117 避難命令発令
「シェルターで稼いでいればいいだろう。何もここですってんてんになるまで勝負しなくたって、食っていけるだろ」
一言二言意見してから、助け船を出してやろう。
「あの事業は頓挫いたしやした。大赤字で、船も差し押さえられちまって、今は何をやっても裏目で、落ち目の三度笠ってやつでさあ」
マフィアから三度笠が出てくるとは思わなかった。
「頓挫って……大赤字って、終わっちゃったのー。短い仕事だったねー」
「まあ、運がなかったって事で諦めるしかないでやしょ」
なかなか潔い発言ではあるが、やっている事が言葉と真反対だ。
「ところで、なんで今更ジタバタやってる訳」
「へえ、あっちこっちに作った借金を返さなきゃならねえんで、義理を欠いたらこの世界じゃ生きていけやせんからねえ」
取り立てをやらせたら悪魔に魂を売ってでも成し遂げる男が、逆の立場になって真面目に返す気でいる。
ここで俺が面倒を見てやっては、後々こいつの為にならないような気がしてきた。
「ふーん、律儀なもんだね。いくらくらい抱えちゃったの、その借金てやつ」
「さあ、あっしにも正確な数字は分かりませんで、何でも、利息が一日に一億ばかりになるとかでー」
こいつは、貨幣価値について驚けるほどの無知であるようだ。
一億とした数字の意味を分かっていない。
「そう、当分返せそうにないね」
「やれるだけの事はやらせていただきやすよ。先生にも随分と借りがあるようですから」
俺は一円も貸した覚えがない。
どうやら、シェルター設置の配当金未払いの事を言っているらしいが、それこそあてにも気にもしていなかったもので、改まって言われると戸惑ってしまう。
「順調に行ってたみたいだけど、なんでドボンしちゃったの」
少なからず、シェルター事業が不調に終わった理由は気になる。
「いえね、一気に設置したまでは良かったんですがね、ご存じのとうり、あれから世界中が景気悪くなっちまって、ほとんどの施主に工事代金を支払ってもらえないんですわ、命を張って取るにも、まったくのオケラからは取りようがねえもんで」
鬼の借金取りでも、取れない相手がいたらしい。
もっとも、こんなご時世では、まともな取り立てができるとも思えない。
堅気の商売が、先行き立たなくなるのは仕方のない事だ。
「卑弥呼さんが取り立てを引き継いでくれたんですがね、いつになるか分からねえってんで、とりあえず利息分だけでも稼がねえと申し訳ねえんで、子分等と一緒にあちこちから仕事もらってやってますわ」
関心すべきなのか、あきれてやるべきなのか、微妙だが、俺が同じ立場になったら、迷わず夜逃げしてやる。
卑弥呼が取り立てに走っているなら、いずれ確実に回収してくれるだろうが、それまでの暇つぶしに、俺も有朋組の稼ぎに少しばかり協力してやろうと思い立った。
さて、どんな仕事をやったら宜しかろうか考えていると、それまで球技の実況中継をしていた部屋のテレビが、いきなり臨時ニュースを流し始める。
「只今、千葉県全域に避難命令が発令されました。速やかに県外へ避難してください」
何事が起こったのか、このように重大な事件が起こると予想されるときには、必ず事前に俺への一報が入るはずだが……。
球技の最中なのに、ニュースがモニターで映し出されると、一斉に会場がざわめく。
「どうしちゃったんですかね」有朋が嬉しそう聞いてくる。
今のこいつにとって県外への避難命令は、合法的に借金から逃げてよいとのお達しでしかない。
このまま混乱が続けば、そのうち貸したの借りたのなどは忘れ去られるに違いない。
千載一遇の好機に、今まで疲れ気味に曇っていた目には、光が戻ってルンルンしている。
「どんな時代になったって、磯の一族からは逃げきれないぞ」
あまり調子に乗りすぎると、きっといつか命取りになる事を、今のうちから教えておいてあげた方が世の為人の為こいつの為。
避難命令が出たとて、県に居る人間が全員はけるまでには何日もかかる。
緊急ではないから慌てないでくださいと、パニックにならないように案内しているとなれば、少なくとも一週間程度の猶予があるのだろう。
いざとなったら、こんな時だけたよりになるペロン星人と言う輩が、俺には付きまとっている。
あいつらの宇宙船に便乗すれば、一気に宇宙までだって避難できる。
それよりも、地下に巨大なシェルターだか都市がある。
あそこに逃げ込めば、何も千葉から避難する必要などない。
こんな事情を知ってか知らずか、知る由もなかろうに、非常事態と一瞬だけ騒いではみたものの、やはり賭けの結果が出るまでは誰も言う事など聞かない。
中断していた試合を続行し、今回の避難命令について詳しく説明する会を、この競技場で行うとのアナウンスがあると、ドームが揺れるほどの歓声が湧き上がる。
結果は、幽霊共の能力が圧倒的に元オカマ軍団やペロン星人の力を上回り、予想のままの得点で勝敗がついた。
勝ったには勝ったが、受け取る金額もでかすぎて、帳面上の操作で完結している。
目の前を持ち運ぶには不便で、トラックが必要になる大金が行ったり来たりすしなくて実感がない。
配当なんだかんだとやっていると、避難命令についての説明会が始まった。
全く予定していなかった出来事だが、もとより暇人が集まっての大イベントになっていた会場。
重要な説明を聞かずに帰ろうとする者はいない。
しかし、どれ程の話でも、今直ぐ県外に避難しなければならない災害に見舞われるとの報道や予想はなかった。
すると、港屋で余暇していた筈のあおい君が、急遽設えた壇上で一言発する。
「今回の避難命令は猶予期間がありますから、慌てて逃げる事はありません」
落ち着き払って、まずは不安そうにしている人に安堵を与える。
一難去り、二難が来て、二難が消えても三難が発生する。
急いで逃げなくて良い事を喜んでいるのではない。
始めから命令とされていたのが、幾分は自分の意志をもって退去までの時間を調整してよろしいとの言葉に喜し ている。
「避難命令は出ましたが、残りたければ、ずっとここに住み付いても良いとなっています。ただし、近くこの地域一帯は、地球の他のどの場所よりも孤立した状態になるとだけ覚悟しいだだかなければなりません。それが出来ない方は、出来る限り迅速に荷造りをして、県外に逃げる事をお勧めします。この日の為に、千葉からの避難民受け入れ態勢は万全になってる筈です。とは言え、こんな御時世ですから、程度の保障はいたしかねます。特に、県外に親兄弟や親しい知人が御住まいの方は、素直に出て行った方がよろしいでしょう。一生会えなくなる可能性が、非常に高い状況です」
話を聞いているうち、会場は深夜の森程に静まっていたが、本当に聞いているのかどうかは分からないものだ。
客の反応など気にせず、一通りの口上を述べて終えると、今度は場内が戦争勃発ばりに騒然としてくる。
避難しなくてもいいと言っておきながら、一生会えなくなると締めているのだから、さもありなん。
手がかりのないまま、この騒がしさから二・三分したら、一人の男が大声で質問する。
「訳分かんねえよー」
これは疑問をそのまま吐き出しただけであり、正当なる質問とは言い難いものの、この場にいる者全員の意見を端的且つ正確に述べたものである。
「概ね、どなた様の心境も同じ状況と思われます。少々付け加えさせていただきたい所ですが、これ以上はトップシークレットでして、その日に成って見なければ分からないの。皆さんは選ばれた者ではありますが、選択の自由も与えられています。去るも残るも好きにして良い避難命令だとだけは教えてあげられるのねー。ここに御集まりいただいたのも何かの縁ですから、知っている事にはお答えいたしますが、残った時に命の保証は無いのよー。何処へ行っても保証できない命が現状ですから、たいして変わりはないですけどね。事前通知を受けていた者が、ここと同じ様に、他の人達にも説明している頃ですし、避難所の情報もありますから、とりあえず、各ブロック別に設置する相談ブースで御話してみてください」
言いっぱなしの命令ではなく、後々の相談まで受け付ける準備をしているとなって、事は一層真実味を帯びて来る。
ブロック別にテープルが用意され、ついさっきまで警備員だったり売り子をしていた者が、個人の都合に合った避難方法を教え始めると、話を終えて帰る人からの又聞きに尾ひれ背びれがついた噂話が飛び交う。
それから十分もしないで、軽い噂が危なく重たいデマに生まれ変わって、一部の人間は説明も受けずに逃げ出ていく。
これから何事が起こるのか分からないまま、不確かな情報に踊らされて右往左往するのが出てくるのは世の常だ。