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雲枕  作者: 葱と落花生
35/158

35 やっちゃんとアインは宿に捨てる

 仕事ばかりしているから、厚生労働省から厳重注意を受けたと伝え、やっちゃんを強制休暇処分にしてやった。

 単純を絵に描いたような性格だから、その日のうちに診療所へ遊びに来た。

 他に行くあてがないのは、いささか不憫な気がしないでもない。

 その御かわいそうな日常を利用して、計略の餌食にしようとしている。

 多少なりとも後ろめたさが顔に出てくる。

 気取られないように、風邪をこじらせたと偽り対応する。 最初は不機嫌な顔で俺の話しを聞いていたのが、そんなに具合が悪いのかと心配しだした。

 扱い易くなってきたところで、一つわがままを言ってやる。

「港屋の岩牡蠣が食いたくないか? 俺は今、むしょうに港屋の岩牡蠣が食いたいなー。あれを食えば、きっと風邪なんか吹っ飛ぶだろうなー」

「そりゃ無理ってもんだ。近くで牡蠣を買って来てやるよ」

 近所のスーパーへ買い物の行く素振り。

 ここで簡単に岩牡蠣治療案を否決されたのでは、総てが水の泡だ。

 部屋から出て行こうとするやっちゃんを、恨めしそうに見てやる。

 ついでに、パソコンを広げて空き部屋情報をチラチラ見せつける。

 渋々「しゃーねーなー。分かったよ、温泉に連れてってやるよ」と言った。

 この一言が追い出し計画のゴーサインだ。

 打ち合わせどうり、診療室が活気づく。

「明日は休診日よー。とっととやっつけちゃうわよー」

 あおい君が一声かける。

 キリちゃんがわざとバタバタ走り回る。

 娘の朱莉ちゃんとアインまで、部屋の前を行ったり来たり。

 ヤクザのくせに諦めの悪い奴だから、間際になって逃走しかねない。

 やっちゃんに気絶するまで深酒させて、ぐっすり眠ってもらった。


 ゆっくり出発しても、たいして計画に影響はない。

 それなのに、温泉旅行となると皆様方は朝が早い。

 俺はすっかり二日酔いで考えがまとまらない。

 愚図っと支度をしているから、やっちゃんにはそれが間怠っこしく見える。

 脇からせっかちに因縁を吹っ掛けて来る。

 ここまでくれば行きたい方に考えが傾いている。

 俺の仕事は終わったも同然だ。

 キリちゃんの運転する車に乗るのは初めてだ。

「いつもこんなんなの」

 朱莉ちゃんに聞く。

「いつもより、ちょっとだけ急いでるかな~」

 旦那の問題は解決したのだ。

 人生これからだというのに、無理心中でもする気か。

 命知らずのハンドルさばきで、隣りに座ったやっちゃんが青ざめている。

「俺が運転をかわってやるー。代われよ!」騒いでいる。

 自分の運転だって、サーキットと一般道の区別をしない無法地帯仕様だろ。

 自分の事をすっかり忘れている。

 相当ビビッてるな。


 誰もがやっちゃんの運転で死にたくない。

 聞き入れない。

 すると彼は諦めたか、後ろに席を変えてもらい、シートに深く潜って寝たふりをしている。

 外を歩くお姉ちゃん達の、あそこもここもはみ出しそうな水着姿だけは薄目でしっかりチェックしている。

 診療所から二時間ばかり車を走らせると、道路と海岸の間に建った港屋がある。

 この宿はシャコタンが山城の若頭だった時からの定宿で、やっちゃんも子供の頃から何度も来ている。

 顔馴染みの若女将に挨拶して、部屋にやっちゃんを押し込む。

 後は地元の人間に任せ、俺は風呂に入る。

 やっちゃんは墨が入っているから、大浴場には来られない。

 家族風呂で温泉に浸けておけば満足する上に、同じ宿に居乍ら隔離と監視ができる。


 風呂から出てロビーで待っていると、山城親分から知らせを受けた地回りの連中が続々集まってきた。

 宴会場では、これから始まる乱痴気騒ぎの準備に仲居が慌ただしくしている。

 この光景をやっちゃんに見られたのでは、今日の旅行総てが仕組まれていたと気付かれてしまう。

 どうやって奴を部屋に閉じ込めておくか考えていると、地回りの組長が俺を見つけ軽く手を振ってこちらに近づいてくる。

「先生が出資している病院の改修工事を組下の建設会社に手配しましたらね、礼金てのをもらったんですわ。これは少しばかりですが、キャッシュバックサービスっちゅう事でして、受け取ってもらえますかね」

 俺に小遣いをくれようとする。

 これは面白いから組長に頼んで、部屋でこの金を渡してくれと一芝居乗ってもらった。


 部屋でゆっくりしているやっちゃんの所へ、組長が挨拶に行く。

 そこへ「そのおっさんのおごりでもうすぐ岩牡蠣が来るから」生ビールを持って俺が入っていく。

 この無礼に切れたようなそぶりで、組長が俺に歩み寄って懐に手を入れる。

 ここで封筒を出して、頭を下げながら俺に渡すといった台本ができあがった。

 これで少しは時間稼ぎになると思って子芝居を打っていると、葉瑠美が岩牡蠣とビールを持って上がって来た。

 給仕をしながら「随分と久しぶりだねー」と言うと「ここのところ仕事が忙しくて」やっちゃんが答える。

 ここまでは良かったのに「これからは毎日でもこられますわね」余計な事を言ってしまった。

「何で毎日なんだ」

 発言に疑問を感じたやっちゃんが、疑問符も付けづに聞き返す。

 今度は葉瑠美が俺の方を向いて「まだ言ってないんですか」

 仲居をやっているくせに、この女には気遣う神経がないのかと思える問を投げ掛けてくる。

 頭を縦に大きくにフリフリしたが、もう遅い。

 しっかりはっきり勘ぐられ、たじろいでいる所へ、廊下で様子を伺っていた若い衆が気をきかせ、酒を持って部屋に雪崩込んでくれた。

 そのまま部屋で宴会騒ぎを始めたから、五月の蠅や八月の蝉より騒がしい。


 疑い途中で思考を中断されたのが癇に障ったか、匕首を俺の喉元に突付けてきた。

 怖いので、チョットだけ本当の事を教えてやった。

「貸切だよー」これを聞くなり「それならそうと早く言えー」匕首を俺に渡し、大浴場に行くと唸って部屋を出て行った。

「組長さん、あいつ出て行っちゃったけど、準備できてるの」

 少し心配になって、受け入れ先の病院ではどんな段取りをつけているのか確認する。

「さっき留守番から連絡があってね、孫娘が辞令を持ってくる事になったんだが、あいつは寄道が好きだから、いつになるかはチョイと見当がつかないんだ」

 こう言われると、どこでタスキを渡していいか分からないで不安になってくる。

「妙な事になってるのは薄々感づいているようだから、逃げられないようにしないとー」

「とりあえず、弁護士さんと院長さんは宴会場に着いてるんで、何とかなるですよ」

 どこの組でも長となると、この程度のチグハグではびくともしないでいる度胸がなければ勤まらない。

 おっとり構え、一階へ俺達を案内する。


 風呂から上がって部屋に帰る途中のやっちゃんを、後から葉瑠美が呼び止め「こっちですよ」と連れてくる。

 この時には、既にチヤンチキ騒ぎが一階の宴会場に移動していた。

 誰が呼んだのか、下戸だというのに消防署の相南までが酒を呑んでいる。

 これを見てやっちゃんは固まったが、数分して再起動すると、部屋に戻り心付けを持って仲居頭の所に行ったらしい。

 ここでも女将が「昨日のうちに大枚いただいてます」言わなくていい事まで教えてしまった。

 事後報告されても、もう面倒みきれない。

 ここから先は、こっちの連中が仕上げる仕事と割り切り、おんぶにだっこを決め込んで本格的に始める。

 すると、ロビーの方でやっちゃんと組長の孫娘が、辞令のやり取りを始めたと若い衆が知らせてくれた。

 そのうち二人して、転任先の病院へ挨拶まわり行ったと聞かされ、やっと肩の荷が下りた。

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