20 妖怪ブランコ&釣り竿は温泉に浸かって若返る
いつ頃来たのか、駐車場には何台か車も停まっているし、中には絶対に若い女しか乗らないコテコテ内装を施したミニバンもある。
これはかなり期待できそうだ。
「露天に行くなら、これを持って行ってください」
タオル生地のブカブカパンツを持たされた。
女子の場合も同様の対応となると、泊りでない客は情緒も色気もなく、水着で風呂に入って当たり前の顔をしている可能性が高い。
疲れと快楽を天秤にかけて考える。
風呂が見える辺りまで下りて行って、裸体の有無を確認してから次の行動を起こすべきだと判断した
数えて百六十一段目、丁度半分の所で風呂の全景を上から確認できた。
客は三人ばかりで予想は外れたが、一人は男で同じでかパンツをはいている。
泊り客だろうか。
無傷で温泉に入っていられるとなると、山城組の誰かだ。
詳しい話しを聞きたいから丁度いい。
そこからずっと奥、街灯から離れた岩陰に人影がある。
どう見ても女の髪形に色白の小柄な体型で、薄暗がりだがすっかりしっかりヌフフフの御裸体だ。
これはこのままここから飛び込んでやってもいいくらいの好条件だが、騒ぎに驚いて逃げられたのでは苦労が水の泡だ。
パタパタバタバタ、そのうちドタバタ慌てて下りると、さっとでかパンを履いて、息を整えゆっくりのんびり来たんだぞといった風情で風呂に入って行く。
先に入っていた男は、てっきり山城の者かと思っていたが、一度も会っていない若僧で、軽く会釈をするとあちらも「こんにちわ」と挨拶してくれる。
聞いていた事情と違っているから、確認してみたくなった。
「山城組の方ですか?」
「んー、微妙だなー」
幾分礼儀という所で問題を抱えているとみえる。
明らかにやっちゃんと同じタイプの人間だ。
礼儀知らずの相手には、こちらもそれなりの対応をする。
「通りすがりの日帰り入浴ってやつかな」
「いや、泊りだ」
泊まりで組関係者でないのは俺だけだ。
本当のことを言っているのかいないのか、嘘をついているにしては妙に落ち着いている。
「山城組の者以外は、大怪我してるか霊安室だろー。あんた何者」
「山城の爺さんに仕事を頼まれてさ、急ぎだって言うから、わざわざここまで来てやったのに、この騒ぎだもんなー。やってらんねえよ」
たいていのことは組内で解決する山城親分が、組の者以外に仕事を頼むとは珍しい。
どういった仕事の依頼なのか聞き出そうと、質問の内容を頭の中で整理していると、突然渓谷にけたたましく木霊する声がある。
「やはり入ってきたねー。スケベ丸出しだね、この男はまったく。ゴニョ」
ヌフフフのうら若き乙女のいるべき岩陰から、忘れてしまいたい過去が声をかけてくる。
これくらいで治まってくれればよかったのに、引き続く幻聴が、チャプチャプと湯の中を歩いてこちらに近づいてくる。
「あんたの知り合い?」
隣りの失礼男が聞いてくる。
そう言うからには幻聴ではない。
今、俺が置かれている状況を冷静になって分析する。
上から見た時は、絶対にヘコピコピチギャルに見えた二人が、実際は悍ましいブランコ婆ぁと釣竿婆ぁで、その二人がこちらに近付いて来ているらしい。
「ねえ、あんたの知り合いかって聞いてるんだけど」
把握した現状から更に分析すると、失礼男は二人の婆ぁを見て指差しながら、この問いを投げ掛けている。
見てはならない物かどうか、分別も区別もない大馬鹿野郎の言うことなどどうでもいい。
ここはじっと固まって、間違っても二婆を見ないようにしているのが賢明というものだ。
目をつぶってさえいれば、間違って石にされたりはしない。
三百二十一段と半分。
大変な思いをしてここまで来たのに、とんだ災難に巻き込まれてしまった。
大雨のがけ崩れといいバス事故といい、新組長の銃殺にしても、限られた地域でこんなに災難が立て続けにおこっているのは、婆ぁの仕業ではなかろうかとさえ思える。
羞恥心など数十年前に脳細胞の一部と一緒に消滅しているのが婆ぁだ。
きっと、一糸纏わぬ姿で俺の頭をペシペシしているに違いない。
絶対に目を開けてはいけない。
見たら石化してまう。
石と化したら最期、誰かが婆ぁの首を刎ねたとしても、元の姿に戻ることはないと伝承されているはずだ。
「俺に触るんじゃない」
先程から頭ペシペシ首を絞め絞めしている二人に、速やかに俺を解放するよう忠告したが、そんな意見を聞き入れてくれるなら妖怪ブランコ・釣竿婆ぁなどやっていない。
「だからー、あんたの知り合いなのー、このお嬢さん達ー。僕にも紹介なんかしてくれちゃう気はないのかなー、一人で良い思いしてさー」
礼儀を失った男と見ていたが、正常な視覚と判断力もどこかに置き忘れている。
「ああっ! 知り合いだよ。御嬢さんじゃねえだろ。婆ぁ見て欲情してんじゃねえ、トウヘンボク」
イラッとする繰り返しの質問に、うっかり俺まで真面な判断が出来なくなった。
婆ぁの真の姿を確認させるべく、すっくと立ちあがり失礼男の髪を掴むと、婆ぁの胸元にその顔を押し付けてやった。
「いいんですかー。感激っすー」
急に敬語らしき言葉を発し、メロメロになっている。
どれだけ溜めたらここまで発情できる。
「こんな婆ぁのどこが……」
うっかり片割れに触れてしまった。呪われる。
「ここから他の宿までは二つか三つ山を越えた先だったかね」
別のことを聞いて、祟られないようにごまかして見る。
「はい、瞳と申します。これは文恵で、今日は来ていませんが、もう一人も医師をしていまして、名は美絵です」
婆ぁが、これまた明後日の答えをする。
鈴が鳴るのと同じに聞こえる声は、谷川のせせらぎか湧き出す温泉の音か、それとも昨日今日と聞いた婆ぁの声に、一千倍ほど張りと潤いを与えた声か。
うっかりついでに、すっかり暗くなった露天の街灯に浮かぶ二婆ぁの顔姿を目視する。
おっと、妖艶な裸体の上に整った目鼻立ちの小顔が乗っている。
おまけに、鏡映しの瓜二つで並んでいる。
渓谷の背景と混じって、羞恥心だけは数十年前に消失したままだから、理想的な出で立ちだ。
「部屋が開いていれば、もう少し逗留しようかと思うが、どんなもんですかね、瞳さん」
「いえ、戦争が始まりましたから、明日の朝には出立された方がよろしいかと、そちらはお立てにならず」
「戦争とは妙なことを言うね。それにそちらとはどちらか、こちらは何だ、そのあれが何だそうなのだよ」
「いえ、御頼みになられても困ります」
ここまで話しが絡まって成長すると収拾がつかない。
カペガベのフニャしわカップ麺婆ぁが、風呂に浸かって水分補給しだだけで今の状態になったなら、時が過ぎれば伸びきってデロデロになるか再び乾燥して、あっちもこっちもカチコチで痛いばかりになる。
ブランコ婆ぁが妖怪ぶら下がりで、釣竿婆ぁが物の怪針なしでもかまわない。
すでに失礼男は、文恵と名乗ったぶら下がりか針なしと岩向こうの暗がりに行って、いやらしくも嬉し恥ずかし声を渓谷中に浸み入らせている。
大雨の後で地盤が緩んでいるのに、この勢いでドンドン声が大きくなって行くと、数分であっちもこっちも山崩れを起こしかねない。
早く行ってしまえ。
「宿屋はたった一軒だと言っていたよね」
「はい、申し上げました。それがなにか」
「いや、何となく聞いただけだ。こっちにも色々と都合があるのだよ。それより、どうしてそんな姿になったのか知りたいのだが、医師としてだね、その何だ触診してもいいかな。乳癌とかの診察もしてあげたいし、できればもっと女性的な病気の検査もしておいた方が良いような気もするし」
「こんな私が医の道で礎となれるなら、診立てて下さっても結構ですわ」
ここから先は想像に任せ次の場面に進めさせてもらうが、苦情は一切受け付けていないから宜しく。
風呂からあがって息まであげて、それからさらに三百二十一段と半分の階段を上る。
失礼男と二人、道路を渡る前に精魂尽き果てた。
駐車場に停めてあったロクちゃんに隠し合鍵で入ろうとしたら、山城親分が声を掛けてくる。
「来てくれたのかい先生、招待状は出したがね、家出したって聞いていたもんだからねー。呼んでおいて何だが、先生と霊が一緒ってのも珍しいもんだね。知り合いだったのかい」
「いえ、偶然ですよ。通りかかったら、ここしか宿がなくて。この人、霊さんて言うんですか。下の露天で一緒になったんですよ」
「最近入れるようになった露天かい。入りたいとは思うが、階段がねー。この歳じゃ無理ってもんでなー」
「そんなことないですよ。もっと高齢の人だか妖怪も入ってましたよ」
この言葉に霊が俺の方を二度見して、違うだろうと訴える。
真実は知らない方がいい。
この訴えは却下無視してやると、親分が話しを進める。
「キャンピング救急車ってのはそれかい。いつもはそこに寝泊まりしているって聞いたが、今日ばかり温泉ってのもただの偶然とは思えねえや」
「途中で色々ありまして、何だか物騒な話しも聞きましたが大丈夫ですか」
「なーに、あっしには関わりのねえこってござんすだよ。気にしなさんな。それより久しぶりに一杯どうだい」