27 神が我を通せば人々は苦しむばかり
ボタンを据えた鉄製の土台と、囲った箱の錆び具合からして、押して作動すると思えない。
しかし、現にチャイムとしてあるからには、触れるだけで反応する優れ物かも知れない。
横を向くと、すでに飲兵衛会の三人は消えて、タクシーもない。
松林の住人と俺だけが、女と相対している。
ハッチには鶴だか亀だか龍だか虎だか、難解な架空の生物図が描かれている。
これはひょっとしたら、大戦中に作られた秘密の基地であったか。
チャイムを押すとどうなる。
さっきの口ぶりからして、押してもよろしい物だけに押さないではいられない。
ほれ、ポチッとな。
穴の奥の方から、ビビービーンボー。
期待していた音より、凄まじく濁ったのが聞こえてくる。 女が「アー」唸って頭を抱える。
「今押さなくったっていいのよ。オフスイッチ遠いんだからー」
蓋を開けたまま穴に入るなり、ダダダーっと女の走って行く音がどんどん遠くなる。
それから五分ばかり、ビビービンボー・ビビービンボーチャイムが鳴り続け、音が止まって十分ばかりしてから女が穴から出て来た。
白い小袖に緋袴をまとっている。
閉めた蓋の上。
すらりと立った体の上に、卵型の顔が乗っかっている。
カーラーを巻いていた髪は後ろで一つに束ね、地下生活が長いからか色白で、化粧はしていない。
先程の乱暴な雰囲気と違って、神通力オーラを辺り一面に振り撒く。
鈍い俺にも【近所の神社に住み付いている、一度も会った事のない巫女】だと分かった。
どうあっても診療所に招いて、一緒にバーベキューしたい。
正体不明の地下室について知りたい。
それよりも、巫女に見えるこの女が、本当は何者なのかをまず知りたい。
「今夜、俺んとここないか?」
「いいともー。何かの集まりかしら、正装して行った方がいいですかー」
「いやあ、チョイと皆でバーベキューでもと思い立ったものだから、一緒にやりましょう」
誘い方も軽薄だったが、返答はもっと軽かった。
「薄暗くなった頃に、診療所にきてください」
これも軽く、適当な時間に招待し、帰ってあれこれ準備をしていると、欲しい物が大抵は揃っている。
いつも何かにつけてバーベキューを始める診療所だから、あおい君もキリちゃんも気を利かせて材料を常備してくれている。
始めての御客さんとなると、いつもの成行まかせガーデンパーティーとはいかない。
通りすがりの不心得者が捨てて行ったコンビニ袋のゴミを掃除して、居座って参加する気でいる爺婆を追い出す。
忙しく準備をしていると日が暮れかかる。
巫女装束の彼女にくっ付いて、飲兵衛会と松林の住人もやってきた。
快く招待に応じてくれた彼女「集落で代々神官を生業としてきた家の主でございます」自己紹介する。
「旧家だけど、田舎暮らしが嫌いな家族は、都会の一等地に越しちゃった。私は田舎好きだから、一人で神社に住んでいるの」
江戸以前から、辺り一帯を所有してきた一族の末裔。
どこに何を作ろうが、咎める者などいなかった頃から、地下にトンネルを張り巡らせていた。
「詳しい記録が無くてね、どの通路がどこに繋がっているのか分かんないの。私が暇を見つけて地下地図を作っているんだけど、これが実に難儀なのね。長い隧道は土竜の通路のようだし、そこら中張り巡らされているし。まだ通ったことない道には何があるか分からないし、どこに通じているかも知らないしー」
自宅で休んでいると遠くで爆発音がしたので、埃を辿って地下道を進み、扉を開けて俺達と出くわした。
散歩中に見掛けるマンホールだと思っていた蓋は、この地下道への入口だと訂正された。
言われてみれば、この地域に下水道施設はない。
一般家庭の排水は、浄化槽からU字溝に流れ、川から海へと運ばれる。
完全に、川と海の自然浄化機能に頼り切った下水処理システムが構築されている。
マンホールがある方が不自然だった。
どうして今まで、当たり前に眺めていたのだろう。
人間の洞察力が適当なのか、俺がいい加減なのか。
この村は、九十九里浜として東京に近い一大観光地域にありながら、これといった観光資源に乏しい地域だ。
「迷路みたいに広がる地下道をさ、観光ルートに組み入れたら稼げるよ」提案してみた。
すると「一度企画したのですけど、トンネル修復の費用を、回収出来る収益が見込めないのでボツになりました」
巫女としているのは、女性神職だと奇異の目で見られて嫌だから、職業を神主不在神社の巫女にしたと言う。
名刺には【卑弥呼(本名・磯部真紀)】とある。
無駄にけばい台紙に、キンキラキンの装飾文字で、ぼったくり飲み屋の御姉さんがよく使う源氏名だ。
世の中をなめきった生き様が読み取れる名刺では、巫女ですと言われても信じる気になれない。
彼女の説明によれば、地下道の歴史は恐ろしく古かった。
「江戸時代より前から、この辺りにはメタンガスが出てたのよ。燃料のメタンガスを採取利用する為に掘られたガス井から、安定してガス供給をするのに、地域一帯の各家庭に向かってトンネルが造られていたの。トンネルといっても、当初は竹筒を蝋でコーティングして地下に埋設しただけだったらしいけどね」
そのうち、管理の都合で今でいうところの上下水道ガスの共同溝が造られた。
当時としては画期的先進技術だ。
戦国時代に労力を兵隊にとられ、共同溝の維持管理が困難となり利用も減少。
地下道は、歴史から完全に忘れ去られた遺物となった。
「キリスト教がこの地域に広まって来た時期に、近隣を仕切っていた私の先祖が、キリスト教と地域密着型神道を融合させようとしたんだけど、だめだったみたい」
多神教の神道側に抵抗はなかったが、唯一神のキリスト教徒には受け入れられなかった。
江戸時代になり、幕府のキリシタン弾圧が過激化してくると、卑弥呼の先祖は幕府の通達に反してキリシタンを匿った。
これによって、教義に反する提案ではあったが、一部のキリスト教信徒が、神道との融合を受け入れていた。
あらたな考え方で組織された教団は、長引く弾圧で方向を見失ない、危険な組織へと変貌。
時代が変わり、キリスト教に対する偏見が薄れても、組織はそのまま地下に潜伏しつづけ、秘密結社化していった。
組織本部そのものも、過去の共同溝を利用して地下に造られた。
教団は現在、卑弥呼を教祖として認められている宗教法人になっているらしいが、近所に住みながら全く知らなかった神社の歴史だ。
神社を教会とする神道と地下道を教会とするキリスト教が、節操のない融合に成功したことで、新興宗教が誕生したものの、現在は信者が非常に少なく、あるのかないのか微妙になっている。
「資金の流れが不透明なのはね、秘密結社時代の名残なの。厳重監視対象宗教法人の常連になっちゃって。困ったちゃんよねー」
教団の恥部を、笑いながら話している。
近所の住民は、先祖の代から存在する宗教団体なだけに、さほど警戒するでもなく、付かず離れず適当な距離感で共存しているようだ。
未来科学研究所の遥が、この教団に一時期在籍しており、影響を受けたのは間違いない。
影響とは精神世界への影響ではない。
範囲は教団運営のノウハウだけで、あいつは銭儲けの鬼となっている。
単純に宗教に目覚めたとか、悟りを開いたといった類の教祖様でないのははっきりしている。
そんな事情があって、卑弥呼と遥は仲が悪いらしい。
そっと卑弥呼が俺に言ったのは「私に御金を預ければ、一年で二倍にしてあげる」
相当に危ない副業をしているようだ。
これ以上増えても困る。
申し出は丁寧にお断りした。
よくよく詳しく話してくれたので、北山との関係も見えて来た。
オトリ捜査の為に作った数件の飲食店を、警察本部ではなく北山が管理していて、売上を一定期間卑弥呼に預けていた。
増えた分を自分の小遣いにする為だ。
クロが砂防林へ出入りするのを必死に止めていたのは、この事実が発覚するのを恐れていたからで、砂防林の人達と関わりをもって傷つくのを恐れていたのではなかった。
それにしても、驚くべき技術を持っている。
今なら特許で御家安泰だ。
世が世ならば卑弥呼は、乳母日傘の御姫様。
天地がひっくり返っても御近付きになれなかった。