144 ブリキの看板
地球に残された千葉県の一部は、飛び立った宇宙船との交信や、霊だけになって千葉県型宇宙船に乗り込んだ者の瑪瑙棺桶に残した体の保管に使われている。
緊急時の地球総合指令本部ともなる施設だ。
完全に外界から断絶した世界にする必要が有ったから、宇宙に飛んで行って消えてしまう大地の替わりになるよう、動植物の種保存も兼ねて農園農場が運営されている。
千葉県が飛び立った痕には大空洞ができてしまうので、地下トンネルによって中央と外界を連絡していたが、今はそれもバリアーで閉鎖されている。
地球の中枢となる施設である事から、反対勢力に攻撃を受けないようにしているもので、我等が乗った船が飛び立った痕の深ーい穴ッぽこは、昔で云えば御城の堀だ。
遙が気合を入れて絵画列島の具現化体であるエロ狼とやったのが、宇宙船に同乗して絵画列島を創り、船内を無限の空間にする事だった。
あいつもたまには良い事をするようだ。
エロ狼が創り出す世界への行き来で乗組員の時間を操り、ほゞ不老不死状態にするのも目的の一になっている。
加えて、絵画世界では宇宙空間に無い自然を創りだしてもらえる。
良い事ばかりであるものの、この世界に来る時は、必ず体をロボットに移し替えてからにするようにとの厳守事項があるのは何故だろうか。
そんな事の為に、ロボットや瑠璃棺桶型の治療機器付き保管箱が、地球の地下都市よりずっと多く用意されている。
一通り疑問を解決する説明を聞いた後に、どうしても気になる事を元釜の親方に聞いてみた。
「おまえら、ドサクサ紛れに千葉県を盗んでいないか?」
「あらー、ばれちゃったのー? 先生にも分かっちまうんじゃ成功とは言えないわねー」
思っていた以上、簡単に白状した。大馬鹿タレ共がー!
もはや、地球に帰っても俺の住む所はない。
仮にあったとしても、知った者は全員千葉に集結している状態で、こんな時に無理して地球に残っても、居るのはやっちゃんだけで鬱陶しいだけだ。
飛び立ってしまったものは仕方ないとして諦め、ここを俺のホームにすべく考えを切り替える。
すると、生活していくのには宜しい環境がすっかり整っているように思えてくる。
空気も海も、透明の度合が今まで見聞きしたり行ったりした何処よりも優っている。
常春の気温は心地良いばかりで、空気清浄機も加湿器もいらない。
あらためて見ると、元釜の連中も悪い者ではなく、完璧な整形ですっかり女になっている。
会話しないで眺めているだけなら、共同生活にも耐えられそうだ。
元彼等今彼女達の嗜好をどうこうする気はない。
しかし、どこまでいっても、この連中に地球の運命を賭けた歴史があるのを認める気にはなれない。
人はみな個性を持ち、それぞれの生き方をもって生涯を終える。
ただ、すべからく個性とは自由奔放と差し替えて語られたりしてしまうものであったりもする。
今、まさに目前にて旅立ちの宴に興じている美女軍団は、生き方以前に、人としての品格と秩序良識に満天の曇りをもってして挑んでいる。
何が凄まじいと言って、天真爛漫な振舞いに見せかけた裏で、これほど卑猥であり爆のつく笑いを生産する輩のなんと悍ましい事か。
まずは、今日は旅立ちの記念と長いだけでメリハリけじめのない結婚式の祝いであるとして、新郎のデカオに絵具を振りたくり、巨大な看板にめがけて投げてはたたきつけ、魚拓ならぬ人拓をとり始めた。
極めて危険な遊戯に思えるが、莫大な保険にでも入っているのか、新婦もたたきつけ係として参加している。
こんなサディスティックな場面こそ、デカオの感じるところとであるとでも言いた気に、その〇間にして直〇したものは、ブリキの看板に人体の型を少し残すと同時に、一か所だけ以上に凹ませる特技を有している。
棒の形になるのなら分かるが、巨大な棒にひっぱられ上がってきているらしく、変形したブリキ看板の人型〇間から、飛び出た〇の根本には、くっきりはっきり〇つの〇体が並んでいる。
こうなってくると、絵だか暴力沙汰だか分からない。
上手いとすれば前衛的な芸術に見えなくもない一品に仕上がっているが、小学生の落書きの方が、罪が無くていいと言われればそれまでだ。
この看板をもってして、これが絵画列島の通常景色とは言わないが、やはり形として残ってしまうものには、今少し気遣いをもって挑戦してもらいたいものだ。
俺が今見ている光景は、滅多な事では拝めないものだ。それが、有難いと思えないのだから、相当な眺めであるはずなのに、娘や美智恵には、これが極めて滑稽なショーにみえるらしい。
さっきから無条件に笑っている。
大笑いしている娘の胸元には、小さなマイクらしき物がつけられてある。
そして、いつもはどんな事があってもむっつりしていたのが、今日に限ってはっきり感情を顔に出している。
それも、笑っているのに声を出していない。
根っから出せない運命の子は、こんな時でも音無しにしていられるものなのかと感心するものの、胸元のマイクが気になる。
「それ何?」
「……」娘が口を動かして何やら発生しているようだが聞こえない。
他の連中が排出する騒音でしかない奇声はしっかり聞こえるとなると、俺の耳加減が不調なのではない。
すると、「クイマと申しまして、発する声を全て消音してくれる装置で御座います」美智恵が変わりに答えてくれる。
どうせ、この手の機械ならば朱莉ちやんが作ってくれたとの返答が返ってくるのが分かったので、そこから先の話は聞かなかった。
僅か数時間で、千葉県型に切り取られた巨大宇宙船は、地球から月にまで到達した。
いつもは月も太陽もなく、いきなり朝、突然夜の世界だったが、どこへ行っても宇宙ばかりの千葉宇宙船では、絵画列島が唯一の観光地とあって、今では太陽や月が当たり前にある。
現在位置を知らしめるがごとく、昼でも巨大な月が天空に浮かんで見えるのは、地球に居た時からすれば異様な光景だが、ここにきては当たり前の状況に思える。