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雲枕  作者: 葱と落花生
158/158

158 木霊は返ってこない

 山城の親分に呼ばれ、絵画列島から現実世界に出てみる。

 天空が宇宙空間である以外は、ほぼ自然の千葉県になっている。

 九十九里浜が途中から途切れているのは少し残念だし、住み慣れた診療所周辺が、地球に残されてしまったのも心残りだが、いずれ帰れば元通りに復旧されると聞いている。

 久しぶりに港屋で温泉へと誘われたのだが、この巨大宇宙船がどうなっているのか見て回るのも良いだろうと、鉄道で千葉一周の旅行も兼ねている。

 いかに文明が進んで自分の思いが全てかなう不自然を手に入れても、ゴトゴトとゆっくりした列車の旅程の気分は、なかなか作り出せないものだ。

 人の欲は限りないものだが、これを抑え一人前の割り当てをして、互いを侵略しないのが文明の一番大きな仕事と言えよう。

 それを、己の欲に負けて隣の緑を奪い、澄んだ空気を汚して辺りに撒き散らしてと、やりたい放題の輩が多すぎる。

 柵を設け武器や盾を手に威嚇し戦い、襲いくる敵を成敗したとて、これらの輩は後を絶たない。

 浜の真砂に盗人を例えた石川五右衛門の、思いは正にこれである。

 自由を唱えるのは良いとしても、他人の財産・命まで奪って良い自由などあってなるものか。

 これらのものを奪ってもなお、誰にもとがめられぬのは自然だけである。

 しかし人間は、この自然の平穏なる存続でさえも、危うく破滅へ追いやろうとしている。

 もはや危険の域にまで達した人類の文明は、自然や神のいかなる抵抗をも打ち砕かんとし、日々進化し続けているのである。


 巨大な駅ともなれば、ロボットやアンドロイドが客への対応におわれているが、既に金銭を必要としない交通機関では、駅員の姿をあまり見かけない。

 田園風景が広がる乗降客のほとんどない駅に、名物の立ち食い駅蕎麦屋がある。

 昔は無人駅であったから秘境駅などと珍しがられて、一部の鉄道ファンが降り立つ程度であったが、宇宙船となって千葉の状況が変わると、狭苦しい都会を嫌い、こんな駅の近くに住まう人が増えた。

 次第に駅での過ごし方も考案されるようになり、今では構内に温泉まで設えてある。

 俺達は先で湯に入る予定があるので遠慮したが、たいていの客は、蕎麦屋で飯を食って風呂に入るのが目的でこの駅までやってきているようだ。

 近所に住まう者は当然のように温泉だけが目的で、汽車に乗ってここから先に向かうのはほとんどいない。

 それもこれも、医療は各家庭の通信機器が充実した事で、いちいち病院まで出向く必要がなくなり、買い物もネットで頼めば配達してもらえるという文明の御かげだ。

 使い方によっては、無駄なエネルギーを無くする方向に向かっていける文明も、その方向がちよっと違ったりすると、まったく逆の効果となってしまうのだから、人間が創り出す世の中は困ったものだ。


 そうこうしていると、次に乗る予定だった列車がホームに入ってきた。

 乗って腰かけると、一車両には親分と俺に、おそらく学校帰りだろう女学生が、五人ばかり海側山側に分かれて、向かい合ったボックスシートで菓子を広げて話し込んでいる。

 平和だ。

 いつまで続くか知らんが、とにかく平和な光景だ。

 車窓の外に流れる海の景色は、すぐにトンネルで真っ暗になった窓ガラスへ、外を眺めている自分の顔を鏡写してくれる。

 もう一両向こうには、二人ばかり乗っているようだ。

 山城親分と俺は向かい合って座り、同じ缶ビールを呑んでいる。

 年行ってから歯が弱くなった親分は、今の身体になって歯茎もしっかりしたからと、最近まで食えずにいたスルメを頭から丸かじりしている。

「このままずっと平和でいてほしいなー」

「そりゃ無理ってもんでやんしょ。なんせ、戦争をするのに飛んでるんですからね」

「それもそうですね」

「まあ、間違って和平交渉成立ってな事になれば、もうけもんでさあ」

 流石に特攻に志願した人だ。

 こんな時でも、自分の命を捨てる覚悟ができているとみえる。

 あるいは、自己の命が幾つもあると勘違いしているかだ。


 近くの席で話し込んでいた女学生が寄って来て「旅行ですか」と聞いてくる。

 まあまあ旅行であるには違いない。

「そうですよ」と答えると「一緒に写真を撮っていいですか?」と問われた。

 突然の事なので面食らっていると「先生は良い男になってるからー、もてるねー、憎いよ、この色男」親分が冷かす。

「いいえ、皆で一緒に撮って良いですか」

 女学生が親分の方にも言い返す。

「えっ! あっしも……ようがしょ。世の中、変わったもんだねー。本当に、平和がいいや」

 親分は、自分も俺と同じに変身している事をすっかり忘れていた。


 海岸にほど近い無人駅に止まると、女学生たちと一緒にホームに降りて、汽車をバックに写真を撮った。

 じゃらんじゃらんと号鈴ベルが鳴る。

 乗り遅れては大変、慌てて乗り込むと、車掌が検札にやってきた。

 運賃はかからないのだから必要なかろう行為だが、はてさてどういった具合でこうなっているのか。

「さあてと、行って見ましょうか」親分が窓の外を見る。

「何処へ行くんですか?」俺も外に目をやる。

「只今よりこの車両は、特急に連結されます」

 車掌が案内してホームに降りると、発車号鈴ベルのスイッチを押す。

 ゴットンガンと大きな音がしたと同時に、車両がグワランと揺れて前後する。

 再び発車の号鈴がけたたましく鳴ると、ゴッ・ゴットン・ゴットンと汽車が走り出す。

 陽の光に銀色が眩しく光る鉄道を行くと、前の方から後ろへと伝っていったゴットンゴットンの音が、次第に後ろの方だけになって、しまいには聞こえなくなった。

「いよいよだね」と親分。

「よう気分はどうだい」

 隣の車両から久蔵が手を振りながらやってくる。

「良い冥途土産になるよ」親分が言う。

「仕度ができてますよ」久蔵が隣の車両へと俺達を呼び入れる。


 入ってみると、その車両は御座敷列車になっていて、中はすっかり宴会気分の連中で一杯になっていた。

 どれもこれも見た顔ばかりだが、随分と久しく合っていなかったような気になって、懐かしくも思える景色になっている。

「ほら、ごらんなさいよ。すっかり外に出ていますよ」

 親分が子供の様な目をして、俺を車窓の近くに呼ぶと、バタバタこの背中を叩く。

「どうしたんですか……」

 何がどうなっているかも分からないまま、親分が見ている方に向くと、外は既に宇宙空間になっている。

 超巨大宇宙船から離れた列車からは、遠くで犬ッコロのような形になった千葉県を見る事ができた。

「あれま、凄い旅行だね」

 思わず心の声が独り言になって出てくる。

 久蔵が隣に立って、無言のまま千葉を眺めている。

 俺を石城から外に連れ出し、こんなものを見せて、どうなると言うのだろうか。

 考える間もなく、石城にあっては心の赴くままに過ごす欲望のネタが、何だか急に消えて行くのが分かった。

 何も欲しくない。

 これはもしかしたら、仙人の境地に達しているのかもしれない。

 車掌が、開けてあった窓をピシャリピシャリと絞めながらこちらに向かって来る。

 一つ閉めるごとに、一つの煩悩が失せて行く様に、少しずつ気分が楽に成ってくる。

 頭の内外で、二つも三つもあった別世界が、だんだんと一つにまとまって、終いには一つになった。

 最期まで開いていた窓から首を出す。

「平和だー」

 有らん限りの力を声に乗せて飛ばすと、その声は何処までも果て無い宇宙に吸い込まれて行った。

 いつになっても、木霊となって返ってくる事はない。

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