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雲枕  作者: 葱と落花生
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105 見知らぬ近所の住人達

 えらく不安になってきた。

 この一時的障害は、いまいましい事故から続いている症状だ。

 こうなってくると、ある程度まで原因を解明しないと困ったことになる。

 解消されない悩みが付きまとって、昼夜かまわず安眠を妨げてくれるのだ。

 受診すると言いながら屯っている爺婆は、ホームで共同生活をしてい。

 代々この地に生活してきた人間だが、たまにやってくる他の患者については、詳しい情報がない。

 以前は東京や神奈川に住んでいる人達が、別荘として持っていた家に、定年してから越して来たという人達が多かった。

 今頃なって「失礼ですが、貴方はやっぱり東京ですか」と聞いて回る訳にもいかない。

 診察は殆どあおい君の仕事になっている。

 俺は新住民とのコミュニケーションに、問題有りの医師にされていた。


 定住して長かった前住民は、しっかりこの地に馴染んだ身成でいた。

 すっかり地元民と思えたものだ。

 今の御近所さんは、一目見て原住民でない風体でいる。

 一輪車に鍬鎌を乗せて畑に向かう時でさえ、小奇麗にしてい。

 景色の中に、後から張り付けた様に浮いている。

 毎日のように診療所の前を通り、十字路を左に行き当たった畑で仕事をしているおばあさんに、最近のご近所さんの様子を聞いてみる。

「婆さんはどこから越してきたんだい」

「都会から来た風に見えますかね」

「見えますかねって、トラクターをデコってブイブイ言わせてる婆さんは、なかなか田舎じゃ見られないもんね」

「昔はあそこも田舎だったんだけどもね。今じゃ第二鉄道の駅周りは、高層マンションだの高速道路のインターができたりで、もう東京真っ青の都会様に成り上がってます」

「ほー、そんなに景気のいい所が今時あるのかい」

「ええ、柏からきました。隣近所が増えてね、昔っからの人間には息苦しいばかりで、こちらの方に移住しました」

 この婆さんは、都会の雑踏に耐えられなくて、この村の生活を選んでいる。


 新住人なら、他の移住者との付き合いもそこそこ持っているだろう。

 いつ頃からこの地域が、移住者ばかりになったのか知っていそうに思える。

「ところで、近所に越してきている人達も、婆さんと同じような理由からこっちに来てるのかね」

 初めて話すのに抵抗はないらしく、デコトラを路肩に寄せ、テラスの長椅子に腰かけたのからして、俺の問いかけに本気モードで答えてくれる気のようだ。

「近所付き合いはやらないなんて言ってるのに、流石に先生も、近在の者が全部知らない人間になったら気づいたようですねえ」こう言うなり、スッと立ち上がって俺の頬に剃刀を当てる。

 無意識に、何かいけない事でも口走ったか、そうでもない限り、まっとうで善良に見える婆さんに、いきなり剃刀を突き付けられるいわれなど有ろう筈がない。

「先生の無精髭は、前々から気になっていたんですよ。こうして御話しているのも何かの縁です。剃って差し上げますから、ジッとしていてくださいな」

 鏡は見ないし、剃刀負けする。

 髭剃りは適当にやっている。

 それがお気に召さなかったらしいが、いつでもこんなに危なっかしい物を持ち歩いているのかよ。


 近場で危険なのは、隣のヤクザだけだと思っていたが、昭和会の弟子みたいな輩が少なからず越してきているようだ。

 それとはなしに、そのあたりの事情を知りたくて話し掛けようとするが、喉元に剃刀を当てられていてはうっかりした事を聞けない。

 髭を剃ってやると言ってはいるが、何か忘れているようなと構えて暫く考えている。

 長い事婆さんをやっているからボケまくっているのか、理容師だったであろうプロが持つ剃刀を常時携帯していても、剃る時につける石鹸までは持ち歩いていない。

 このうっかりには始めから気付いていたので、ここでちょいと質問ついでに忠告してやる。

「中にいる看護師さんに言えばくれるから、できれば石鹸を付けてから剃ってもらいたいんだがね。ついでに一つ答えてほしいんだけど、婆さんは昭和会ってのを知ってるかい」

「この剃刀は、軽く当てただけで骨までスッパリ切れる名刀の末柄ですから。石鹸なんぞつけなくても大丈夫ですよ。ほれ」

 頬をスーと撫でると、剃られた感覚がまったくなかった。

 髭の切れ端を乗せた剃刀の根本には、村正の名が刻んである。


「危なっかしいの持ち歩いてんじゃないかよ。刃渡り十五センチ以上あるだろ」

「いいえ。十四・九センチですし、形状が刀やナイフではないので、銃刀法には引っ掛かりませんの」

 このばあさん、答を聞かずとも昭和会に繋がりのある人間に違いない。

 髭剃りは有難いような恐ろしいような。

 難無く終えたが、次は絶対にお願いしない。


 いつ越して来たのだろう。

 話の内容から推し量ってみると、有朋の事務所を間欠泉が襲い、周囲一帯が一大温泉街に変貌した頃。

 地域住民の総入れ替えがあった。

 あの頃はいい加減な復旧工事で、家の壁がなかったり屋根が半分しか作られなくても、誰一人として苦情を唱える者がいなかった。

 大金をばら撒いて黙らせたとばかり思っていたが、以前の住人でないなら復旧前の形状を知らない。

 ケチの就けようがなかったとうなずける話だ。

 そのうえ親方がただ者ではない。

 外から来た人間が見ればただの老人会でも、知る人ぞ知る昭和会だ。

 いつから髭剃りを観察していた。

 有名なデザイナーに書いてもらったという前衛的な会旗を、電動三輪車にくくりつけ、さも退屈そうにうろつくボケぶり見事な爺さん。

 髭を剃り終わったのを確認すると「終わったでへー、終わったでへー」大声を上げ広告し始めた。

 すると、今度はこの声を聴いた別の者が「終わりやしたー、終りやしたー」と伝言を引き継ぐ。

 しばらくその声が聞こえていたかと思ったら「終わったやーい、終わったやーい」遠くから聞こえてくる。

 俺の人生が終わったかのごときふれ回りであるが、髭剃りにしくじって死んじまった実感はない。


 昭和会が俺をいじくって、良い事があったためしがない。

 これからの事が不安になってきた。

 しばし部屋に籠って周囲の様子をうかがう。

 異星人の侵略や隕石とか、火山の噴火に地震・雷・津波・親父。

 色々あって、おおよそいかなる事態に陥っても慌てず騒がずいられるまで精神が鍛えられたと思う。

 しかし、昭和会の爺婆に関しては、何をやらかすか分からない。

 落ち着いた対応ができないのは致し方ない。

 妙な伝言広告の声が収まったので、こそっと外に出てみる。

 近在の者らしき連中が、こぞって診療所を取り囲んでいる。

 眼球すべてが赤とか黒といったオカルトの顔ではないし、口から牙が生えているのでもない。

 ホラー映画に出てくるゾンビでもない。

 いたって平凡で良識ある人間に見える御近所さんなのに、号令がかかったら無表情に他人様の家を取り囲んでいる。  

 妖怪・化け物の類より不気味だ。


「この人達、あまり見かけないようだけど、何しに来たの? 殴り込みには見えないけど、ちよっと変だよね」

 幸か不幸か、たまたま一緒に外へ出てきたキリちゃんに、彼らの素性を聞いてみる。

「超して来たばかりの人達みたいですよ」

「へえ、引っ越してきたのか」

 ずいぶん大量に転入してきたものだ、物好きな連中だ。

「お引越しの挨拶ですって」

「挨拶って、えらく多くないかい」

 あおい君が奥から出てきて、大勢集まっている理由らしき事を教えてくれる。

「ええ、以前ここに温泉街を作った時に、施設を切り盛りしていた女将さんの紹介とかで、あちらで被災された方達なんですよ。一旦は帰ったんですけどね、時期が悪いし風評被害も手伝って、生活できる状態じゃないみたい。宿の女将さんや病院の方達とか、釣り堀の御婆さんも押っ付けやってくると聞きましたわ」

 妖怪婆ぁまでやって来るとなると、なんだか落ち着いていられない。

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