17 ブランコ婆ぁは蟒蛇の化身か
危ないからしっかり鍵を閉めてから外を眺めると、今度はロクちゃんの上からロープをかけて窓の外でぶらぶらしている。
ちんちくりんのくせに元気な婆ぁだ。
このままでは気持がち悪くてゆっくり寝られそうにない。
それに間違って死なれでもしたら、俺が殺したと思われかねない状況だ。
凶暴ではなさそうだから、仕方なく中に入れて事情を聴いてやる。
「俺に用って何?」
「んー、わしにはビールないの? ゴニョ」
質問に答えるようすはない。
初対面の人間に対して、あつかましくもビールを催促するあたり、病院で威張っている誰かに性格が似ている。
「ビール出してもいいけど、ろくでもない用事とか強請り集りだったら、引き回して打ち首獄門にするぞ」
「ろくでもないかあるかは、おまえの取り方しだいだ。早くビールを出せー。ゴニョ」
口惜しいが、どこから湧いて出たか分からない婆ぁに、用事があると言われて放っておけるほど奔放な人間ではない。
一番小さい缶ビールを出すと、ゴックンと缶ごと口に放り込んで、缶だけ吐き出す。
呑み切っておかわりを欲している。
始めからでかいのを出しておけば良かったと思いつつ、一番でかいのを差し出したら、これも一気にゴックンゴックンと呑み切ってもう一本。
酔えよ。満足しろよ。
ウワバミ婆ぁに憑りつかれ、呑ませること十五本。
「やっと喉の渇きがいえたかね、それじゃあ本格的に呑むよー。ゴニョ」
とっても付き合いきれないから、漬けていたパイン酒の瓶をそっくり預けて呑ませた。とんだ出費だ。
この悲劇を知ってか知らずか、警戒心など微塵も見せず、アインはベットで腹を出して大いびきをかいている。
さっきまでのビビリはどこに行った。
立ち直りの早い奴だ。
「婆ぁ、いい加減にして、用事ってのを話す気にならないかなー。追い出すよ」
「聞きたいなら頭の上にチョロチョロしているのに聞きなよ。ゴニョ」
「それだけかよ」
婆ぁはそれだけ言うと、パイン酒ありがとうと瓶を抱え、闇の中へ吸い込まれるように去って行った。
三十秒ほどして、ガシャーンとガラス瓶の割れる音がした。
何が割れたにしても、もはや俺には関わりのないこってござんす。
聞こえないふりをしてそのまま寝た。
寝たには寝たが、頭の上にチョロチョロとか言われると気になって仕方ない。
直ぐに目が覚めて、夜中に鏡を見てやる。
すると、頭の上に陽炎のような揺らぎが、弱い光を出してフワフワしている。
他の景色はしっかりしたものだから、気にしなければ何のことはない。
鏡も滅多に覗かない人間だし、びびって医者に行って入院となってもつまらないばかりだ。
誰にも言う必要のない症状と自己診断して、もう一度しっかり寝た。
すると、今度は朝までぐっすり寝られた。
特に問題視する状態でもなかろう。
今度は、この症状を婆ぁが知っていた事が気になってきた。
医者だと言っていたくらいだから、俺の精神状態を勘ぐれる何等かの症状が外から見て分かったのか……不思議だ。
あれこれ考えながら渋滞に巻き込まれ、ノタノタとロクちゃんを転がしていると、ついつい「緊急車両だぞー」とサイレンを鳴らして走りたくなる。から、鳴らしてやった。
大型トラックなみのサイズだ。
通れる道を作るのは容易ではないが、やればできるもの。
順繰り端に避けてくれるから、ズンズン進める。
やれやれ、ようやく渋滞の先頭だ。
辿り着いた先にバスが横転している。
オレンジ色の服を着た兄ちゃん達が、せっせとバスから怪我人を運び出している。
御苦労様と一言挨拶して、この場は行き過ぎようとしている目の前に、警官が出て来てロクちゃんを誘導する。
救急車じゃないから……じゃない、救急車だった。
ノックもしないでドアを開けたレスキュー隊員が、許可もとらずに、中へ怪我人を運び込んでベットの上に寝かせる。
白衣を着ていた俺を見るなり「後はよろしくお願いします」と言ったと思ったら、患者を置き去りにして出て行く。
無責任な奴だなー。俺は医者じゃないし……じゃない医者だった。
「早くしなよ、患者が死んじゃうよ。ゴニョ」
どこにいたのか、婆ぁがいきなり湧き出て、俺にああせいこうせい指図する。
「血の色苦手なんだよ。臭いもダメなんだよー」
「余計な御託並べてないで、手伝いなさい。後がつかえてんだよゴニョ」
一人だけかと思っていたら、外には何人も怪我人が連れて来られている。
「救急車来ないの?」
「この村には一台しかないよ。重症患者を乗せて隣り町まで行ってるから、暫く帰ってこんわ。ヘリもさっき出て行ったばかりだから、一時間は帰ってこないよ。ゴニョ」
「他からの応援はないのか」
「ない。ヘリだけじゃ。車は出払ってる。ゴニョ」
はっきりした婆ぁだ。
サイレンを鳴らして走ってきた手前、このまま患者を放り出して逃げるのはちと気が引けるが、事故からずっとまともな手術はやっていないし、できない。
「俺、手術できないよ」
「あたしがやるからいい! それより頭の上の奴に頼んでみろ。直ぐに手術ができるようになる。ゴニョ」
「頭の上って」
鏡を見ると、白衣を着た小さな鼠が「まかせろ」威張っている。
それをアインがチャイチャイとからかっている。
猫にも見えている白衣の鼠。いよいよ危ない兆候だ。
「頭の上って、これ?」
「そうだよ、ボケナス。早く御願いして手伝えゴニョ」
超自然現象に御願いも何も、どうすればいいのか方法も分からない。
「助けろ」
端的且つ丁寧に御願いしてみた。
「助けてやる」
簡単に承知してくれた。軽い奴だ。
満員だった観光バスの横転事故は、運転手を含めて五人が死亡、重傷者のうち四人は救急車とヘリで病院に運ばれたが、あとの六人と軽症の患者までロクちゃんが面倒見る事になった。
瀕死の重傷患者まで運んでくるのだから、婆ぁだけでは到底間に合わない。
あたふたしているうち、俺も昔の勘を取り戻したか、何人かの応急処置を熟した。
応援が来たのは粗方処置が終わった頃で、重傷患者をヘリに乗せると、軽症の者は警察の車が病院まで乗せて行った。
ロクちゃんに乘せたままで動かせない患者は、このまま近くの病院まで運ぶしかない。
せっかく渋滞を抜けて次の目的地に向かっていたのに、朝出た病院に逆戻りだ。
この病院は婆ぁのホームグランドみたいだし、あまり長居したくない。
「ああ、良いい気分ちだ。御かげで助かったよ。ゴニョ」
患者を下ろして逃げようとしていると、婆ぁがロクちゃんに乗り込んできて勝手にビールを呑み始めた。
「御かげで助かったとか言う前に、ビールの一ケースも持って来いよ。せめて自分が吞んだ分くらい補充しろ。婆ぁ」
正直な気持ちを打ち明けて見た。
「考えておくわ、ゴニョ」
それっきり音沙汰がない。フザケタ奴だ。
緊急事態から解放され、夜の国道を走る。
「あれが天狗岩だよ。ゴニョ」
いつ乗った。
突然横に現れた婆ぁが、海に飛び出た卑猥な形の岩を指す。
「何であれが天狗岩なんだよ。どうみたってあれだろ」
「天狗の鼻に似ているじゃろ。昔から天狗岩だ。ゴニョ」
ぜったいに間違っている。
鼻の形ではない絶対にあれだ。
ぶっとばしてやろうと思い婆ぁを見直すともういない。
いかん! 幻覚だー。
婆ぁの悍ましさが完全にトラウマになっている。
今日は近場のドライブインに停めて、早く寝た方がよさそうだ。
天狗岩が見える海辺のドライブインに、ロクちゃんを停める。