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雲枕  作者: 葱と落花生
10/158

10 松林のおっちゃん、殺します

 殆ど徹夜明けの朝、刑事が診療所にやってきた。

 夜のうちにあおい君とキリちゃんに事情を説明して、箱を埋めた上からテントを張ってある。

 この御宝テントで御茶しながら、二人と雑談をしてやる。「田増が使いっ走りしていた詐欺グループの連中がさ、昨夜襲われたみたい」

 裏情報をダラダラ垂れ流してくれる。

 本気モードむき出しの刺客がやって来ているらしい。

 CIA並の捜索網があるのに、何で田増の素性が分からなかったのか。

 事件まで、目の前の二人も田増が詐欺師だとは知らないでいた。

 厳密には、田増の顔を知らない二人。

 パーティーで会っている人物だとは、今も気付いていない。

 一億ばかりの金、カジノの稼ぎからすればたいした金額ではない。

 何でそこまでムキになれる。

 患者がボチボチ待合室に集まってきたが、今日はあおい君の手術が入ってない。

 診療所は任せっきりにして、二人の刑事さんと座談会の日とした。


「昼間のビールが効くのは何故だろうね。研究の余地があるなー」

 などとしゃべくって酔っ払っていたら、キリちゃんの亭主と名乗る強面スカーフェイス刺青チラチラのおっさんが、いきなり診療所で唸りはじめた。

「うっそー。絶対にバレナイって言ってたよねえ!」

 横を向けば、キリちゃんが「シー」

 何となく状況を理解したか、北山がおっさんに詰め寄っていく。

「鼻がきくじゃねえかよっ。診療所なんだからっ、病人がいる所ですごまれちゃ困るんだよっ。東郷」  

 知り合いだったのかな。

「北山……か?」

「だからどうした。ト・ウ・ゴ・ウ!」

 北山が恐ろしく強気だ。

 流石に権力と拳銃を持った地方公務員は迫力が違う。

「テメエみてえなクズが来る所じゃねえんだよっ。手引かねえと大脳摘出してもらうぞっ。ト・ウ・ゴ・ウ!」

 大脳摘出で俺を指すな。


 暫し緊迫した空気は流れたが、血は流れなかった。

 キリちゃんの旦那が大人しく帰ったのは、たまたま北山がいたからで、これくらいで諦めるような奴でないのは誰でも分かる。

 北山は随分と前からキリちゃんの夫を知っていて「気にしてたんですけどねー、あんたの旦那ヤクザですかとは聞けないですよね」今日までのズルズルを言い訳する。

 キリちゃんの夫、東郷十三郎は業界で少々名の売れたヒットマンで、証拠を残さない完璧主義者。

 しっかりマークされているのに、未だに一度も逮捕されていない。

「旦那、ヤクザだって言ってたのに。殺し屋じゃん」

 北山に聞かされ、初めて旦那の正体を知ったキリちゃんは「よく生きてたー」今頃になって驚いている。


 北山の情報によれば、カジノからの依頼で田増を探しているのが東郷だとか。

 探している過程で、偶然キリちゃんも見つかってしまったということになる。

 あいつにしてみれば一石二鳥だ。

 いっぱい持病があるから、絶対病気で早死にすると思っていたのに、ヒットマンに殺されるなんてのは想定外だ。

 生死は問わないが、金を取り戻さなければ報酬は支払われない。

 契約書があるでもない、大まかにそんな業界の常識で契約しているのが東郷だ。

 田増は引き渡してもいいが、返金はしたくない。

 北山の立場になって考えるに、田増は二の次三の次、殺されてしまっても致し方ない存在だ。

 どちらかといえば殺されて、東郷が死体に証拠を残してくれた方がありがたい。

 こうなってくると、金が目的ではない。

 キリちゃんとしても、旦那が捕まって一生刑務所に賛成だろう。

 死刑だったら、子供の父親死刑ってのも悲惨だが、とおちゃん現役の殺し屋よりはましだよな?

 いずれにしても、田増が殺されてからの話だものな。

 自分で手を汚さないにしても、田増を殺しちゃうのはいささか気が引ける。

 やはり困った。


 激しく頭を使って知恵熱が出たか二日酔いか、症状はあまり変わらない。

 胃薬と解熱剤と栄養ドリンクとビールを一緒に飲めば、ほら目の前真っ暗。

 ひどい目にあった過去を忘れ、ついついやってしまう悪い癖だ。

「先生! 急患ですよ」

 甲高いキリちゃんの声が、いつもの気付け薬だ。


 診療所の急患は、仏さんか松林の住人に限られている。

 松林の住人なら、著しく切迫している状態だ。

 あおい君が先に対応していたが、チアノーゼに瞳孔散大 。 心肺停止。

 頸部に死斑が出ている。

 死後二十分から四十分。

 彼はすでに死んでいる。

 短時間で意識消失して突然死亡する。

 虚血性心疾患だ。

 ピンク調の泡を出したのは、急性左心不全による肺水腫と診断できる。

 医師がいるとかいないとかではない。

 砂防林に住む人達の一生は短い。

 彼等は身に染みているが、その生活から抜け出そうとする者は少ない。

 彼等の心の闇は、地獄を見ていない人間には想像出来ない。

 死者の世界と隣り合わせだ。

 彼にとって唯一の救いは、本人も気付かない急速な死。

 不幸な出来事だが、ロッカーの鍵を持っていてくれたのが俺の救いだ。


 多くは書かれていない。

 事業で騙され多額の借金苦の果て、家族を捨てて死ぬも出来ずフラフラ彷徨い、今の仲間に拾われた。

 何もかも忘れるほど長い間、砂防林の仮住まで暮らしていた。

 死んだら遺体を医学部の解剖へまわし、御金に換えて捨てた家族に届けてほしいとある。

 気持ちは分からなくもない。

 しかし、残念だが医学部で解剖実習用に死体は買わない。

 解剖する遺体は総て献体で、日本での死体売買は違法だ。

 何年もホッタラカしていた家族が、昔のまま住んでいるとも思えない。

 家族を警察力で探せたとしても、送ってあげられるのは遺骨しかない。


 事件性がないと判断し、診断書を書く段になって考えた。

 彼の人生、彼の死は何だったのだろうか。

 この診断書を書き終えた時、彼の生涯は終わってしまう。

 医師として、彼の人生を意味あるものにしてあげたい。

 家族を見捨てて逃げ出した奴だけど、必死で頑張ったと嘘でもいいから伝えたい。

 この地域には警察医がいなかった。

 事件性のある遺体が発見された場合には必要な医師だが、界隈に拘置所も刑務所もないので、必要がないと言えばいらない医師だ。

 それが、砂防林で他殺体が発見されてから、俺がこの地域の警察医になったようだ。


 正式にオファーがあったのかなかったのか、何となくやらされているような気がしてならないが、警察は何の疑問も感じていない。

 外も冷え込んできているし、ドライアイスで囲っておけば一週間はもつだろう。

 先に逝く者の人生に意味を持たせるのは、生き残った者の仕事だ。

 彼の人生を、生涯を意味あるものに変えてあげようと決めた。

 解剖してもいいなら、死後のバラバラは覚悟の上、少々痛んでも問題はない……と、思う。

 間違って化けて出てくるなよ。

 家族に御金を送ってあげるから。


 東郷は世界中の警察機構が目を付けているヒットマンだ、ちょいと証拠を作ってやれば直ぐに逮捕してくれる。

 田増の死亡記事が新聞にでも載れば、ダメ押しの刺客を送ってきたりはしない。

 キリちゃんと田増は安心して暮らせるし、金は東郷が見つける前に逮捕されちゃったと諦めるてくれる。

 それにはまず、東郷の指紋とDNAが必要だ。

 滞在先は分かっている。

 市内の宿で顔もきくから、ちょいと小銭を握らせ留守中にゴミ箱をあさられてもらう。

 髪の毛とタバコの吸い殻からDNA。

 かじって捨てたリンゴで歯形。

 コップからは指紋を取る。

 次に凶器の準備となるが、松林の人達に頼めば大抵の物は手に入る。

 薬莢を残したいからAPS。

 少々大げさだが、弾数は申し分ない。


 他人の指紋を利用したければ、偽指紋キットを通販で買えばいい。

 千円も出せば、かなりいい指紋が造れる。

 プロでもやってしまうのが、発砲時に手袋はしていても、カートリッジに弾を入れる時に素手で充填するイージーミス。

 リボルバーなら薬莢は現場に残らないが、スチェッキン・マシンピストルは一弾倉二十発入る。

 二・三本撃てば指紋の大サービスだ。

 タバコの吸い殻を現場に捨てておけば完璧。

 DNAは嘘をつかないが、DNAをばら撒く者は嘘をつく。

 リンゴから取った歯形で、遺体の首に噛み跡をつけて、猟奇犯人犯の出来上がりだ。

 これだけの物的証拠を揃えれば、いかに東郷とて逃れようがない。


 松林の住人だけでは、信憑性に欠けるだの何だの。

 弁護士に因縁をつけられたのでは話が面白くない。

 証拠を完全にするため、目撃者にもいてもらいたい。

 ここで消防隊員の出番となる。

 火災現場で犯人を見かけるのだから、精密である必要はない。

 東郷の写真を元に、輪郭を再現したマスクを被った奴が車を急発進させれば十分に怪しい。

 車のタイヤ痕とナンバーから足がつく。

 よくあるケースだ。

 東郷の車をコッソリ盗んでコッソリ返す。

 車泥棒と車上荒らしは、松林の人達が得意とする分野だ。

 燃料満タンで返す必要はない。

 実に経済的な作戦だ。


 遺体の手に、ブラシから取った髪の毛を握らせておけば、合理的疑いを差し挟む余地のない決定的証拠になる。

 問題は銃で撃たれた時の血痕だ。

 遺体を撃っても血は出ない。

 今回の騒動は、辿れば田増が元凶だ。

 こいつから死ぬ寸前までたっぷり頂く。

 遺体とばら撒いた血液型の合致を俺が証明すれば田増の死体が出来上がる。

 奇跡的に田増には逮捕歴がなく、指紋もDNAも採取されていないのが幸いした。

 ガソリンタンクやライター等の小物にもたっぷり指紋をつけ、材料が揃った所で二人の刑事さんを宴会に招待した。

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