111 宇宙帰りの美女軍団
夕暮時に机へ向い、窓も扉も開け放つ。
診療所に居るのは俺だけの上に、近所からは物音さえ聞こえない。
隣のヤクザも地下都市の宇宙人も、元気なのに病人のふりをして集ってくる爺婆も猫も居ない。
自分だけが取り残された様で、心持不安になってくる。
あおい君もキリちゃんも朱莉ちゃんも、知らぬ間に俺を残して港屋に行ってしまった。
一人ポツネンとしていてもつまらない。
ここはヘコに貰ったタダ券で、ちょいと食い歩きをしてやろうか。
それよりも出前を取って、テレビを見ながら飲んだくれてやろうか。
色々考えていると、ギクシャクした動きの見掛けない奴と、アインが一緒に診療所に入って来た。
アインは良いとしても、妙な素振りで一緒の男は、病人には見えない。
どう言った関係なんだ。
「変な人間を連れて来るなよ。それでなくったって物騒な時代なんだからよー」
言っても無駄だとは思うが、とりあえずアインを注意してみる。
「人間だと思って見るから変な奴に見えるのじゃい。こいつは車屋で世話になっているクロである。よく見て見ろ。ボケナスが」
猫が、飼い主である人間に対して、言って良い事とは到底思えない発言。
こいつの知能と技術は、ひょっとしなくても俺より優れているのが証明されている。
素直に罵声を浴びるしかない。
しかし、何となくぶっとばしてやりたくなる衝動にかられるのは、人間ならば誰でも同じだと思う。
「猫にボケナスとか言われると、妙に腹が立つんだけど、いい加減にしておけよ」
「ほー、そんな事を言って良いのかのー。今日から暫く、あそこに控えている美女達の宿舎を、この薄ら子汚い診療所にしてやろうかと思っておったのだが、港屋に行っちゃおうかの」
器用な五本指手袋の人差し指が指し示す先には、今後人生がもう一度有っても、絶対に巡り合えないだろうと思える一団が、にっこりこっちに手を振っている。
朱莉ちゃんと最下層に行った時、理想的な出で立ちでカプセルに入っていた美女のようだが、顔を覚える脳が働いてくれない者としては、本当に彼女達なのか確認する必要がある。
「何者?」
「クロと一緒に宇宙に行った連中じゃい。久しぶりに地球へ帰って来たのに宿舎が地下都市でな、宇宙船とたいして気分が変わらんから、どうにかして地上で過せないかと相談されての、ここら辺りが庶民的な暮らしぶりで良かろうと思って連れて来たんじゃ」
地下都市の生活から比べれば、いたって平均的生活の場ではあるが、地球全体から見たら、極めて異常な環境下にある診療所だ。
それを、庶民的と言えるのは、二足歩行の猫が話していても当たり前の空間に長く居たからに他ない。
一見真面な人間に見えるが、一皮むけば奇人変人の域どころか、ひょっとしたら人間ではないかもしれない連中を、いくら見掛けが良いからと、すんなり受け入れる気にはなれない。
「おっそろしく見掛けが良いけど、本当に人間なのか、カクカクうごいているクロみたいに、元は猫ですとか言うんじゃないだろうな」
「間違いなく人間だ。それに、絶対に女だ。なんだったら、確認しても良いぞ。それくらいなら、平気でやってのける者達である」
どこから見ても絶世の美女なのに、念を押されると信じ難くなるのは相手が猫だからか。
兎に角、外に待たせておくのも悪い。
「ここを宿舎にするかしないかは別として、一先ず中に入ってもらいなよ。詳しい話はそれからだな」
アインがこの言葉に素早く反応し、女達を診療所に入れる。
「吾輩は、これからちょっと用事がある。後は任せたぞ」
こう言うなり、あれよの間も無く田圃の畦道を猛ダッシュで逃げていく。
超能力者でもあるのか、瞬く度に姿は小さくなって地平線に到達すると、望遠鏡でもなければ確認できない点になってフッと消えた。
夕暮は深くなる。
やがて、暗闇がすっかり田園を包み、所々に点いた街灯だけが頼りの世界へと変貌してくれる。
呆気にとられて時の経過を忘れていると、台所から良いにおいがしてくる。
同時に若い女の声が診療所一杯になって、あっちへこっちへ跳ね回って聞こえてくる。
こんな場面に出会う事を、これまでに一度も願わなかったではないが、いざ直面してみると嬉しいより怖いが先立ってくる。
一人二人なら、適当に話相手でいられる自信がある。
それは、ここの住人が俺以外は女ばかり三人で、長く同じ屋根の下で暮らしていても、殺されていない事から出来上がった確信だ。
ところが、十何人もの人間だ。
それも宇宙帰りとなってくると、どう接すれば良いのか皆目見当もつかない。
「先生ー、あっそびまっしょー」
随分と昔に、聞き覚えのある声が俺を呼んでいる。
あれは忘れようとしても忘れらない、地下病院の飲食店街に行った時、路地裏で入った場末のショーパブだった。
それよりもっと前には、アルトイーナ撲滅祝いの席で、怪しからん宴会芸を披露していた釜軍団の中に、こんな声の奴がいた。
あの時は「これからこの者達は、既に地球に到達しているアクエネ偵察部隊との直接交渉に向う予定であります。
―~―云々―~―。
安全の為ですので、どうか御協力お願いします」
久蔵が、珍しく真面目になって世界中の重鎮に語っていた。
声は絶対にあの時のオカマだが、どんなに斜になって見ても、あいつ等とは人相から体型まですっかり違っている。
それに、アインの言葉をそのまま信じるなら、これから診療所に何泊かしようとしている者達は、女でなければならない。
最下層に設置された人体保存装置には、医者いらずの優れた治療機能も備わっていると言っていた。
もしかしたら装置の能力で、オカマを完全な女にする事も可能なのではなかろうか。
非常識な考えが頭の中で渦巻き始める。
であると仮定して、更に考えを進めていくと、生物学的な見掛けが女になっていようとも、DNAは男のままなのではと思える。
それ以前か以後か、たとえ染色体まで女に改良できたとしても、性格までは変わっていない筈だ。
まかり間違って可能だとしても、それをやってしまったら、元の人格がなくなってしまうから別人になる。
これでは性転換の意味が不明になってくるから、そこまではやらないだろう。
となると、せっせと家じゅう這いずり回って、バーベキューセットや食材を引っ張り出し、勝手に電話しまくって、宴会にペロン星人を招待しているのは、悍ましい程の変態集団だった連中だ。
それが、遠慮ない不作法な性格のまま八頭身美人になったと結論できる。
診療所の周りは、医療施設がここしかなくて不便に見えるが、元オカマの美女軍団の様な健康体にとっては過ごし易い地域に出来上がっている。
あの身成見掛けで農業・漁業に励むとは思えないものの、宇宙帰りとなれば、そこそこ科学や機械に関する知識も培われていそうだ。
デコトラクターをブイブイ言わせる婆さんと一緒になって、コンバインで田圃レースをやったり、漁船で競艇を開催したりしそうな雰囲気が満ち溢れている。
住人の総入れ替えが完結してからは、十年来の付き合いがなくなってしまい、近所とは初対面からのやり直しになっている。
少なかった近所付き合いが、今では皆無。
気楽でいられるのと、寂しいのが半々のこの頃に、元気な変態が集まって騒いでくれるのは、迷惑な様な喜ばしいような。
あおい君の話では、新しい住人に解放されている地域は、磯の御宮を中心にした半径二十キロの地上範囲内だけ。
ペロン星人が、温泉として不法占拠している海は解放されていない。
地下都市は相変わらず入居者を募っていない。
ただ、制限が続けられようが解放されようが、呼び出されて一分かそこらで、イナゴの大群が襲来した時の勢いで見えるもの総てを食い尽くしているペロン星人や、俄作りの診療所温泉で破廉恥の限りを尽くして浮かれる、元オカマ達と仲良く暮らす暮らしが、俺の未来には横たわっている。
区切られたエリアには、千葉市は入っていないが成田空港は入っている。
陸路があちこちで寸断されたままになっている現状では、ここで収獲された食糧の輸送には空港が欠かせないからだが、いざとなったら飛んでこいつらの射程距離外に逃避行すべきだろう。
壊滅的災害が起こってから解放された避難シェルターは、直径四十キロの外周に沿うように作られていて、災害のずっと以前からこれらの施設が作られていた。
この様に設置したのには、何等かの理由がありそうだが、説明してくれる人間は俺の周りにいない。
なんでもかんでも責任者だとされているわりには、詳細について一切知らされないのは、きっと説明しても理解できない人間だと思われているからだろう。
正解だ。