108 地上地獄・地下天国
地下には巨大な近代都市が埋もれているのに、地上はすっかり数世紀前にタイムスリップしている。
近くに一軒きりだったガソリンスタンドは、タコ連中の攻撃でタンクを吹き飛ばされたまま。
再開する気がまったくない。
それよりも、スタンドの経営者だったおばちゃんの姿を、あれっきり見掛けていない。
ひょっとしたら、爆発の勢いで消滅してしまったのか。
こんな思いの今日この頃。
うつむきながら歩いていた頭を、ツンツンする奴がいる。
ひょいと顔を起こすと、目の前に死んだ筈の獣医が立っている。
昼間だぞ。
ややこしい事になってきた。
俺の個人的理由で現れているのなら、何時もの様に放置していれば消えてくれる。
だが、ここのところ静かだったパックが現れて、俺を差し置いて二人で名刺交換を始めている。
「お前等の世界に名刺なんか必要なだかろう」
幻覚や冗談でない事の確認のために、もう一度パックに質問を浴びせかけてみる。
「そこにいる、獣医の幽霊な。本当に、本物の幽霊か」
「ああ、そうだよ。幽霊に見えないか?」
俺の質問に答えてくれた。
でも、ありがたくない。
パックは、幽霊ではないと否定する方が異常であるかの如き逆質問を仕掛けて来た。
「いやー、俺が勝手に創り出した頭の中の幽霊以外に出会うのは始めてなんで、少々意表を突かれちゃったかな」
できるだけ、幽霊にビビっていないぞと言った素振りで答えてやった。
足がガクガクしているのが自分で分かる。
昼間の幽霊は、その姿形がはっきりしている分、夜見るのよりずっと気持が悪い。
「幽霊は分かったから。そのさ、線路に放り込まれて、ぐしゃぐしゃになった時のままっての、何とかならないかな。いくら外科医でも、それはグロテスクにしか見えないんだよね」
道ですれ違う連中も、こいつを見て一瞬ギョッとしている。
そんな様子を見るに、昼日中から惨酷な終焉の姿をしたまま化け出ている。
近所迷惑もいいところだ。
このままふらついていたら、途中で何人かは見ただけでショック死してくれる。
「ああ、これかー。忘れていたよ。へーんーしーん。どうだ、こんな塩梅で」
やればできるのに、世間様への嫌がらせとしか思えない登場の仕方をしやがって。
とっくに怨みは晴らしてやった。
今頃になって化け出る理由もなければ、俺の所に出て来るのも御門違いだ。
「何しに来た。化け出る理由がないだろう」
「そう言われては身も蓋もないなー。生きてる内はそうでもなかったがな、死んでから随分と世話になったから、ちょいとお前が気にしている事を教えてやろうと思ってな。出て来てやったんだ。迷惑がるな」
俺が気にしている事と言ったら、最近体重が一キロばかり増えた。
そんな事の理由ならとっくに知っている。
食い過ぎだ。
「俺が気にしている事って、何?」
「お前の所に上がってくる、訳の分からない報告書の出所だよ。ここ一年ばかりの間に、困った立場になってるだろ。あれな、診療所の連中が仕組んでんだよ」
僅かばかりの間に、あっちこっちで権限の無いトップにされている。
これには、いかに穏便な性格の俺でも抵抗したい気持ちが湧いている。
いかんせん、やっている事の全貌が見えてこないから、誰に何を訴えれば良いのかさえ思い浮かばない。
九割がた諦めていた俺自身の立場だ。
それが、事も有ろうか、診療所に巣くった連中の企みで動かされているとなると、俺はどこにいても安全に過ごせない。
「何で、俺を権限のないトップにしてるんだよ。ただ単純に甚振って楽しんでいるってんなら、家出してやるからな」
「待てよ、俺がお前に何がしかを仕掛けた訳じゃないんだから、そう言われてもなー。親切で教えてやるんだから、とりあえず最後まで聞けよ」
いきなり御門違いに化け出てきておいて、世界中が敵になっても不思議でないような現状をばらしている。
落ち着けと言う神経を持った奴は、とてもではないがまともとは言えない。
そもそも、目の前に居ること事態が尋常らしからぬ絵面なのに、話ながら道行く女子高生にナンパの嵐をおみまいしている。
自分の立場をわきまえていない幽霊だ。
「おい、俺の事をどうこう心配してくれるのは有難いんだがな、娘程歳の離れた子供相手に欲情して、恥ずかしくないのかよ。自分が何者か忘れてないか」
「娘程って言われてもなー、あいつは俺より先に死んじまっから、ここまで成長していない。まだ小学生のままだ」
「それを言ってるんじゃないよ……」
一瞬考えたが、既に人間でなくなっている奴に何を言っても無意味だと悟った。
自分に関わっている異常な事柄について知っておくべきだ。
質問の方向を変えてみる。
「お前の言い方だと、どこで誰が何を、いかなる目的があって、どの様に行なった結果として、どうなったのかがよく分からない。もっと簡単に詳しく説明してくれないかな」
「それなら、頭の上に乗っかってるパックに聞け。そいつが絡んでいるから、今のお前がいるようなもんだ」
前にもふざけた婆ぁ連中に、同じような事を言われた。
直接パックに聞いても、自分で何者かも理解していない奴だった。
そんな阿保たれに、俺の人生を左右されていると思うと些か気分が悪い。
こいつが垂れ流している生体エネルギーの恩恵で、病気が悪化ぜずに生きていられるとなっている。
あまり邪慳にもできない。
「こいつに何言ったって、話にならないよ」
「ああ、そうだろうな。そいつだけじゃ自分が何者かさえ分からねえからな」
そこまで分かっていて、それでもパックに聞けとは無責任な幽霊だ。
「聞きようがないのに、聞けってのも無茶苦茶だな」
「だから言ったろ。診療所の連中が関わってるって。朱莉ちゃんに相談してみな、色々と知ってるよ。聞かないから、お前はとっくに知ってると思ってんだよ。だから皆して教えねえんだ。分からない事があったら聞けよ」
誰に聞けばいいかも知らなかったのに、ここで聞けと威張られても、叱られ損をしている自分が可哀そうだ。
「今日はどこかに出かけて、朱莉ちゃんは診療所にいないよ」
「それなら、地下の診療所に行ってみな、彼女のラボになつてるから。たいていはあそこでまったりしてるよ」
「地下にも診療所があるのか?」
「注意障害があるのは聞いてたけど、そこまでかー。やっちゃんがいる病院の隣に建ってるだろ。お前の手作り診療所に瓜二つの建物がー」
公園が近くにあったのは見ていたが、診療所までは気づかなかった。
自分の事をどうこうより、地下にあると言う診療所の方が気になってきた。
こんなところで幽霊と立ち話しているより、さっと地下に行って、俺についての諸事情ってやつを聞いた方が手っ取り早い。
早速、地下都市に潜り込む。
病院に入るとやっちゃんがとやかく五月蠅いので、駅前から公園を抜けて見回す。
有ったよ。朱莉ちゃんの研究所。
知っていると思われているなら、俺がいきなり現れても幽霊の様な扱いにはならない。
地上の診療所と同じに、入り口にはチャイムがない。
ここまで正確に復元する事もなかろう。
まだペンキ塗りが途中の状態まで、驚く程の似せ方だ。
軽くドアを蹴飛ばして、人が来たぞと中に知らせるが、誰も出てこない。
いつもの事で、俺が中に居たとしても来客で出ないのまでそっくりだ。
ここは明らかに他人様の家だが、住人は朱莉ちゃんだ。
常より同居しているから、家族同然の人間が管理している。
そうとなれば、自分の家の様に振舞っても、何の問題も発生しない。
この結論により、勝手に戸を開けて中を覗く。
入ってすぐ、地上とここは別世界だと痛感した。
地上にある電化製品と言えば、テレビに洗濯機・冷蔵庫。
頑張ってパソコンにお掃除ロボットで、たまに時代を間違ったペロン星人制アンドロイドの十五号が遊びに来る。
細かな事だが、十五号は動力源が電気ではないから、ひょっとしたら電化製品とは言わないかもしれない。
そんな地上診療所と比較するべきではないが、ここには生活感が全くない。
建物の中に電化製品があるのではなく、電化製品の中身が、建物で覆われているとすべき光景。
通路と椅子・机程度は目視できるが、他に見えるのは、ラックにびっしり詰め込まれたサーバーと、それらを繋ぐコードの束。
奥の方に据えられたシステムキッチンの上には、モニターが五台ばかり並んでいる。
一台には見慣れたテレビ番組がそのまま映っているが、あとの四台は真っ暗な星空や、世界のあちこちで起こっている災害の様子を上空から映している。
以前、遥の研究所で見たのと同じ様な画像で、俺のつたない頭脳でも、偵察衛星を使った監視画像の共有だと分かる。