22 無理心中
「今、孫の嫁入りって言わなかった?」
「そうですー。文恵さんは、峠の茶屋の文恵御婆さんの御孫さんで、名前が同じなんですー」
部屋係りの仲居が、話しに割り込んできた。
二人が孫なら、風呂で一緒したのは効能が不明な温泉でふやけた婆ぁではなく、目の当たりにしている花嫁と同じ母親を持つ三つ子の一人で若くてそのなんだ、またここで話しがややこしくなってきた。
宿に着いた時から、部屋への案内に始まり晩飯の配膳から露天への案内も、床を敷いたのもこの仲居。
仕事をしながら、聞いてもいないあれこれまで話してくれるのは、人一倍うわさ好きの性分と見える。
女将に聞くより、色々と知っていそうだし教えてくれそうだ。
壊し専門の不器用者ばかりで、普段はいじらせてもらえないカメラで遊びたい。
宴が始まれば、組の誰もがカメラマンをやりたがる。
俺が写真屋でいる必要はない。
「ちょっと詳しく話しが聞きたいんだけど、ここじゃその何だから、俺の部屋に来てくれないかな」
下心は全くなかったのに、言い方がいやらしかったのか、鼻の下が酔って伸びていたか。
「やっダー! 床の支度が終わっている部屋に仲居を呼び込むなんて、随分安くみられちゃったですー。私ってそんなに軽く見えますー」
怒っているのか喜んでいるのか、愛想笑いだか愛想つかしだか、非常に分かり難い顔で俺の背中を思いっきり平手で叩く。
「いや、そんなつもりじゃないよ。さっきしっかりその何だ何がなにしたから、そんなに元気はない」
「御客さーん、それってうっそー。ブッブー。発射タンク取っちゃったから出る物ないのに、ボッチ神経は切れてないっすから何度でも行けちゃうよって言ってましたー。筋金入りの連続助兵衛ですー」
どうしてそんなに奥深い俺の事情まで知っている。
こいつが持っているのは並の情報量ではない。
「いや、それはそれで、これはこれだから」
「同じようなこと、さっき露天でも言ってましたー」
「おまえ、露天覗いていたのかよ」
「違いますー。担当の御客さんが旦那一人だったし、暇だから、私も一緒に御風呂に入っていたんですー。誰も気付いてくれなかっただけですー」
「一緒に入っていたって、どこにいた」
「脱衣所の横に立てかけてある、よしずの裏側ですー」
「そういうのを覗きって言うんだよ」
「混浴の御風呂で、見られたら困る事してたのは御客さん達ですー。私が出て行ったら、今日の披露宴はありませんでした。覗きじゃなくて、影の功労者ですー」
「その辺の所はウヤムヤにして納得してやるから、兎に角話しを聞かせてくれよ」
この場合は当たり障りのない程度に、できるだけ低姿勢で御願いした方が後々都合がよさそうだ。
下の具合については、手術した女医以外は知らないはずなのに、どこまで俺の何事情を知っているんだ。
誰からこの個人医療情報を入手したかも聞き出したいところだ。
「こーら、意地悪しないの」
席を外していた女将が戻ってきて、笑いを堪えきれない風だ。
クックッと肩を震わせて仲居に意見する。
「はーい。御客さんの部屋に行きましょ」
仲居が素直に宴席を離れ、俺より先にロビーへ向かって走りだす。
宴会といっても、一ノ膳二ノ膳と順繰りに出された後は酒を運ぶだけで、それも殆どが三下の役どころとされている。
宿の係りは、片付けまでたいして仕事がない。
夜通しの披露宴になる。
仲居は交代で当番することになっているが、女将から用事を言い付かれば大威張りで休憩に入れる。
「ただでは教えませんですー。これ買ってあれ買ってですー」
安い女じゃないとついさっき言ったばかりなのに、舌の根の乾かぬ内に土産物の髪留めと帯留めを手に取っている。
よく見れば、まだ若いのに化粧っ気もなく「帯留めをー、どこかに置き忘れちゃったんですー」
赤い帯紐を桜結びにして、長い髪は器用に丸め頭の天辺で赤い箸を突き刺し結っている。
さっきまで威勢よく走りまわっていたのが、休憩となると急に動きがのろくなる。
右左ハッキリとした性格らしい。
話しを聞くとして出てきたが、曲がりくねったトンネルをほろ酔いできたから、こちらは疲れが出ている。
既に宿の玄関は締め切られ、鍵のかかったロビーにいるのは俺と仲居の二人だけ。
外に繋がれた白馬が、ジッとこちらを見ているのが気になる。
仲居は俺の部屋番号を記帳して、勝手に土産物の中から地ビールや酒を持ち出す。
元気を取り戻し、俺の袖を引っ張って部屋へと足早に歩き始めた。
「何が知りたいんですか? 山城組の方達を接待する寄合だからって、港屋の女将さんに言われて来ただけの臨時ですー。期待されても大したことは知りませんよ」
ここまで来てそれ言うかなー。
「港屋って、銚子の?」
「そう、その港屋ですー」
袖を引かれて歩いていると、随分と昔に同じような経験をした気がしてくる。
昔々あるところ。
まだ脚力に自信があった頃に、自転車で実家のある成田から養老渓谷を抜け鋸山まで行って、そこからさらに白浜・鴨川・勝浦・御宿と走り、一宮で九十九里浜へ入ってから銚子まで浜伝いに走った事がある。
いつだったかどだったこかも忘れたが、風呂上りに海岸でビールを呑んでいたら、赤ん坊を抱いた女が沖に向かって歩き出した。
風は止んでいたが海は前日の嵐に大荒れで、どんなに俺が盆暗でも入水自殺だと分かった。
とんでもない場面に出くわしちまったと思ったが、放って見物していられる人間ではない。
慌てて宿に戻り救命胴衣を借りると、沖へ泳ぎ始めた。
防衛大で受けた訓練の知識があったのだ、こんな時は一人で動いちゃいけないのは分かっていたはずが、いざ実践となると分別がつかなくなっていた。
遠くに船の灯りが見えた時、俺の意識は朦朧としていたが、それでも赤ん坊だけは必死で抱えて離さないでいた。
翌日になって、母親は亡骸で発見されたが、身元が分からないから赤ん坊は、そのまま施設あずかりになるはずだった。
俺がそんな関りのある子供の事を山城親分に話したら、どんな手を使ったのか、その日のうちに組の若いのが引き受けにきた。
何年かして港屋に行ったら、親分から「あん時の子ですわい」と会わされた。
亜樹絵と名付けられた女の子で、何も知らないはずなのに、俺の浴衣を引っ張って歩き出す。
ニタニタしながら、鼻水をなびっていた。
この頃、宿ではもう一人、身寄りのない子をあずかっていた。
神社へ初春詣に行った時、大女将が捨てられているのを見つけていた。
葉瑠美と呼ばれていて、嫁に入って早くに旦那を亡くした若女将の後を継いで「将来は、この宿を二人で切り盛りするんだよ」
大女将が、ちっこい二人に色々と教えていた。
葉瑠美は出たがりで、客がいてもひょいひょい宿の中をうろついていたから何度か行き会っていた。
亜樹絵は人見知りで、救った時とこの日港屋で一度会ったきりだった。
女将の実家で宿仕事の修行をしていると聞いていたが、さて。
「葉瑠美は元気にしているか?」
「うん、一生懸命勉強している。博士になるんだって」
「おまえ、亜樹絵だろ」
幾分自分の考えに自信がなかったので、しり上がりに聞いてみる。
「知ってると思った」
聞き方が気に入らなかったのか、ぶっきら棒な返事が返ってくる。
「知る訳ねえだろ。鼻垂らしのガキの時に一度見たっきりだぞ」
こっちも少し不機嫌に言ってやる。
部屋に入ると、亜樹絵はビールも酒も菓子も全部いっぺんに開けて、聞いてもいない三婆ぁのことをしゃべりだした。
「瞳ばあは、病院で整形外科の御医者さんで、文恵ばあは、釣り堀のオーナー兼この宿の共同経営者。
この温泉は、文恵ばあが掘り当てたんですー。
それから、美絵ばあは、おじさんの診療所の近くで病院の院長さんやってますー。
三つ子なんだけど、文恵ばあの孫も三つ子だったからって、同じ名前つけたの。
御風呂で、瞳さんが『ゴニョ』って、瞳ばあの真似して、おじさんの事からかってたんですー。
これがややこしくなってる理由ですー」
「じゃ、俺と……もういいか」
聞いてもどうにもならないから、も聞くのを途中でやめた。
話し終えると、勢いつけて菓子も酒も一人でペロリと平らげ、風呂に行くと言って俺まで引っ張り出した。