるような経営状態ではなかった。
そんな折、親父が防衛医大の願書を取り寄せた。
「何をやってもいいから医者になれ。ただし金はない」
無責任この上ない命令だ。
医者になる気はなかったが、特にやりたい事もなかった。
進路など考えてもいなかった俺は、案内の【在学中は給料が出ます】の一行にクラッときた。
後記の但し書きなど読まずに入学させていただいた。
勿論、カンニングが得意だった結果としての合格祝い。
神社へお礼参りには行かなかった。
入ったまではいいが、後で案内書を読み返すと具合の悪い事に気付いた。
【※九年以内に自衛隊を退官する場合は、大学校卒業までの経費を国庫に返還する必要がある】
こんな一文、普通の人なら見えていても見えないふりをする。
経費返還の義務について知った時、既に入学から二年が過ぎていた。
それからというもの、どうやってこの地獄から抜け出すか、毎日考えるばかりのキャンパスライフだ。
素行に問題ありで退学になればとロックバンドを結成してギンギンしてみたが、どうやっても返還義務は消えないと知った。
そんな関係で、今もバンド関係者とは連絡を取り合っているが、退学計画自体は頓挫した。
なんの事はない、つまらないいざこざで訓練中に教官を殴ったら処分された。
正確には、退学が確定する前に編入学試験を受けて転校した。
その後の授業料や生活費は高利貸しから借りまくった。
この時には親父が行きつけの博打場を開いている山城組の親分に、金から住まいまで随分と世話になっている。
博打のつけが貯まって首が回らなくなった連中から適当なのを見繕って、そいつの養子に入って学生ローンを組む。
詐欺にならない程度返してから踏み倒し、別の学校に編入学してからまた別の家へ養子に入って名前を変える。
書類上の見掛けは別人だから、学生ローンが借りられる。
法律が許してくれる程度返してから踏み倒す。
これを数回繰り返して卒業後、山武の名に戻った。
自分でも不思議だが、こんな事をしていても医者になるのを止めようとは思わなかった。
切り替えが上手く出来ない生活不器用も親譲りだろう。
親父はこの借金事情を知ってか知らずか、兄姉への対応と違って、俺が実家の病院で勤務できない方向へと今でも小細工し続けている。
防衛医大入学時の保証人が親父ではなく、入学してから一年もしないで他界した母方の御爺ちゃんになっていたのは、単なる偶然だったのか。
今思えば、入学したばかりの頃「御爺ちゃんに御礼だ」と言われ、施設に何度か遊びに行ったが、アルツハイマーで自分の名前もまともに書けなくなっていた。
そんな人が保証人に同意できるか?
親父には、かなり危なっかしい天賦の才があるようだ。
医者になってからは不運続きだった。
卒業して直ぐにインターンで入った近くの病院に、そのまま常勤医として勤務していたが、親父の言い付けで転任した病院で震災に遭遇。
その時やった違法手術がバレて、二年ばかり医療行為禁止の処分を受けた。
処分が解けて近くの病院で非常勤のバイトをしていたら、山城親分の組で出入があって、同時期にモルヒネが紛失したのがバレて懲戒解雇された。
どこへ行っても一年もしないで前がバレて、ふざけた理由で追い出される。
雇われ医者をやるのが面倒になって、診療所を作り開業して十年になる。
この十年間に、二件の交通事故で平行機能障害と高次脳機能障害になった。
加えて潰瘍性大腸炎で死にそうになって入院。
退院したと思ったら今度は、前立腺癌だから踏んだり蹴ったり・泣きっ面に蜂だ。
開業して直ぐの頃、山城親分から一つ頼まれた事がある。
「最近恐ろしく威勢のいい若僧が入ったから、面倒見てくれ」といった話しで、誰を世話するのか詳しく聞けば、シャコタンの次男坊だった。
「あのガキなら子供の頃から診ているから、今更世話するも何もないよ」と言ったそばから、そうじゃねえと始まった。
「今度な、あいつを若頭補佐にと思ってるんだよ。まあ今まで以上に出入が激しくなるから、今のうちに頼んでおくんだよ。先生」
医者だから、患者が来れば治療するだけだ。
頼まれるも頼むもないとその時は引き受けたが、断っておけば良かったと今は思っている。
シャコタンのせがれは上が真面目に育っているのに、次男は中学にいる頃から教師を二階から放り投げたり、ダチの手をサバイバルナイフで切ってみたり。
親に似て近在一の暴れ者と評判だ。
しまいには山城の事務所に火を点けて、三下の貫太郎を焼き殺そうとしたのにしらばっくれている。
山城の親分も懐がでかいというか、火災保険でガッポリ儲かったから勘弁できたのだろう。
放火を知らない素振りでいろと、貫太郎に口止めしている。
たいしたもんだ。
これだけの悪さをしたら、どう考えたって鑑別行きだ。
そこは山城で若頭を張っていたシャコタンのせがれだ。
戦後直ぐの頃から、山城親分と付き合いのある弁護士が、事件を起こした本人も知らない所で、その度骨折って助けてやっていた。
近所では、ガキのヤクザだから影でやっちゃんと呼ばれている。
相手が誰でも見境なく食って掛かるトンガリ君だ。
下手な声かけをしたら半殺しではすまされない。
正面切って【やっちゃん】なんて呼ぶ者は一人もいない。
この悪ガキが、若頭補佐として山城組に入ったのはまだ中学を出たばかりの時で、三下だった年上の貫太郎が兄貴ゝとくっ付いて回るから、いい気になって暴れまくっていた。
ある時は頭蓋骨が見える程深く頭を切ったと、やっちゃんが貫太郎を連れてきた。
遊びでやっていた喧嘩の結果だと言い訳しているが、どう見たって鉄パイプで殴りでもしなければこんな傷はできない。
十二針ほど縫ったが、ウイスキーを持ってきたから、シャコタンにチクるのだけは勘弁してやった。