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雲枕  作者: 葱と落花生
19/158

19 特別室は何か出てきそう

 国道となってはいるが山道のこと、直線道路の感覚を忘れるほど曲がりくねった道が続いての三キロ。

 ロクちゃんを作る時、もう少しコンパクトにまとめておけばよかったと反省しながら宿の駐車場に停める。

 係りが誘導してくれたから落ちなくてすんだが、降りてから車止めをかましてくれと指示された。

 持って行くと、すぐ後ろは断崖絶壁だった。

 何日か前の大雨被害で対岸の山が崩れ、谷川を塞き止めたとか。

 小さいが自然のダム湖が出来上がっている。

 透明度が高くて正確な深さは分からないものの、駐車場係りの話しでは十米以上はあるとか。

 本来ならこの真下に、こじんまりした混浴露天風呂があるのだが、今は湖にのまれて立入禁止になっている。

 他に露天はないのか尋ねると、少し上流に三百段ばかり階段を下りたら、大きな混浴があると教えてくれた。

 ここまで来ても、まだ紅葉には少し早い標高だ。

 他に何か楽しみ方を探すしかないと道々考えていた。

 あれこれ努力の観光スポット探しをやらなくても、あったねー。


 ロビーで記帳を済ませると、部屋の準備ができるまで少しの間一階で待たされた。

 何となく見覚えのある内装で、よくある熊と猪に混じって、駝鳥が羽根を広げている。

 邪魔に大きな剥製だ。

 あやふやな記憶の糸をたぐりよせれば、この宿には山城親分絡みで一度きている。

 付き合いのある組の襲名披露に使われている宿だ。

 早くに付いたからか、部屋はほゞ満室と言っていたのに、駐車場に車は一台もなかった。

 宿に客がいる気配すらしない。

「いらっしゃいまし、遠い所お疲れ様で御座います」

 聞き覚えのある声で確信した。

 やはり以前泊まった宿だ。

 ひょっとしたら婆ぁの三人目が出て来るかと警戒していたが、真面な女将が顔を見せてくれたので一安心した。


「とんだことになってしまって、あいにくでしたねー。披露宴は御流れになりましたけど、御部屋はいつも通り御用意いたしましたから、係りの者に案内させましょ」

 いつものようにと言われても、何の事だか分からない。

「女将さん、何か勘違いしてないかい。俺はさっき峠の茶屋から連絡したばかりだ。結婚式に呼ばれた者じゃないよ」

「あれま、これは失礼しましたー。襲名披露の御客様名簿に御名前があったもので、ついー」

 披露宴と言ったのは襲名披露の宴会だったのか。

 俺の名前が名簿にあって襲名披露となると、山城親分が来るはずだ。

 こんな偶然があるのだろうか。

「山城の親分は来ているのかい」

「ええ、昨日から御泊りいただいてますが、事が事ですから、若い衆連れて病院へ行ったり警察に行ったり、大騒ぎです」

 あたふたしているようだが、俺は何も聞かされていないし事情も分からない。

 したがって、女将に色々と聞いてもいいが、なんだか落ち着いて聞ける状態になさそうだ。


 山城親分が何時頃帰ってくるか聞き、着いたら教えてくれと頼んで部屋に案内してもらった。

 部屋で御茶を出す仲居に尋ねる。

「今日はやけに閑散としているが、何があったんだい」

「あれまー、知らなかったんですか。平和な御人もあったものですー」

 あきれ半分に驚いてくれる。

「いや、今来たばかりだから」

「新聞もニュースも大騒ぎしてるのに、えらいものですー、大変ですー」

 大事件と人に言っているのに、今度は三割がた笑いが混じっている。

 女将と違って若いのに胆の据わった仲居が、そのまま続けて騒ぎの内容を教えてくれる。

「昨日の御昼頃に、こちらに向かわれていた御客さんのバスが横転して、五人もお亡くなりになってー、重傷で入院されている方も大勢いますー。別便で来られた山城組の皆さんが、今もあっちこっち駆けずり回ってるところですー」 

 昨日のバス事故とは……困ったことに、しっかり関わっている。


「それだけなら事故で済んだんですー」

「まだ続きがあるのかよ」

「大ありですー。襲名披露が御流れになって不機嫌なもので、私等は新しい組長さんを特別室にお通ししたまま誰も挨拶に行かないでいたんですー。一通り組の方の動きを指示し終わった山城の親分さんと貫太郎さんが、御機嫌伺いで部屋に入ったら、組長さんが眉間に銃弾打ち込まれていて、そうなってくるとー、バスの横転も事故とは言いきれないとかで、警察署がそっくりここまで出張って来てもー、あー怖い!」

 話しより、この時にこわばった仲居の顔の方がよほど俺には怖かった。

 おおむね事情は飲み込めた。

 それにしてもかそれだからか、何とか特別室にも泊まれるとか言っちゃってくれていたが、婆ぁ、いつか殺してやる。


「露天風呂までは三百段だったかな、昔からその露天ってあった?」

 山城組の連中に怪我がないなら、あとの病院送りは他人も同然だ。

 そんな先の人間の事まで心配してやる義理はない。

「三百二十一段と半分ですー。大昔からあったんですけど、道がなくて一般の御客さんは入れなかったんですー。これはもったいないって言って、峠の茶屋の御婆さんが、毎日一段一段、二年もかけて作ったんですー。去年から入れるようになったんですー」

「なに、その半分ての。毎日二年の勘定違ってるし」

「お年寄りだからですー」

 それとこれとは別の問題だと思うが、地元の人間がそう言うならそうなのだろう。

 納得したところで、ひとまず風呂に入ってまったりしてやろう。

「エレベーターどこ?」

「露天に行くんでしたら、ありませんですー」

 もしかしたらと思って聞いてみたが、やはり階段で行くしかなさそうだ。

 昼に谷底までは一往復しているから、これを入れれば一日で二往復になる。

 三百段の二往復となると四十五階建てのビルを上って下りるのと同じだ。

 温泉でのんびり疲れを癒す代償にしては、疲労物質の蓄積量が多過ぎる。 


 混浴の一語に魅かれて行くのだ、若いのピッチピッチのが入っていなくては行ってもつまらない。

「今日は女性の御客さんは泊まっているのかな?」

「いいえー、襲名披露の宴会が入っていましたので、貸切ですー。でも、露天の御風呂は無料ですし、日帰りとか他に行く途中に寄る方も多いですよ。最近は若い女性の方にも人気があるようですー」

 すっかり下心を見抜かれている。

「生ビール一杯もらおうかな、勢いで行かないと三百段はきつそうだ」

「御客さん、御酒は強い方ですか? 階段が狭くなってますから、酔って足元がふらついているようだと、ちょっと行って来いは危ないですよー」

「大丈夫だよ。ビールの一杯くらいじゃ酔わないよ」

「それならお持ちしますけど、ゆっくり酔いをさましてからにしてくださいねー。これ以上死体増やしたくないですから」

 言われなくても、バスの事故で逝っちまった連中の仲間入りをする気はない。


 縁起を担ぐ人間ではないが一騒ぎあった後だし、つまづいたとか滑ってころんだで宿に迷惑をかけるのも気が引ける。

 忠告どうり呑んでから一時間ばかり横になって風呂に出ると、外はひんやり薄暗くなっていた。

 混浴を楽しむには、急カーブから十米ばかりの所にある横断歩道を渡らないと渓流側に出られない。

 恐ろしいばかりの田舎道でも、国道となると他の宿に向かうのや街に帰る車が引切りなしで、駐車場係りの誘導がないといつになっても渡れない。

 すでに階段を降りる前から命がけの混浴露天だ。

 係の者が渡る時は、誰が誘導しているんだろう。

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